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内科専攻医日記・6月〜飲み込んだ感情の澱

先生のメンタルが心配です。
さして交流のない上級医に先月そう言われて、頭を捻った。
別に辛くない、まだできると思っていたし、疲れを表に出しているつもりもないのになぜそんなことを言われるのかわからなかった。

今月、職場で涙が止まらなくなったことが2回あって、ようやくその先生が言っていたことがわかった。自覚がなかっただけで私は相当追い込まれているみたいだ。

初回は1日の業務が終わって、ようやくカルテをゆっくり書けると思った午後17時半。終業は17時なのに看護師から電話がかかってきて、診察してくださいという。仕方ないから行ったら確かに症状あるし、でも多剤耐性菌の患者だから手の打ちようがなくて焦った。連絡してきた看護師に時間外にごめんなさいとか言われて、だったら電話かけてくんなよと内心思いながら全然いいですよとか言っちゃう自分も嫌だった。Rが並ぶカルテ画面を眺めながら涙が止まらなくなって、誰もいない夜の外来でひとしきり泣いて、それからカルテを書いて、22時に帰った。
泣くほどのことでもないだろうに、生理中だから情緒不安定だったんだろうと納得していた。

2回目、先週の外来日は、忙しすぎた。15時に大体片付いて一瞬息をついた瞬間から涙が止まらなかった、泣きながらカンファも回診もした。
あんまり感情的になったことがないので、何で自分が泣いてしまうのかわからないのが怖くてさらに涙が出てくる。これは原因と対策を練らないとこのループから抜け出せない。また夜の外来の診察で泣きながら考えてみた。

泣くってことは辛かったんだろう。何が辛かったのか。
そういえば今月は人手が足りなくて仕事が多かった。病欠の先生や他の業務がある先生の代わりに働いた。あの先生のためなら頑張ろうと思っていた。でもよく考えれば、それが嫌じゃなかった訳じゃない。知らない患者のことを把握して、動かすのは緊張する。他に先生がいないので困っても聞けない。わからない、できない、不安になりながらどうにか前に進めていたんだった。
そういえば私が休んだって、その先生達が私の患者を見てくれるわけじゃないことも不公平だと感じていた気がする。確かに私が下っ端だけど、負担に思ってないわけじゃない。

後輩の面倒を見なきゃいけないのも大変だった。私より知識があるから指導しづらいし、私より経験がないから若い力で猪突猛進突き進む。その責任を負って看護師に謝るのは私だった。その子と組むのはやめて突き放した。一緒にやるより自分でやったほうがスムーズだ。でも私の上司は私を見捨てずに指導してくれるのに、私は後輩に同じようにしてあげられないのは後ろめたかった。

そう、よく考えてみれば色々あったのだ今月は。辛かったんだきっと。
でも涙が出るまで、それに自分で気づいていなかったのは、私の性格の問題だ。

冷徹だね、と言われたことがある。
自分でも感情の起伏がない方だと思っていた。でも何にも感じていないわけじゃないらしい。思うことがあってもそれを自覚する前に飲み込んじゃうところがあるのだ。
ずっといい子をしてきたからかも知れない。
兄弟は問題児で、親は手一杯だった。私だけはいい子でいようとしていた気がする。感情を無視するのに慣れてしまっただけだ。

今までの平穏な日々はそれでもどうにかなっていた。社会人として、終始ドタバタしている病院という場で、下っ端として理不尽に過ごしていると、飲み込む感情が多すぎて消化不良になってしまうに違いない。それは澱となって
蓄積して、涙として溢れだす。

辛いんだ、私。気づいてしまったらもう、出勤したなくなってしまった。

これ適応障害だな、と思いつつ休むのも面倒なので出勤し続けて月末を迎えてしまった。

こんなんだから程のいい労働力になってしまうんだ日本人は。


キース君の言うとおり


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