虐待
感謝してます!
今日はちょっとヘビーなタイトルですが、今日のnoteでたった一人でも救われる人がいればいいと思い勇気を出してシェアします。
まずは下記状況をご想像ください。
真夜中にトイレで倒れて泣き叫んでいる一人の老人
その老人に罵声を浴びせ、時に手を上げる老婆
一人では立てない老人に「立て」と叫び続けています
老人は思わず叫びます
「助けて、殺される」
まさに地獄絵図です。
上記状況はこの4連休で故郷に帰省した時に私に起きた事実です。
老々介護で母は慢性的な介護疲れを起こし、おむつ交換や夜間介助で夜中に何度も起こされるストレスなどが重なり、怒りが制御できなくなっていました。
今回の帰省は私にとっては親孝行の目的以外に、こうした現状を把握する目的がありました。
父はもうまともに歩くことができませんし、しゃべっている言葉もほとんどわかりません。
トイレも基本おしめの中でしてしまいます。
一度転んだら一人で起き上がることなどできないのです。
故郷に帰る時に男であれば真っ先に会いたいのは自分の母親であるケースが多いのでないでしょうか。
世界中で一番私を愛してくれている大好きな母が、大好きな父を深夜に罵倒して、父に手を上げている光景は私にとっては経験したことがないレベルの深い悲しみとなりました。
もちろん母にも言い分があり、毎日24時間介護に縛られる生活で完全にストレスが限界に来ているということも十分理解できます。
介護疲れから人を殺めてしまう人の気持ちも理解できるレベルなのだと思います。
慢性的な睡眠不足、尿、便の問題。
におい、慢性的なうめき声。
人の終末期における介護はキレイごとではなかなか済まされません。
一連の出来事をどう考えれば良いのでしょうか?
起きることがすべて必要・必然・ベストであるならば。
斎藤一人さんのいう「今神の愛により全てのことがうまくいっている」のならば。
このような現状はどのように考えるべきでしょうか?
帰省中はあまりにもショックですぐにその答えを出すことはできませんでしたが、帰宅の車の中で私はその答えを考え続けていました。
いつも使う天国言葉を唱えながら出てきた答えは
なんとかなる
でした。
経験したことがないレベルの深い悲しみの中で最初に威力を発揮したのはなんと私にとって絶対的なエースである言霊「ツイてる」ではなく
「なんとかなる」
という言霊でした。
(この話は明日のブログで詳しく書く予定ですが、悲しみが大きすぎる場合、とりあえず発することができる言葉は「なんとかなる」が一番敷居が低いと感じました)
次に・・
今回起きている現象を「神的」に考えてみました。
もしかしたら前世では立場が逆で父は母に同じことをしていて、その「カルマ」が今来ているのかもしれません。
そうであればカルマが解消されて「良かったね」と言えるのかもしれません。
また頭に血が上ることはあっても、母はとにもかくにも父の介護のために朝から晩まで24時間一生懸命介護をしてくれています。
四六時中父を罵倒しているわけではなく、自分のストレスが制御できなくなった時にそうなってしまうに過ぎません。
ストレスが制御できなくなった状況は母にとっては「心の叫び」であり、父に対する「愛情」なのだとも考えることができました。
だからやはり
なんとかなる
と思うことができました。
私自身にとってはどうでしょうか?
今回「人の人生は限りがある」ということに改めて気づきましたし、必ず来る自分の「終末期」についても深く考えるきっかけとなりました。
普段健康な我々はともすると半永久的に今の状況が続くと思いがちですが
「必ず終わり(死)は来る」
という根源的なことに気づく良いきっかけとなりました。
「終わりがある」ことを前提に考えると人は生き方が変わります。
自分の葬式から振り返って今どう生きるか考える。
今回の帰省は改めてそのことに強い気づきを与えてくれました。
汚い部分や至らない部分、意地悪な人が現れることやまさかのトラブル。
神的に考えればやはり
魂力の向上
のための「材料」に過ぎないのだという「いつもの結論」になります。
親の介護でなくても、身近な人の死や病気などで今まさに苦しんでいる人はたくさんいると思います。
今回の私の悲しみから得た気づきがそのような方にとって少しでも気持ちを軽くする助けになれば、今回の両親の経験や私の経験も「意味」があったと思えます。
ここまで考えることができてようやく
「ツイてる」
と思えるいつもの自分にたどり着きました。
最初は「なんとかなる」で心を調整し、斎藤一人さん思考で「ツイてる」まで考え方を「修正」していく。
今回もまた「魂力の向上」につながる体験となりました。
斎藤一人さんの教えと出会い17年。
お陰様で仕事もプライベートも順風満帆ですが、久々に「ツイてる」がすぐに出てこない現状に出くわしました。
今回の経験は私にとっては悲しすぎて頭の中で整理するのに時間がかかりましたし、いまだ持って整理できていない部分も正直あります。
しかしだからこそ得られた気づきもたくさんあります。
(そのうちの一部は明日のブログでもお伝えします)
本来「隠したいこと」でしたが、それでも一連の「気づき」をシェアすることで、「たった一人」救われる人がいれば良いと思い、勇気を出してブログを書いてみました。
あなたの身近な人とあなたの心がさらに輝きますように。
あなたが今とてつもない孤独の中にいても私はあなたを応援しています。
今日も最幸の1日になりました!
あなたに全ての良きことが爆発的に起きます!!
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