「長岡花火」が教えてくれること

感謝してます!

アザラシ

が怪我をしたって?

どんな怪我なの?

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あざ」らしいよ
(やってもうた!3日連続のおやじギャグ)
(南極並みの極寒の寒さ)
(今年の夏は冷夏となることが決まりました)


さて本日のテーマです。

私は現在単身赴任中で、子供たちに会えるのは

月2回だけ

なのですが、会えない週末はTV会議につないで

レクチャー

をすることにしています。


今日のnoteでは昨日のレクチャーの一部をご紹介させていただきます☆

長岡花火はなぜはじまった?


日本3大花火大会

長岡花火

をご覧になった方はいらっしゃいますでしょうか?


私は縁あって

新潟県

5年間

住んでいましたが(新潟大好き)、その半分を

長岡

で過ごしました。


ご存じの方も多いと思いますが、長岡花火がはじまった背景には

戦争

がありました。

戦争

終戦の年の1945年8月1日

約1時間半

長岡の街はアメリカ軍の空襲で大量の爆弾が投下され

画像3

たくさんの家屋が焼失し

画像4

中心部の

約8割

がなくなりました。

焼野原


長岡花火のはじまりの起源は

復興を願う人々の祈り

亡くなった人たちへの追悼

にあります。

平和の願い

まだ小さかった息子を良く遊ばせていた公園には

平潟神社

空襲で亡くなった方々を追悼する慰霊塔があります。


この美しい花火は

長岡花火

そんな

復興の願い

が込められた

特別な花火

なのです。


毎年8月が近づくと

当たり前に生きている

ことへの

感謝

の気持ちと志半ばで亡くなっていった人たちの分まで命を燃やし尽くさねばという

使命感

みたいなものを強く意識します。


これだけ恵まれているにも関わらず

小さなこと

で思い悩んでいる自分がバカバカしくなります。


子供たちにはどのように伝わったかわかりませんが、

今ある当たり前がどれだけすばらしいことか?

気づくことができれば、全てが

感謝

に変わります。


現在も世界的なパンデミックによって世の中全体が暗くなっていますが、長岡花火を見るたびに

人も街も何度でも復興する

という

勇気

をもらうことができます。


今業界によっては大打撃を受け、打ちひしがれている方も大勢いらっしゃると思います。

そんな方々のためにも今日のnoteが

1ミリ

でも

心を後押しするきっかけ

になれば幸いです。


長岡花火のクライマックスは

フェニックス

という名前の長時間の特大花火で飾られますが、フェニックスとはつまり

不死鳥

です。


何度でもよみがえる

そんな想いがこの花火に

凝縮

されています。


このフェニックスを見るたびに私は自然と涙が溢れます。

もしお時間のある方は2019年のフェニックスをご視聴ください。

どんな困難が訪れようと我々は何度でも立ち上がれます!

そして街も日本も世界も

復興

します!


未来は限りなく明るい

今日も最幸の1日になりました!

あなたに全ての良きことが爆発的に起きます!!

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