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事例の「生き方」に学ぶ

事例は、もうすぐ80歳を迎えようとする女性。
2020年にがんが見つかり手術。
続く放射線治療中にがん以外の病気が出現。
更には、がんの再発・転移がみつかり、
在宅療養を目的に専門看護師が介入。

しかし別世帯の長男から、
「同居する次男の暴力がある」と相談を受け、
MSWの介入が始まる。

「暴力をふるう」といわれる50歳代の次男は独身。
小学校時代から「気になる子」的な傾向があり、
「措置入院」になったことも。

事例の夫は5年前に他界。
夫が在宅療養中にも次男の暴言・暴力があり、
自宅を離れて他の市町のマンションを借りて過ごし。

事例が在宅療養に入ったのは、今年の春。
この時すでに病状は進行し、
積極的な治療は望めない状況。
在宅療養中に、次男の暴力に耐えられず、
救急車で来院し、そのまま緊急入院。

本人は、「自宅には戻れない」という訴え。
主治医より、長男・次男へ病状の説明。
緩和ケア病棟へ転院の方向が定まり、
本人は「これで安心して休める」と安堵した様子。

転院の数日前、本人・長男・次男の面会。
その席で本人は、息子たちにこう伝えた。
「二人で協力して生きてほしい」と。

翌日、緩和ケア病棟のある病院に転院。
その翌朝逝去。

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MSWと事例とのかかわりは、1か月弱。
期間は短いものの、
情報の1つ1つにインパクトがありますね。


この事例は一見すると「8050問題」のように見えます。
「50」の問題に焦点が引っ張られますね。

しかし、事例をジックリ読み込んでみると、
「いや、ちょっと待てよ...」という気持ちに...。

「この事例のテーマは何だ?」
「必ずしも50の問題ではない...?」
「では、いったいなんだ?」

事例の立場に自分を置いたとき、
こんな言葉が浮かびました。

・私がすべきことはすべて終えた。
・長男も次男も、成人まで育てた。
・夫も看取った。
・「人生の幕引き」の準備も整った。
・この先、子ども達には自分の人生を生きてほしい。
・困る問題が出てきたら、できる範囲で協力し合ってほしい。
・私の人生に、最期まで付き合ってくれてありがとう。

そんなことを、堂々と言えるような気がします。
「人生をやり遂げた」という感じですね。

自分の「生きざま」を、子ども達に見せる。
身近で母親の生きざまを見てきた息子たちには、
十分に「母の思い」が伝わったのではないでしょうか。

私はこの事例から...
「事例検討会の意味」を改めて教えられた気がします。

それは...、
「事例の何が問題か…」ではなく、
「事例から何を学か…」ということ。

そして、学んだことを「次の事例」に活かすこと。

それができて初めて、
「事例に礼を尽くした」といえるような気がします。



冒頭の画像は、taketaketjさんのものをお借りしました。
ありがとうございます。