松橋萌の欧州散歩伝2024其の27
朝起きて、ホストに絵葉書を書いた。抽象化された天使。ホストが用意した部屋は大きくて、恐らくそのアパートの間取りで一番良いものだろう。それはホストが恋人を連れてきた時、ホストが生活している部屋の隙間を見てそう確信した。鏡が隙間からは見えた。夜、私がドアの鍵を間違えて閉めてしまったのでホストは慌てていた。だから私がドアを開けた。dankeと彼女は言った。彼女の恋人が一緒だった。明るく挨拶した。恐らくあの顔は、こんな子供を泊めているのか!?という驚きだと思われた。彼女が恋人と笑い合っていて私は嬉しかった。風呂に入るため星のピンでおでこを丸出しにした私と彼女はニコッと笑い合った。そして彼女はそのまますぐにどこかへ行った。そのために別れを言うことはできなかった。部屋には犬の写真と、子供と彼女の写真があった。どんな事情かはわからないが今はここにはもういないのだろう。部屋のドアの真上にキリスト像が飾られ、部屋には世界の様々な国のオブジェと、天使が置かれていた。それに気づいた時可愛いと思った。何の動物かわからない、へたったぬいぐるみがドアの鍵のところにかかっていた。朝の一瞬しかその部屋に光は差さない。それは8時に起きた日に一瞬だけ見ることができた。だからきっと家具は少し湿っている。その気配は数日経つとわかる。
Düsseldorfの電車に乗るために家からバス停まで歩く。時間も余っていたために、地下鉄ではなく景色を楽しめるバスに乗りたかった。しかしバスは来ないのでやはり電車に乗るしかなくなった。Bauhausという名前のビバホームのような店舗の側に近寄れた。少しでも多くの寄り道がしたかった。焦ってvoltを呼んでしまい、5€を無駄にした。電車は遅延してきた。プラットホームを聞いた人はスペイン語を恐らく話していた。この電車で合っていますか?とパンを食べている女の子に聞くとそうよ!と答えてくれた。一つに髪を縛った明るい雰囲気の人で、横顔の瞳ですら印象的だった。ガラス越しに見てわざわざ車両を変えて質問したのだ。彼女は私に質問した。そのため私も彼女のことを知ることができた。走ってきたの?ベルリンに勉強のために通い、医者ではないが医療を学んでいる。名前はクールだと言われた。あまり聞かない。由来を説明する。私の名前は意味を持たないの。これがファーストタイムなのでお腹ペコペコ。ドイツ出身。ドイツの電車はよく遅れるわ。途中でこれはセントラル行き?と聞いた男は会話に交じれない。しかし、私たちの会話を聞いてニコニコとしていた。別れる時はあっさりとしていたが、それは仕方のないことだ。
flixtrainはさらに一時間以上遅刻した。軍服を着た人、本当に色んな人がいて、wifiのスポンサーはマクドナルドだった。ビルバオにもユトレヒトにもない(もしくはほとんどない)けれどこの場所に沢山あるのはマクドナルドだ。GDP。日本とベルリンは私にとって似ていた。消費主義。ここはもうドイツではないかもしれなかった。どこかため息混じりで、若者はジャンクでキッチュなファッションを好む人も少なくないようにみえた。それも私と同じだった。食べ物は思うよりは高くはなかった。しかし、安くもない緊張感がずっとあった。物を買わせるための色々が目についた。三日前に電車の中にいた“何か”を話す人に目を向けるのは、私と、もう一人の男性だけだった。その男性は絵の具で汚れた服を着ていて、大きなリュックの中は殆ど物が入っていない。そして長い棒を持っていた。アーティストだけがその人の話を聞いてしまうんだろうか。彼はついに小銭を渡した。
三時間遅れでの到着だったが、それ以上に私の席はとても酷い物だった。ひっきりなしに後ろの人は大声で話した。女性も男性になっても。ビール瓶が足元に転がってきた。嫌煙ではないものの、煙草の匂いもしていた。私の席は変更した席のため指定ができず、窓すら殆どない位置だった。それでも大柄な男性達が荷物の上げ下げを引き受けてくれることに大変感謝した。
その後“catastrophe”と表現されていた。空調も効いていないだとか。本当にその通りだと思った。
あきこさんはこんなアクシデントの中でも全く苛々した様子なく、私を迎えてくれた。それは有り難いことだった。キッシュの中に肉が入っていて、ベルリンではどの食べ物に肉が入っているか見分けがつかず困っていたので嬉しかった。
パフォーマンスは窓越しに見た。自分の陰で反射が止んで人物像が見える。ピアノの音漏れ。戦メリみたい。ベレーナさんはまず批判的に感想を述べた。ステファンがそうしたように。初めて私はwalkを作っている…という話から、“フラヌール”という言葉を貰う。彼は教授をしているらしく、“デリーヴ”の話さえ出てくる。そうそうそうです!この会話はなんかすごく良い予感だった。Düsseldorfは日曜日にすることがないため、散歩が人気であると言う人さえいた。
Düsseldorfはベルリンとはまた違う場所だということを感じたのは、列車を降りる時に、君が先に、と言った二人組の感じを見た時だった。バイバイと手を振ってくれた。駅に着いたとき真っ先に見えたのは廃墟のように感じる何かだった。
あきこさんに、映画やテレビは落書きを映さない、と話した。旅に出てから、こうした話はもっと話したいというところまでしか誰にも言えていなかった。時間が本当にないと思っていて、それをルイさんに話してみた。ルイさんは“ゆっくり歩いて行きましょう”という言葉を言っていて、私は翌日その言葉を心の中で繰り返した。
Sさんとの会話は殆ど弾まなかった。だからSさんは何か飲む?と話を逸らして行った。(のだと思う)赤ワインを頼むときに唇を指してユーモアを持って説明した。ユキオさんとは“日本人ですか?”と聞かれ、はい、とだけ答えた。もう、何も言わない方が良いことが沢山合った。話そうとすると壊れる時があり、今は壊れないようにしておきたかった。ピザ!と言って生ハムピザを頬張り、私はそうやって口をつぐんだ。
あきこさんに、自分は16歳くらいに見られている可能性が高いと話すと、わかってもらえた。
あきこさんは初めての仕事が、ドイツの会社で、議事録を書く必要があったと言った。部屋の写真を撮り、その人の仕事には机が必要なのだと言った。
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