読書ノート:『寝ながら学べる構造主義』(内田樹, 2002)

 「近現代の視覚文化に関する議論に興味があるのですが、古典的な時期からきちんと踏まえた初学者向けの文献としては何になりますでしょうか?」と数ヶ月ほど前に ぱて先生 に相談したところ、ハル・フォスター編『視覚論』などを勧められたので、読もうとしたのですが、当時は記号論をはじめとした関連する現代思想について基礎的なことをあまりにも把握していなかったため、読解に困難があって一度中断したということがありました。

 そうした背景がいくらか後押しとなり、何度か題名を目にしたことのあった内田樹著『寝ながら学べる構造主義』を先日購入し、読みました。

どんな本か

 20世紀中頃以降の現代思想の重要な基底のひとつとして、「構造主義」というある種の思考様式があるのですが、これは哲学や批評の世界のみならず、言語学や数学、生物学、文化人類学など現代の様々な学問領域に影響を与えています。(私の理解で)一言でいえば、「ある人の価値観や思想は、その人がおかれている時代や社会によって、本人の意志より先に決定づけられている」ということを、すべての前提に徹底して置くことを要求する思想です。つまり、構造主義では、いま我々が当然のものとして自明視して、生活の中ではほとんど疑うこともしない常識・倫理・正しさ・価値は、すべてこの時代・地域・社会集団に固有の「民族誌的偏見」にすぎないということを全ての議論の起点にします。

……何を当たり前のことを?と思うかもしれませんが、まさにこの「今の我々の価値観を絶対視すべきものではない」という「常識」自体が、実は20世紀中頃以降、構造主義の思想家たちの活動を通してようやく普及しはじめた「民族誌的偏見」だという指摘から議論を始めていることがとても面白いなと思いました。こうしてみると、「構造主義」という概念を知識として把握していなくとも、無意識のうちにその影響を受けて内面化し、ともすれば自明視してしまっていたという人は、おそらく非常に多いのではないかという気がしてきます(私自身も含め)。

 そんな構造主義は、マルクス・フロイト・ニーチェといった19世紀の哲学者の思想を母体としています。その後、20世紀初頭のソシュールの「一般言語学講義」が起源となり、「四銃士」と(著者が?)呼んでいる、政治哲学者フーコー、文学者バルト、文化人類学者レヴィ=ストロース、精神科医ラカンという、様々な分野の四名の代表的な思想家によって構造主義が普及することとなります。本書はこの歴史的経緯に沿いながら、彼らの思想や実践を易しい語り口で紹介する構成となっています。

 タイトルの通り一般向けの入門書という趣旨で、実際に具体例も豊富で非常にわかりやすいのですが、一方で議論の展開としては、各思想家の原典の引用をベースに堅実に進められていて、一般向け入門書にありがちな変な脚色や乱暴な要約などは(素人目には)少なかったように見えます。もっとも、おそらく専門的には、本書の原典の抜き出し方や言葉の用法などが重要な問題になってくるでしょうし、重要だけれども抜け落ちた題材も多いかと思います。しかしそのように感じられることは、それはそれで本としての範囲や限界を隠そうとはしない誠実さでもあるとも思います。そういうわけで、とっつきやすさと内容の精緻さのバランスが慎重に取られている良書だと私には感じられました。専門的な内容を平易に伝える文章の書き方としても学ぶことは多そうです。

 私はこの本で「構造主義」という概念の中身をほぼ初めて知ったようなものなのですが、やはり言語化されずに内面化され自明視してしまっていた考え方や価値観が掘り起こされ、その正体が解き明かされていく過程は気持ちが良いです。前々から、政治や経済など様々な場で繰り広げられる「常識的」と思われる言説が、しばしば似たような構造を持っているとは感じてはいたのですが、それがここまで抽象化されたひとつのイデオロギーとみなせることがわかって腑に落ちました。やはり構造主義は非常に強力なので、これを読んだからといって構造主義を簡単に相対化できるわけではないのですが、この後に来るイデオロギーはどのようなものになるかは気になりますね。まだ対象化されて俎上に載せられていないだけで、それは既に自分たちの「常識」に染み込みつつあるのでしょうか。また今後は、ロラン・バルトについて(余力があるときに)もう少し詳しく調べてみたいです。


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