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内科専攻医日記・4月〜へえ過労死ってあるんだーじっさーい


医学部を卒業後、2年間の初期臨床研修を行う。いわゆる研修医というやつで、1ヶ月ごとに色んな診療科を回って研修する。3年目は自分の好きな病院の好きな診療科に就職し、その科の専門医の資格を取るために3−5年間の研修をする必要がある。いわゆる〇〇科専攻医だ。
なので研修医になったと思ったら1年目の終わりくらいから3年目の就活をしなければいけない。まあまあ慌ただしい。

私は3年目の後半は留学してフラフラ遊びたかったので、就活はしなかった。
しかし前半はおまんまを食べるためにも労働せざるを得ない。医者の仕事はアルバイトの方が割がいいけど、ちゃんとした病院で働いていた方が体裁はいい。
そこで研修医2年目の秋、ERで患者を待つ間、上級医に「ここでこのまま働かせてくれたら楽なんですけどねー」と相手が銭婆だったら名前を全部取られた上にカオナシの食事にされそうな発言をしたら、「いいよ、上の先生に話つけておくよ」と話がとんとん拍子に進んでしまった。

内科でも救急でも受け入れてくれるとのことで、それぞれの長とばったりあったときに相談したら、いいよー、これが面談代わりね、どっちに所属か決めたら教えてーとのことだった。
ゆるい、ゆるすぎる。ごめん氷河期の人。

そして医者3年目4月、内科専攻医となった。
9月から留学なので、4−8月しか働かない。内科医になる気もない仮の身分である。でも体裁がいいので専攻医を名乗ることにした。

まあ大丈夫だろ、と思っていた。研修医として内科は3ヶ月研修したし。

全然違った。過労死ってこうやってなるんだと知った。

過労死のニュースを聞くたびに判然としない気持ちだった。過労死ってどういう病態なのかよくわからないし、そんなに働かせてくる会社なんてさっさとやめればいいのに、と思っていた。が。

まずご飯が食べられれなくなった。朝はいつもフルーツを食べていたけど、スーパーが空いている時間には帰れなくなった。
昼は時間がなく食べられない。夜も業務で食べられない。仕事が片付いた頃には食欲は減退しており、あとは寝るだけ。何度も無視された食欲くんは拗ねたのか次第に現れなくなった。

おかげで1ヶ月で4kg痩せた。これはまずいな、と思いつつも、もう胃は縮んでいて1人前は食べられなくなっていた。きつかったスクラブが着られるようになったのを喜ぶことにした。


そして常にドキドキ、交感神経が亢進していた。
研修医の時は、何をするにも上級医が最終判断をし、責任を持ってくれていた。
自分で人の命の責任を持つのは初めてだった。
自分の判断が正しかったか、常に不安でドキドキしていた。家に帰っても、今患者がどうなっているか気が気じゃなかった。唯一ゆっくりできるシャワーで反省会を始めてしまい、ちょっとしたミスややり残しに気づいては、ああ、明日あの人は生きているだろうかと不安が止まらず、水道使用量は3倍になった。
毎日のように動悸が起こり、このままウッてなって、人って死ぬんだと思った。リズムが一定で、始まりと終わりがはっきりしないことを確認して自分を落ち着かせていた。

そんな日々が続くと、ぼーっとしてくる。
スーパーの店員さん何て話しかけられているのかわからなかった時、流石に今の自分やばいなと思った。

でも普通に出勤し続けた。
辛かったけど、周りはみんな優しくて、出勤するのは嫌じゃなかった。
仕事量が多いというよりは自分の処理能力の低さが過労の原因だったので、長期的に見て楽になるには働きつづけて自分の能力を上げるしかなかった。
患者のことが不安だったから、不安を解消するには元気か確かめに行くしかなかった。
全てが勉強だったし、全部自分のプラスになっている感覚があった。

患者の命とか、自分の成長とか、そんな大事なものを目の前にぶら下げられたら立ち止まるのは難しい。

重症の患者さんが亡くなったり退院したりで少なくなり、ゴールデンウィークで強制的に休まされたから過労死の道に転げ落ちずに済んだものの、
このままだったら断末魔もあげずにポックリ逝っていた可能性がある。

なおこれで残業90時間なので、過労死ラインを超えておらず、年間残業1890時間の規制にも引っかからない。過労者としてはひよっこもいいところ、本物はもっとすごいらしい。

過労死ってあるんだなあ、実際。



PS 未だ疲れて見えるようで通りがかりの先生方に心配していただきますが、筋トレしすぎた結果筋肉痛で歩きにくいだけです。元気です。











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