NHK-BS「クラシック倶楽部」に関して

NHK-BS「クラシック倶楽部」をご覧いただき、ありがとうございました。スタッフの皆様のご協力のもと、2日間のスタジオ録音を通じて、入館から最後の撮影まで丁寧にサポートしていただきました。また、限られた時間の中で良い作品を作りたいという情熱に満ちた現場で、私自身にとっても心に残るプロジェクトとなりました。

放送後、SNSにて番組冒頭の引用文の出典が誤ったものだという指摘がなされました。その後、NHKから訂正と謝罪がありました。

ご指摘の引用文についてですが、私たちはオンエアまで、この引用文が使用されていることを知りませんでした。我々のインタビューの中でもこれについて言及はなく、撮影後もその映像作品の編集にも一切関わりを持っていません。

我々は、限られた時間の中でとにかく良い演奏をすること、それに集中していました。

ここで皆さまに改めて引用文を読んでいただきたいと思います。

「音楽は共通言語であり、翻訳する必要がない。魂が魂に話しかけるのだ。」

まず、私はこの文章を読んだ瞬間に、これをバッハの時代の言葉と信じることができませんでした。音楽の普遍性や「魂」という感情に訴える力は、19世紀の音楽史観を想起させるものです。これは明らかにバッハの生きた時代の言葉ではなく、むしろロマン主義の主要なテーマと重なり合うところがあります。

SNSでご指摘の通り、またNHKの訂正、謝罪文でも言及されたように、この言葉は作家のベルトルト・アウアーバッハ(1812-1882)から発せられたものです。ユダヤ系ドイツ人小説家が、当時のロマン主義文学の文脈の中で発したこの言葉、これをバッハの言葉だと信じてしまう人がたくさんいるほど、現代の我々はバッハをロマン主義の観点から見ている可能性があるということに皆さんお気づきでしょうか?

「働き者」と自称した職業音楽家バッハが、ロマン主義に生まれたクラシック音楽の正典化の視点から「大作曲家の一人」として神格化され、このような名言を残したという誤解。クラシック音楽番組の制作に関わる人たちでさえ、この言葉を信じてしまったのです。脇道にそれるようですが、これはブルース・ヘインズが『古楽の終焉』の中で訴えていた、古楽復興運動が起きた頃に、人々がバッハなどの大作曲家に対して抱いていた虚像と一致しているように感じるのです。我々音楽家や聴衆は、そこから一歩前に進めたのでしょうか?


引用に関する誤解が生じたことは確かに残念です。しかし、これを機に現代に生きる我々がもう一度バッハの実像について知ろうとするきっかけとなったことは、ある意味「棚ぼた」とも言えないでしょうか。

だからこそ、ぜひこの番組を皆さんにご覧いただきたいのです。引用文のスクリーンショットだけではなく、実際に番組を見ていただきたいのです。

古楽とは何だったのか。今日行われている「古楽」、正解だと信じてやまない「古楽」も、同じようにロマン主義に色付けされたものでないか。今回の番組がこれらをもう一度考えるきっかけになり、古楽の未来について考える機会となって欲しいのです。

現在の日本のクラシック界において、音楽家としてこのようにコメントすることは本来はNGです。私の言動で、今回のお仕事をくださった音楽事務所に対して、再炎上させるリスクを背負わせる可能性もあるからです。それを理解した上でも、私自身はこのプロジェクトの一員として作品に真摯に向き合い、私なりのコメントを出したい、と考えました。

最後に、私は番組を制作してくださった人たちを責める気持ちにはなれません。仕事とはいえ、世の中に美しいものを紹介しようとして頑張っていただいた。結果、一つ間違いがあったことは事実です。間違いを認め、今後の制作にあたってよくよく注意してもらいたいとは思います。ですが、ことさらに責めたてることは制作活動の萎縮につながり、音楽業界ならず言論自体の萎縮に繋がりかねません。

ですので、皆様には再放送を改めて見ていただき、制作チームの努力を讃えていただけましたら、このプロジェクトに関わった人間の1人として、とても嬉しく思います。ライヴ感たっぷり、音楽史のジェットコースターをお楽しみくだされば幸いです。

長文、お読みいただき、ありがとうございました。

柴田俊幸 拝


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