内科専攻医日記・7月〜返しきれないBig Love
堂々と泣いてた6月とは打って変わって、
今月は職場の人手が足りていたし、入院患者も落ち着いていたので3回涙目になったくらいで済んだ。(嘘です、ちょっとは泣いた。)
落ち着いた途端、8月末の退職に向けて寂寥感が出てきたけど、それはここが、ここにいる人が好きだったってことみたいだ。
大切にしてもらって
8月の退職が迫ってきて、たくさんの人から大切にしてもらっていたことに気がついた。
「内科医になりたいわけじゃないけど、9月から留学したいのでそれまでの間内科で働かせてください」というバカ身勝手なお願いに「ウェルカムだよ」と快諾してくれたボス。
退職届けにサインをもらいに行ったら、私の名前を叫び嘆きながら、また帰ってきてくれていいんだぞと言ってくれた。
他の内科の先生たちも寂しくなるなーと言ってくれる。
病棟を歩けば看護師さんが飲みに誘ってくれる。
他の科の先生たちも私を送る会をしてくれるらしい。
大学の友達も、高校の友達も、半年しか日本を離れないのに、送別会を開いてくれる。
みんな私を口実に飲みたいだけなのではとも思うが、
それでも惜別の声を聞き、送別会の日程が決まる度に、本当にたくさんの人に大切にしてもらっているんだ、としみじみ感じてニヤける。
留学のワクワクの方が勝っていて、かつ他人への執着がないので、寂しくなるなーと言われても共感できずにいた。
でも退職が迫ってきて本当に寂しくなってきた。
それくらい、いい人に囲まれて恵まれた環境だったってことだ。あんまり愛情表現が上手くないので感謝をちゃんと示せなくて申し訳ないけど。
進路はやっぱり五里霧中
医者の仕事はだいたい、臨床と臨床以外に分けられる。臨床とは患者を診断治療する、医者としてよくイメージされる働き方だ。臨床以外にも医者の働き方はあって、例えば研究や公衆衛生、産業保険など。
学生時代、高齢者の延命して何が楽しいのか、医療過剰の日本で働いてなんのためになるのか、臨床に対する疑問というか嫌悪感みたいなものが拭えなくて、予防医学とか公衆衛生に興味をもった。
初期研修は終えておいた方がいいというので、研修医として2年間働いてみた。高齢化に加担する自分に耐えられるか不安だったが、意外と大丈夫だった。
目の前の病気を見ている間は必死で、社会や経済、意義みたいな大きなものは忘れて働けた。
特に楽しかったのは傷を縫っている時だった。アル中だろうが転倒おじいちゃんだろうが、縫える傷があればウェルカムだった。
臨床やるなら傷の専門科、形成外科になろうと思った。
でもやっぱり公衆衛生や予防医学を捨てられるわけじゃない。こんな治療して誰が幸せなんだろうと泣きたくなる日も泣く日もある。泣きすぎで上司が引き気味だ。
一人一人の患者だけじゃなくて、もうちょっと大きな集団とかシステムの構築に関わってみたい。あわよくば海外で働いてみたい。
結局私はイギリスの熱帯医学・公衆衛生学の講座に3ヶ月通い、(2ヶ月間夢だったスペインに住み)、帰国後形成外科に進むことにした。
最初はやりたいこと全部できる、ナイスアイデアだと自負してたけど、最近初対面の人にこのキャリアプランを説明する機会が多くて気がついた。
整合性のかけらもない、やりたいことのつまみ食いで、自分のことながら結局何したいんだかよくわからない。
大学時代の教授に相談したら、「目の前の1日を悩み、苦しみ、楽しんでください」とメールが帰ってきた。
やはり私はたくさんの人に支えられている。
やりたいことがあることも、やりたいことができることも幸せなことだから、とりあえずやってみようと思う。
それがいつか、点と点が線で繋がり、伏線回収大どんでん返しになってくれないかしら。
8月、この病院で最後の一カ月。
寂しいけど身辺整理して過ごします。