見出し画像

短編小説【日本人の心にいつものご飯】

 これは私の友人鳴瀬(なるせ)から聞いた話だ。
 
 この話に登場する米田光太郎(よねだこうたろう)は一五の頃より、突如人が変わったかのように豹変する時があったらしい。
 それは、米を目にした時に化ける。そう、化けるのだ。お米を見た途端、飢えた獣のように変貌し、貪り食らいつくすのだ。あまりの変貌っぷりに人々は畏(おそ)れた。
 また、そのことを直接本人に聞くと、その時の事はまるで覚えていないと言うのだ。
 これは、米田光太郎の身に起きた珍談である。




 友人の鳴瀬が米田光太郎と出会ったのは街で有名なデカ盛り料理店だった。
 最初鳴瀬が彼を見た時、とてもじゃないがデカ盛り料理は完食できないと思ったらしい。
 なぜなら、彼は大人しそうな顔つきにおかっぱ頭。痩せた女性のようにほっそりした体つきをしていて、どう見たってフードファイター向きの体つきをしていなかったからだ。
(どうせ、完食はできないだろう)
 それが鳴瀬の第一印象だった。
 しかし、彼はジャイアントコングライスをぺろりと完食した。
(なんなんだ、こいつは⁈)
 思わず呆気にとられてしまい、完食を果たした彼が店を出て行くのをただただ見送るしかできなかった。
 
 鳴瀬が再び彼と再開したのは翌日の朝だった。
 朝のホームルームの時間、転校生が先生に連れられてきた。教室は転校生の登場にざわついた。
「転校生の米田光太郎です。趣味は読書。よろしくお願いします」
 簡単な紹介が終ると、教室は静かになった。彼の地味な外見とありきたりな趣味に皆の興味は薄れたのだろう。ただ、鳴瀬だけは違っていた。
 
 それから数日後、事件は起きた。
 給食で白米が出されたその日。鳴瀬の教室にて、惨劇が起きたのである。各クラスごとに配給されるワゴンが教室に運び出され、白米が顔を現すとそれまで大人しくしていた米田光太郎は豹変した。
 獣のような雄叫びをあげ、鬼の形相で白米を睨みつける。四足歩行の構えをとって、飛びかかったのだ。
 米を犬食いで貪り食らう。体力自慢の男子生徒やら複数人が抑え込もうとするが、信じられないパワーに圧倒され、全く彼を止めることが出来ない。もはや彼の瞳には米しか映っていなかったのだろう。誰が何を言っても全く聞く耳を持たなかった。
 とうとう、米をたった一人で完食してしまった彼は教室を飛び出した。他クラスの白米が狙いだったのだろう。
 嵐のように他クラスに現れては米を蹂躙していく米田光太郎。体育の先生たちが総動員で彼を捕縛するのに躍起になるが、どう足掻いても止めることは出来なかった……。
 その後、警察まで駆け付ける大事件にまで発展を遂げ、警察官の用いた催涙スプレーの一撃によって事件の幕は閉じられる。だが、米田光太郎が目を覚ました時、彼は何も覚えていなかった。
 学校中に激震が走る。
『超絶地味だった謎の転校生は、実はキチガイだった⁉』
 新聞部が特急で作成した号外新聞が学校中の掲示板に貼り付けられ、皆がこの話題で持ちきりである。
 件(くだん)の事件後、米田光太郎は本格的に居場所がなくなっていた。誰もが彼の豹変っぷりに恐怖し、関わることを避けたのだ。
 しかし、彼は米を目にしない限り、普段と変わらず地味で何のとりえもない大人しい子だ。
 一旦、給食などで米を見た日は大暴走し、悪夢を見る羽目になるが……。
 学園側は早急に、対策を打ち出した。米料理が出る日は彼だけ別室で食事を取らせたのだ。これにはPTAから強い圧力がかかり取った結果である。
 
 デカ盛り料理店の一件から米田光太郎に興味があった鳴瀬は秘密を暴こうと画策した。
 作戦はこうだ。
1.空き地の真ん中に炊きたての炊飯器をセットしておき、彼を呼び出す。
2.彼が飛びついた先に落とし穴を用意し、叩き落とす。
 
 作戦は入念な準備を施して、決行された。そして、まんまと米田光太郎は落とし穴に落ち、身をもがいていた。
「オマエ、コンナ巧妙ナ罠ヲ仕掛ケルトハ、ヤルナ」
 それは米田光太郎の声ではあるが、どこか異質な音を纏っていた。
「お前は誰だ?」
「我ヲ捕エタ褒美ダ。教えてヤロウ。キツネだ」
「ハァ?」
 ふざけているのかと思い、思わず素で馬鹿にするように聞き返した。
「フフ……目的カ? 我ノ目的ハ米ヲ食らう事ダ」
 鳴瀬からすればキツネの目的など激しくどうでもいいことである。第一、お前の目的なんか誰も聞いてないわボケ! っと、言いたかったが、ぐっと堪えた。
 鳴瀬は正体を探ろうとする目的を忘れてはいなかった。
「米田君……? いや、キツネ。お前は妖怪なのか?」
 五秒ほどの沈黙。
「否。我ハキツネ。我ノ妖術ナリ。コノ男児ノ肉体ヲ使って米ヲ食ラウ!」
「……どうしたら、その妖術を解いてくれるんだ?」
「米六〇〇キロヲ、我によこせぇ! 我によこせぇ! よこせぇ!」
 突然、流暢(りゅうちょう)に言葉を操るキツネ。
(まじ、こいつなんなんだよ!)
 さすがにこれには鳴瀬も引いた。質問をやめ、キツネの様子をジト目で観察し続ける。
 米田光太郎の身体は穴底で、醜くもがき暴れ続け、泥まみれになっていた。
 しばらく暴れまわるキツネを観察するも、なるほどわからん。と、結論を弾き出した。おびき寄せる餌に使用した炊飯器の中身を全て穴底に捨て、空き地を後にした。
 穴は深く、おそらく自力で這い上がることは不可能だろうが知ったことではない。
 落とし穴をこしらえる際に山のように積もった土を穴に戻し、生き埋めにしなかったのは鳴瀬の最後の良心がそうさせたのだ。
 
 翌日、米田光太郎は欠席し、消息を絶った。念のため、学校帰りに穴を見に行くと見事に塞がっていたという……。


 謎のキチガイ転校生、米田光太郎。彼はキツネの妖術によってとりつかれた哀れな被害者だった。
 多くの謎を抱えたまま彼が失踪して二週間が経った。
 今じゃ学校中で彼は宇宙人。または地底人説などがささやかれていたが、誰も真相を知らない。
 鳴瀬だけが妖怪(キツネ)の仕業と知り得た唯一の人であったが、他人に話す気にならなかった。
 あのマジキチっぷりを誰かと共有するということは同類に思われる覚悟を持たなければならない。生憎、鳴瀬にはその覚悟はなかった。むしろ、米田光太郎は生き埋めにあって死んでしまったとさえ思っていたほどだ。
死の原因を作ってしまったことを他人に話せるはずがない。だが、後悔もしていない。
 
 土曜の授業を終える鐘が鳴る。
 授業で静まり返っていた教室は一斉に喧騒へ移り変わった。鞄を担ぎ、教室をあとにする者もいれば、残って友人と雑談を楽しむ女子たち。または、いそいそと部活へ行く運動部の連中がいた。
 時刻は一二時三十分。今日は午前授業の日だ。鳴瀬は久々にデカ盛り料理店に行くことにした。
 
 店に到着すると早速オーダーを済ませる。待つこと十分。目の前の大皿に特盛りのチャーハンが置かれた。その圧倒的なボリュームに一部皿からこぼれおちるほどだ。
 いざ、食べ始めようとスプーンを手に取ろうとした時、
 店の扉が勢いよく開かれた。
 血走った眼と獰猛(どうもう)な野獣のような牙のような歯をチラつかせた何かが、こちらを鋭く睨んでいた。
 鳴瀬が置き去りにし、以後行方をくらませていたはずの米田光太郎だった。
「その米をよこせぇ……よこせぇ……!」
「……わかった。お前も食うか?」
 言いながらスプーンを手渡そうとするが、それをはねのけた。米田光太郎もとい、キツネはチャーハンに飛びかかり相変わらずの犬食いで食らい始めた。
 五分後。山のように盛られていたチャーハンの塊は姿を消し去っていた。
 結局鳴瀬は一口も食べられずキツネが全て貪り食ってしまったのだ。
「我ハ足リヌ、モットよこせぇ!」
「おい、キツネ!」
「ム、貴様ハアノ時ノ童(わっぱ)カ? 我ニ何用カ?」
「ちょいと話がある。ついてきてくれ」
「マタ米ヲ我二献上スルノカ? ナラバ行ク」
 デカ盛り料理店を後にし、キツネを連れて家に帰宅する。
 炊飯器に米を最大量セットする。数分後には炊きあがるはずだ。
「おい、お前今までどこに行っていた?」
「え? 何の話? っていうか僕は一体……?」
 先ほどまでの獣のような佇まいとは一変し、地味で内気そうな少年がキョロキョロと不安げにしていた。
「……。キミは米田くんだよね?」
「あ、うん」
「しばらく学校を休んでいたみたいだけど、どうしていたんだ?」
「僕にもよくわからないんだけど、気付いたらお腹を壊してて、入院していて……」
 鳴瀬は思わず絶句してしまった。拍子抜けもいいところだ。軽くめまいを感じたが、それを振り払う。
「米田くんが学校来なくなったからみんな心配していたよ」
 もちろん嘘だ。
「そういえば長い間お休みしていたから、そりゃそうだよね……」
 米田光太郎は真に受けたらしく、しゅんとしていた。
「いや、別にそのことを責めているわけじゃないんだ。ただ、キミが入院する原因を心配しているんだ」
「え? 原因って、気が付いたらお腹壊してて……」
「キミはキツネに憑依されている」
 米田光太郎はまじまじと成瀬を見つめる。
「やっぱり、そうだったんだね……」
「気付いていたの⁈」
「あ、うん。ぼくの中に別の何かがいるのは知っていたんだ。それに、夢にもよく出てきて語りかけるんだ」
「キツネはなんて言ってきているの?」
「『我は戦争孤児で腹をすかせて飢え死にした子の生まれ変わりだ』なんて、言ってた」
 なんとなくキツネの深く悲しい出来事とそれにまつわる事情は理解したが、何か釈然としないのはなぜだろう。と思い、頭を抱えた。
「だから、ぼくもかわいそうに思えてね。身体を貸していたんだ」
「は⁉ 気付いていて身体を乗っ取られるのを容認していたってこと?」
「……そう、なるかな。なんだか、みんなをだます形になってごめんね」
「いや、別にそれは、どうでもいいんだけど」
 なんていうか、支離滅裂すぎる。
「いったん、キツネと話がしたいんだけど、できる?」
 米田光太郎は腕を組み考える姿勢を取る。っと、
「できると思う。ぼくからキツネに話しかけたことはないから自信はないけどね。ちょっと待ってて!」
 そう言うと、目を閉じふっと身体の力が抜けたかのように腕がぶらりと垂れさがったのが見える。
「我ココニ在リ」
 やっぱいちいち、登場するセリフがめんどくさい。
「やい、キツネ! お前の大好きな米をたらふく食わせてやるから質問に答えろ!」
「米ガ先ダ! 米をよこせぇ! 六〇〇キロ、今すぐよこせぇ!」
 ダメだ。相変わらず会話にならない。
 その時、炊飯器から炊けたことを知らせる音が鳴った。
「……わかった。米が炊けたから、先に飯にしよう」
「ヤッタゾ! 米! 米! 米‼」
 いくら飢え死にした生まれ変わりだからと言ってコイツは絶対精神的な病気を患わせていたに違いない。間違いない! と、思うのであった。
 
 ものの三分ほどで炊飯器の最大量、十合をぺろりと平らげてしまったキツネ、もとい米田光太郎の腹はマンガで見るキャラクターのように膨れ上がっていた。まるで妊婦だ。
「我ハ満足シタ」
「キツネ、お前は飢え死にした子供の生まれ変わりだったんだな」
「イカニモ。我ノ悲願ガ叶ッタ。感謝スル」
「……そりゃ、どうも」
 キツネは礼だけ述べると、静かに腹をさすり、そして、口を開いた。
「これで、これで、立派な赤ん坊を授かって養えるだけの養分が蓄えられたわ! さ、妖術なんてさっさと解いて、帰るわ」
 最後の最後で最も流暢に日本語を操ったキツネはそれっきりあらわれることはなかった。同時に米田光太郎にまつわる不思議な現象は起きなくなったという。
 短くも長い、支離滅裂の珍談を聞かされた私はこう叫ぶのだ。
「お前、女だったんだな⁈」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?