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私の発言 久保 友香氏 歴史を学び,現在を把握し,未来を予測しながら,次の技術目標を定める

久保 友香

久保 友香(くぼ・ゆか)
2000年 慶應義塾大学理工学部 システムデザイン工学科卒業 2002年
東京大学大学院新領域創成科学研究科修士課程修了
2006年 東京大学大学院新領域創成科学研究科博士課程修了 2006年 博士(環境学)取得
2007-2009年 東京大学先端科学技術研究センター特任助教
2012-2014年 東京工科大学メディア学部専任講師
2014-2019年 東京大学大学院情報理工学系研究科特任研究員
●専門分野 メディア環境学

日本の伝統文化の中にある美意識を数式で解明する

聞き手:今までのご経歴と,大学での研究内容についてお教えください。

久保:小さい頃から,話すことや人とコミュニケーションを取るのがとにかく苦手でした。そのうえ,書くこと,読むこともダメでした。ただ,算数は好きで,数字と向かい合うことが好きだったので,そこを突き詰めてやっていればいつか人ともコミュニケーションが取れるのではないかと信じ,高校まで数学と理科ばかりやっていました。ですから,当然のことのように大学は理系と決めていました。好きな数学に関するところに行きたいと思っていましたが,理学だと教育職にしかつけなくなると言われ,応用性がある工学に進みました。
 大学が慶應義塾大学理工学部だったので福沢諭吉先生の実学の思想が強く,周りの人たちは実務的で,経営にも興味をもち,私は教えられることが多く,影響を受けました。大学3年生の時,自分が何に興味があるのか,世の中のどのような部分に関わりたいのかを考えるようになったときに,日本文化を好きな家族の影響を受けていることに気づきました。私の小さい頃は明治生まれのひいおばあちゃんと遊んでいたのですが,彼女は和服を着て,常に縫い物をしたり短歌を詠んだりしていました。そのおかげで,私は小さい頃から日本の伝統文化に触れていました。両親はテレビ局に勤めていたほど大衆文化が好きで,父は演歌番組のディレクターをしていたり歌舞伎好きで,日本の心などに関心がありました。そういった影響を受けていたので,日本の文化の中にある日本人の美意識について考える機会が多くありました。それと,自分の得意な数字で分析することと組み合わせた方向に進みたいと考えるようになりました。
 学部生の頃は機械工学を学びましたが,卒論ではエネルギー資源であると同時に,日本では神が宿るというアニミズム的な文化資源という面ももつ森林をテーマに選びました。文化資源でもあることを考慮しながら,エネルギー資源としての森林の価値を計測するシステムをつくりたいと研究していました。
 大学院に行く決め手になったのは,卒論の勉強中に本屋で見つけた,後に大学院の指導教官になっていただく東京大学の月尾嘉男先生の本でした。その本に,国際政治において「これからはハードパワーよりソフトパワーが重要な時代になる」というようなことが書かれていて,衝撃を受けました。ソフトパワーというのは,クリントン政権で安全保障を担当していたジョセフ・ナイの言葉です。ちょうど月尾先生が東大で機械工学から新領域創成科学研究科の研究室を新しく立ち上げている最中でしたので,そこに入ることになりました。まさに,それが今の研究の原点になっています。

浮世絵の構図や美人画のデフォルメに,日本の美意識が宿っている

聞き手:東大の新領域創成科学研究科ではどのような研究をされていたのですか。

久保:最初は,日本の特有の文化である“おもてなし”や“わびさび”を数値化できないかと考えました。技術開発では何らかの数量的な評価の物差しに従い技術目標を設定しますが,日本人の美意識のようなものは,その評価の物差しに含まれません。そのため,性能の向上を目指すほど,日本人の美意識はなくなるのではないか。加えて,日本ではそれらは曖昧だから良いのだ,数値化してはいけないという雰囲気があります。禅やわびさびのように,曖昧なまま,世界的に評価されているものもありますが,技術開発に活かすならば数値化をしないといけない。それが,日本の国際競争力向上にもつながるのではないかと思いました。
 数値化のためにいろいろやってみたのですがうまくいきませんでした。先生方からもそんなことをやっていたら絶対学位は取れないと言われました。まさに答えが出ないようなことをやっていたので,全然論文を書けないし,修了もできなさそうな雰囲気になりました。そのときはとても悩み,ずっとさまよっていた感じでしたが,突破口となったのが「かたち」に注目することだったのです。
 日本の伝統的絵画を見ると,写実的ではなく,デフォルメして描かれていることが多くありました。そのデフォルメに日本の美意識が現れているのではないかと考えたのです。例えば構図に着目すると,日本の浮世絵では,透視図法に従わず,デフォルメされた構図であることが多いです。構図は「かたち」ですから,数値化できると気づいたのです。もともと私は絵を描くのが好きで,建物のペン画を描いていました。私は数学的に透視図法に完全に合った絵しか描けなかったのですが,そういう絵が美しいのではなく,そこへの劣等感もこの研究に影響していると思います。透視図法に従っていない浮世絵が,のちに海外でジャポニズムとして評価されたことも重要です。
 調べてみると,15世紀に西欧で生まれた絵画の透視図法は,江戸時代の1739年に日本に伝来してきたと言われています。それ以前の浮世絵は3次元的な空間を平行投影で描いていました。伝来後,一時期は浮世絵でも透視図法に従った絵が多く描かれています。しかし,1800年以降になると出てこなくなります。北斎や広重の風景画は,透視図法が入る前の平行投影とは違うが,透視図法にも従わない,透視図法を知ったうえであえて外しているような構図で描かれています。博士論文では,後期の浮世絵のような,透視図に従わない構図を3DCGで再現できる図法を開発しました。その頃はちょうど3DCGの普及が進み,アニメーション制作でも3DCGの利用が標準になりつつありました。3DCGは透視図法を原理とした技術なので,それが発展するほど,日本の美意識を反映した,透視図法に従わないデフォルメが消えていくことになります。だから,それを数値化して,技術開発に取り込みたいと考えたのです。
 構図の研究はとても面白く,博士号を取り,これが私のやり方だとしっくりきたので,次の応用として美人顔に着目しました。日本では,顔もずっとデフォルメして描かれてきています。日本で一番古い美人画は高松塚古墳の壁画に描かれたものと言われていて,その後も1300年以上に渡り継続的に美人画が描かれてきています。しかし,源氏物語絵巻や浮世絵美人画などに描かれた顔を思い浮かべてもわかるように,素人目にはみんな同じような顔に見えます。博士論文で日本の伝統的な構図に対して行ったのと同様に,美人顔のデフォルメも3DCGで再現する図法を構築しました。風景写真や顔写真を日本の伝統的な絵画風のデフォルメに変換するソフトを作ったりもしました。

女の子の「盛り」を科学するシンデレラ・テクノロジー

聞き手:その後,どういう経緯で「盛り」について研究されるようになり,シンデレラ・テクノロジーとして確立されるまでにいたったのでしょうか。

久保:美人顔の評価の物差しとして一般的に用いられているものには,平均性や,対称性や,女性らしさなどがあります。しかし,日本の美人画は,定量的に分析しましたが,一般的な美人顔の評価の物差しがあてはまりません。ふと見ると,現代の日本の女の子が目指している顔にもあてはまらないのではないかと気づきました。顔を簡単に加工する技術にプリクラがありますが,決して平均顔を作っていません。プリクラメーカーでは,ユーザーのニーズに合うように画像処理の技術の開発をしているわけですが,それは一般的な美人顔の指標に従っていません。そこには,美人顔とは違う技術目標の物差しがあるとわかってきました。それが「盛り」です。
 一般的に用いられる美人顔の評価の物差しが測ろうしているのは,生まれもった顔であり,基本的には配偶者選択を前提としていると考えられます。しかし,プリクラを利用する女の子たちにとって大事なのは,顔を加工し,画像を使って,対面したことのない人ともバーチャルに見せ合うことです。持って生まれた顔の話ではなく,変身して公開するための技術なので,「シンデレラ・テクノロジー」と名づけました。きれいなドレスと,舞踏会に行くためのカボチャの馬車を提供した魔法を技術に変えたものとして名づけたのですが,王子様を見つける技術だと間違われることも多く,今は失敗したかなと思っています。
 彼女たちは王子様を見つけるためにプリクラで顔を加工しているわけではありません。自分の趣味を表す外見を作り,同じ趣味の仲間とコミュニケーションするためです。彼女たちはその行動を「盛る」と言います。うまくいくと「盛れてる」と言うのですが,それは一般的な美人顔になっているわけではなくて,今この瞬間のこの仲間内で共有する基準,トレンドに合わせられているという意味なのです。その女の子たちの言葉をもらい,彼女たちの中にはあるけれど,科学的には存在していなかった「盛り」という物差しを提示したいと思ったのです。
 この研究テーマは今も変わっていないのですが,時代も社会も変化しています。2010年代前半はプリクラやガラケーのカメラで撮った顔をブログなどで見せ合うことが流行っていましたが,2010年代後半からはスマートフォンのカメラで風景も含めたシーン全体を撮り,SNSで見せ合うことが流行り,インスタ映えスポットに人が集まるようなことがありました。しかし,今はコロナの感染拡大の影響もあり,家の中で撮影した動画でライフスタイルを見せ合うことなどがさかんです。メディア環境の変化とともにコミュニケーションの形は変わっていきます。以前は対面したことのない人に見せるバーチャルな外見を顔で表していましたが,それをシーンで表すようになり,今ではライフスタイルにと変わってきています。メタバースやミラーワールドといった次のメディア環境を表すキーワードも出てきていますが,そこにおける日本の美意識を反映した技術目標が何になるのか,私も今,一生懸命考えているところです。

公園のベンチに行き,白い紙とペンで思考を図式化

聞き手:研究において,求められた成果が出ないなどの理由で自信を喪失されたり,試行錯誤して苦悩されたりしたご経験がありましたらお聞かせください。また,そうした苦難をどのように乗り越えてこられたか,その秘訣・コツがありましたら教えてください。

久保:私はまだ苦難を乗り越えていませんし,苦悩している最中です。大学では,工学系はグループで研究をし,皆で目指している技術目標に向かっていくことが多いのですが,その中でも私はいつも一人でやっていました。私の問題意識自体答えが出る問題かどうかわかりませんし,それを解くことが世の中に求められているのかどうかもわからないので,他人を巻き込みたくないからです。でも,私自身はいつも自分が最も興味あることに取り組んでいて,好奇心のままに進んできました。
 科学的には存在していないけれど,女の子たちのコミュニケーションの中には確かに存在している「盛り」という物差しを解明しようとする研究では,「盛り」を楽しんでいる女の子の行動観察や,彼女たちへのインタビューを行いました。工学研究ではビッグデータ解析に重点を置いているこの時代に,一人ひとりの女の子にインタビューしたり,行動観察をするのはどうかと多く批判されました。当初は,「私はこんなことをしていていいのだろうか」と自分にも何度も問いかけましたが,どうしても知りたくて,続けていくうちに真理に近づけている確信ができてきました。
 本を出版したことをきっかけに,人文科学系の先生たちにも声をかけていただけるようになり,そこでのディスカッションは本当に刺激的です。小さいころから,書くこと,読むこと,話すことが苦手なので,人文科学には苦手意識が強いのですが,今は興味があって人文科学系の本も積極的に読んでいます。現在は純粋な工学の研究者とは言えない状態ですが,好奇心のままに突き進んできた結果,このような状態にあるのだから,それを受け入れたいと思っています。加えて,本を書くことにも力を入れているので,工学論文は今はお休みして,非常勤講師をすることはありますが,基本的に大学を離れています。
 思考を整理するために意図的に行っているのは,外部からの情報が流れ込んでくるインターネットから離れて,白い紙とペンだけを持って,公園のベンチなどに行き,自分の内部にある思考をひたすら図式化する時間をもつことです。図を描くことで思考が整理され,複雑な構造もシンプルになります。それによって問題が解決することが多いです。
 これまでの経験で苦難を乗り越えた時のコツがあるとすれば,周りを気にしないことです。周りの友だちには,会社で偉くなっている人や研究者として大きな成果を上げている人もいますが,それを気にしない。それができるのは私の強みです。自分の好奇心に向かっているのが楽しいので,焦らず,マイペースで,お給料や出世といったこともまったく気になりません。全力投球できること,本当にやりたいことだけに取り組んできた結果,意外と人の気づいていないことを発見したりしている気がします。

自分にとっての一貫性など,なくてもいいのかもしれない

聞き手:これから活躍を目指す若手研究者・技術者,学生に向けて研究の面白さなど,メッセージをお願いします。

久保:私が取材対象にしているプリクラやスマホアプリで画像を加工し,SNSなどで積極的にコミュニケーションしている女の子たちも,自己をすごく意識した発言が多く,個性を出したい,自分らしくありたいと言います。でも,「自分らしさって何なの」と突っ込んでいくと,明確にならないことが多いのです。人はそういうものなのだと思います。人というのは,常に変化に応じ,周りとの関係のなかで出来あがっているものです。社会環境やメディア環境,まわりの人々が変わったりすると,コミュニケーションも変わっていくのは必然なことで「一貫した自分」というものはないのかもしれません。そういう環境変化に適応していくことが大事で,取材対象としている女の子たちは適応していくのがうまくて,私も真似したいと思わされます。研究者や技術者は,常に普遍性を追求しているので,自分についても一貫性をもとうとする傾向がないでしょうか。私自身も,これまで述べてきたように,小さい頃から数学が好きで,だからこうやりかたをしていますということをつい考えてしまいます。でも,そんな一貫性などなくてもいいのではないか。そんなことをインタビューした方たちから学ぶことがあります。
 一方,環境の変化に振り回されず,一貫した目標に向かうという意識も,失ってはならないと思います。工学研究では,処理や伝達の速度の向上とか,変換効率の向上とか,古くから継承してきた物差しのなかで,皆が同じ技術目標に向かって前進しようと一生懸命取り組んできました。日本のモノづくりが本当に素晴らしく成功してきたのも,そういうやり方をしてきたからではないかと考えていて,とても大事なことだと思っています。
 そういったなかで私自身が心がけているのは,歴史を学び,現在を把握し,未来を予測するということです。歴史から現在に引き継がれるパターンを明らかにし,そこに新しい技術が加わるとどう変わっていくのかをシミュレーションするのです。今の若い学生さんたちは現在を知るだけでも情報量があまりにも多いので,どうしても現在に振り回されがちになるのではないかと思います。どこかで新しいディープラーニングのプログラムが発表されたとなると,それを試さないといけないので,仕方ないとは思いますが。しかし,歴史と未来も視野に入れた上で,それが何であるかを考える時間ももったほうがよいのかなと考えます。
 また,例えば,今だとあらゆることをスマートフォンの中で行うので,何か目標達成しようとする場合もスマートフォンの中でどうするかと考えがちです。しかし,スマートフォンだってこの先いつまであるかはわかりません。技術開発にはある程度の時間がかかるので,やっているうちに流れが変わってしまうことも多いです。それを回避するためには,ズームアウトして,歴史と未来を視野に入れ,普遍的な真理をとらえることと,ズームインして,現実の環境変化に揺られながら適応していくこととを,行ったり来たりして両方を常に行うことが重要なのではないでしょうか。

(O plus E 「私の発言」2022年5・6月号, 233~237ページ掲載。
ご所属などは掲載当時の情報です)


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