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マニラで「クラシックの国ガチャ」を考える

クラシック音楽家にとって、日本は国ガチャで【当たり】なのだろうか。

日本という国はヨーロッパからみれば「極東」という遠い位置にありながら、世界中のクラシック音楽家たちが演奏会をする稀な国だと思う。クラシックCDの売り上げだけでなく音楽教育においても世界トップクラスであり、クラシック音楽家たちにとっては夢のような場所だった。柴田が専門の音楽教育を昔から受けていないもかかわらず、この世界に飛び込み、人並みに仕事をこなし、西洋クラシックについて本場の人と語り合えるのは、この国に生まれたから。我々は、国ガチャに当たったのかもしれない。

フィリピンは赤道直下の熱帯地方の国だ。冬がない衝撃。300年以上にわたるスペインの統治とその後のアメリカによる統治もあってか、アジアであってアジアでない、かと言って西洋でもない、独特の雰囲気だった。名前もスペイン系やアメリカでよく聞く名前が多く、とにかく明るい。よく喋る。リハ中も冗談と笑顔。日本にはない風通しの良さがある。

マニラ国際空港から車で20分ぐらいのラスピニャス市。ここが国際バンブーオルガン・フェスティバルが行われる街だ。フェスティバルが始まる前日にホテルの近くの教会でミサを体験した。17時開始で5分ぐらい前に教会に着いたのだが、大きな教会にもかかわらず9割が座っていた。閉所恐怖症の柴田は、一番後ろで立っていたが、折りたたみパイプ椅子を開いて座り始める人もいたので、それにならった。ミサが始まってもどんどん人が増え続け、満員そして立ち見に。教会のドアは開き放しなので、外で聞いている人もいた。牧師さんのお説教は思った以上に情熱的で、タガログ語と英語、両方交互に喋りながら行われていた。時々起立して歌われるものは、西洋の讃美歌とは程遠く、若干カラオケ大会に近い感じがあった。フィリピン人は優しい。子供を抱いたお母さんが入ってきたので、パイプ椅子を譲ろうと思ったら、周りにいた人に先を越された。お母さんは1分ほど座ったが、赤ちゃんをお父さんに渡して5、6歳の長男に椅子を譲った。次におじいさんおばあさんカップルがやってくると、その長男はおじいさんに椅子を譲った。おじいさんはもちろんおばあさんに椅子を譲り、そしたら別の人がおじいさんに椅子を差し出した。見た目はパイプ椅子リレーだが、優しさのバトンパスをしている。

16時55分の教会。ここからどんどん増える

フィリピンにはマニラ交響楽団が存在する。1926年に設立された、アジアで最も古い西洋オーケストラの1つとしての歴史がある。日本の東京フィルハーモニー交響楽団は設立が1911年だ、と言っているが、元々は名古屋のいとう呉服店少年音楽隊が起源であり、いろいろな経緯を経て東京に移ったのが1938年であることを考えると、当初から「交響楽団」として活動していたマニラ交響楽団の歴史の長さがわかる。

現地の音楽家が紹介してくれたフィリピン人作曲家たちは面白かった。Eduardo G. Parungaoという作曲家の木管五重奏を聴かせてくれたんだが、うまいことフィリピンの伝統感を西洋クラシックと織り交ぜてる。そうか、クラシック音楽はフィリピンにとって伝統的な音楽の一つなのだ。考えてみればバロック時代に当たる17、18世紀、フィリピンはスペインの統治下だったこともあって、アジアにもかかわらず西洋のバロック時代が存在していた。バンブーオルガンも19世紀初頭とはいえ、遅れてやってきたバロック時代の荘厳さを「竹」というフィリピンのアイデンティティとうまく混ぜ合わせてできている。

今年で200歳になるバンブーオルガン

オルガンフェスのコンサートの前に野外で演奏されていた音楽ではスペインのフラメンコを連想する音楽から、パーカッションがメインの先住民の儀式の音楽であったゴングや、竹を使ったダンスのTinikling、いわゆるバンブーダンスなども披露され、日本も多様だと思うのだが、振り幅がすごい。日本でバッハの音楽がメインの音楽祭をするときに雅楽や阿波踊りから演歌までを巻き込むか? 要するにクラシック音楽もたくさんある音楽の中の一つのジャンルとして存在し、決して音楽のカースト制のてっぺんに鎮座しているというわけではないのだ。

ふと思い出したんだが、坂本龍一さんなどがサントラなどで使うペンタトニックスケールをほとんど聴くことはなかった。THE アジアのイメージが強いこのヨナ抜き音階、フィリピンの場合は、あまり採用されていないようだ。

ヨハネ受難曲を演奏する前の前座なのだが、これがまた楽しい宴の音楽


一昔前だと日本に出稼ぎに来たフィリピンパブのイメージばかりだったのが、若者の間ではリゾート地として有名らしい。今回の旅路でも3、4人で小旅行を楽しんでいる日本人をたくさん見かけた。街中での物価は流石に安いが、ホテルでの食事などは後で計算してみると、物価上昇もあってかべらぼうに安いとはいえない。手厚いホスピタリティでおもてなしをしているフィリピン人に対して、感謝の態度が十分でない日本人の振る舞いも見かけた。日本人の優しさというのは社会に強要されているもので、そこから放たれた時に冷たい態度をとってしまいかねない、ある意味日本人の未熟さを目撃して悲しくなった。

西洋人のグループの中にアジア人として参加している感覚は、日本ではあまり感じないかもしれない。とにかく見た目が違うことで別の対応をされた経験は19で渡ったニューヨークの時に遡る。マイノリティ(少数派)と言われるが、事実そこではアジア人は白人に対して下位なのである。西洋の団体に混じって日本にツアーしに行った韓国人や中国人の友人たちが、観客が白人にはサインを求めてたけど、我々はスルーされた、という経験はよく聞く話である。自身が中国をNYの寄せ集めオケで回った時も、ツアーのプロモーターから「アジア人が首席を吹くのはちょっと」と言われ、ツアーの途中から2番手ピッコロに回された。他のアジア人の弦楽器奏者たちも後ろの方に座らされた。まあそういうもんである。

国際バンブーオルガン・フェスティヴァルに呼ばれることは日本のメディア(音楽系以外にも)にもお伝えしたが、どこからもレポートを書いて欲しいなど、取材の話はこなかった(だからこそnoteに書けるんだが)。やはりクラシック音楽はヨーロッパが本場のものだから重要ではない、という考えからなのかもしれない。

正直、アジアで一番優しい人種は日本だ、と思っていた。「『日本人』っていうRace(人種)があってもいいよね」とアメリカ人の同僚が言ってたけど、どこかアジアにおける日本至上主義が私の中にも無意識のうちにあったのかもしれない。フィリピン人は違った。とにかく誰に対しても優しかった。ホテルでも、スーパーでも、音楽祭の事務局でも、道端のお店でも。笑顔を忘れず、ホスピタリティと何事も一緒に楽しむことを大切にした生き方のように感じた。

1週間前に日本人の彼女にフラれた、と凹んだ顔を見せながら、毎日ドラマティックな冗談でみんなを楽しませているチェロ奏者がいた。Mr.Broken Heartと呼ぶことにした。コンクールも優勝している、俊英の多忙なマニラのチェリストだ。次の週、元カノと同じ演奏会に乗るから気まずい、とのこと。彼のくれたちんすこうのようなお菓子がなかなか美味で、この場を借りてお礼を言いたい。君なら絶対いい相手が見つかる、比較的すぐに。

ヨハネ受難曲のプロジェクトでは35歳以下がいない、若手選抜メンバーだった。とにかく古楽の「コ」の字も知らない若者たち。2本のオーボエとのアリア、細かい蛇音型が理解不能で満面の笑みで「HELP US」って言ってくるのがめちゃ可愛い。Mr. Broken Heartが「イケイケの上行系なのにディクレッシェンドするんすか!?」とみんなを笑かせてくれる。とにかく「風通し」がいい。同僚は結局トラヴェルソにチャレンジして、本番も半分以上の楽章を新しい楽器で吹き切ってくれた。「次は全員古楽器で!」ということで、柴田の宿題は2本のバロック・オーボエを持って帰ることになる。(来年は地方音楽院の副科でオーボエ取るか。。)

現地オーボエ族と

理論とは感覚の集合体、と人は言うが、私は経験の集合体と言い直したい。古楽奏法も結局のところ70、80年代に生まれて以降本当かどうかわからないまま、「ここさえ押さえておけば古楽になる」というルールが体系化され一人歩きし、なんちゃって古楽も増えた。とあるピアニストが超有名レーベルから出したラモーの録音は素晴らしいが、古楽を経験した私からすると変なアクセントが聴こえる。友人なので手前味噌になってしまうが、一見へんてこりんな宇宙人に見えるロマニウクの演奏からはそれは聴こえない。前述通り、演奏習慣というのはこれまでの経験の集合体である。

マニラ交響楽団の現役団員が苦労話を語ってくれた。やはり、上の世代からの「これはこうあるべきだ論」である。どういうわけか、上の世代は自分が勉強して来たこと以外の「正解」を認めない傾向がある。そして音がデカければいい、もっと速く吹けばいい、と口を揃えること。自身と同じレールにあるものに権威をつけたがる。どこかで聞く話だ。自分が知らないことの議論に参加することを怖がる。怖がっているのを隠すために大声を上げる。音楽のためではなく自分のプライドのために。

ヨハネ受難曲の副指揮者とは年齢もほとんど変わらず、元々アメリカの超名門の指揮科を出ていることもあって、色々な意見交換ができた。YouTubeなどを通して、古楽の情報は入ってきているが、実際にフィリピン全体でもバロックやそれ以前の音楽に集中して取り組むのはこの音楽祭だけであるそうだ。バロック・アンサンブルをこれからどうやっていくのか、中期計画を一緒に話し合ったりもしたが、とにかく通奏低音を勉強して、チェンバロを弾きながらの指揮のスタイルに変更することが一番大事というのは伝えた。30過ぎると新しいことを学ぶのが怖いらしく、戸惑っていた。次帰ってきたら通奏弾けるようにしておくから、みんなでダイビングに行こうという約束をした。

しかし正指揮者、副指揮者ともに女性というのがフィリピンのジェンダーギャップの小ささを表している。アジアではNo.1と現地の事務所の人も言っていた。調べてみると2022年では世界16位とのこと(日本は125位。。ほんま情けない)。オーボエの同僚にも聞いたけど、結構「かかあ天下」で男性もそれを楽しんでいるそう。優しい男性が多いらしい。

貧富の差が問題というのは事前に聞いていた。教会までは車に乗らず歩いて行ったが、その時にスラム街と言ってもいい場所を通った。お世辞にも綺麗ではなかった。飼われているのかわからないような犬猫がたむろしている。リハーサルの後、22時ごろ歩くと道のど真ん中でカラオケ大会をやっていて、それを近隣住民が椅子を出して聴いていた。クラシックの音楽祭が行われているところから徒歩5分でこのような町が広がっていることが、フィリピンの現状を映し出していると思う。

犬と猫

プロジェクトに参加していたヴァイオリニストJM君がアメリカの名門インディアナ大学院に奨学金付きで留学する予定だったのだが、生活費が払えない問題で半年間留学を遅らせているそう。スペアで持ってきたトラヴェルソを同僚がどうしても欲しいと言ったので売却したが、そのお金はJM君に寄付した。少額の奨学金(ダジャレ)でいいので皆さんにもクラウドファンディングご協力いただけると嬉しい。


キリスト教が9割を超えるフィリピンにおいて、西洋音楽、特に宗教音楽も深い関わりのある古楽は発展を続ける可能性がある。我々日本とは違い、バッハのカンタータやオラトリオを演奏する意味がすでに浸透し、聴衆も文化的に理解できる土壌があるからだ。それに加えて、アジアで一番古いオーケストラを持ち、ハイレベルなクラシック音楽家たちがいるフィリピンで、これからの古楽の発展を担う若者たちがこんなにたくさんいること、10年後、20年後が楽しみでならない。

クラシック音楽の土壌はあるにも関わらずカラッカラのスポンジであるフィリピンの若い音楽家たち。少なくとも古楽の発展においては、フィリピンは国ガチャの【当たり】になるかもしれない。



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