嫌われたら、傷つくべきだろうか
子供の頃、知らぬ間に人に嫌われていた、ということがよくあった。
幼稚園のとき、突然ある子に呼び出された。その子は今にも泣き出しそうな顔で、バツが悪そうに「あんたのこと嫌ってて、ごめん」と謝ってきた。目尻の釣り上がった感じの、ショートカットの女の子。
それで「ああ、やっぱ嫌われてたんだ」と思った。なんか意地悪をされてたと思う。ただ、何をされたか思い出せない。私はその時なんて返したかも、覚えてない。
中学生の時も、同じことがあった。男女グループの中で、一人だけ私のことが気に入らない男子がいた。私は気まずいなと思いながらも、彼にだけ色々遠慮して、難なく過ごしてたと思う。そしたらやっぱり、ある日突然謝られた。
彼は年賀状にびっしりと、「嫌いでいてごめん」と、気に食わないと思ってた、でも本当は仲良くしたかった、などなどを書いて送ってきた。私は、ようやくあの息苦しい日々から解放されるんだと思って、ホッとした記憶がある。
きっと、私が気が付いてないだけで、私を嫌いな人なんていっぱいいたんだろうな。「調子のってる」とか「自慢げ」とか「仕切ってる」とかは聞こえる程度の影口としてよく言われてたし、実際にそういう子供だったし、今もそうなんだろう。
高校生の頃はなんでか、クラスのナンバー2くらいの男子に嫌われる、ってことがよくあった。今思えば、単に私がいわゆるリーダー格だったせいなのかもしれない。私が彼らの教室に入ると聞こえる声で「うっせいのがきた」「まじあいつうぜえ」みたいな悪態つかれたりすることはよくあった。
ただ誰一人、わざわざ私の目を見て言う人はいなかった。なんていうか、私に向かってるんだけど空気に言ってる、みたいな。そして気がつくと、彼らとも仲良くなっていた。きっかけは思い出せない。ただ、私の影口を言いふらしてた学年1の長身の彼とは、卒業するころには肩を組んで写真を撮ってたような記憶がある。
この頃には、「最初に嫌ってくるやつの方が、一度仲良くなったら熱いぜ」くらいのことを呑気に考えていた節がある。恥ずかしいくらいに真っ直ぐな青春少女だった。
しかし大人になった今、彼らの目に自分はどう映ってたんだろう、とふと振り返る。
私は子供の頃から、人を嫌いになるという感覚があまりよくわからない。気に食わないとか、嫉妬程度なら人並みに抱くんだけど、例えば嫌ってたことを謝ろうと思うほど、熱心に人を嫌った記憶がない。
なんとなく離れていったり、季節が合わない感じがして、やんわり距離を置くようなことはいくらもあるけど、「嫌い」ってほどの感情を相手に抱き続ける、ということがあまりなかったように思う。(繰り返すけど「気に食わない」はある)。
だから私は「嫌っててごめんね」なんてわざわざ謝ってくる彼らは、なんて心が豊かなんだろうと今更ながらに思う。多分当時の私は、調子に乗って、何か顰蹙を買うような部分があったんだと思う。知らぬ間に傷つけるようなことを言ったことも、あったんだろうし。
だから彼らも、ちょっとの嫌味とか無視とかして、彼らなりに牽制なり無言の抗議をしてたんだろうけど、私もそこはちゃんと気が付いていたんだけど(これは嫌われてるな?という)、かといって私も何もしないし。周りが一緒になって私を嫌うようなら展開も変わったんだろうけど、そういうことも起きないから、それは嫌い甲斐もなくなってしまうよな。
嫌い甲斐がない。それはどんな気持ちだったろうな。嫌いなのに、傷ついたり嫌がるような期待した反応もされなくて、なんとなくそのまま時間が過ぎていって、気が付いたら別に嫌いでもなんでもないってなっちゃって。だけどそのままいきなり態度を変えるのも気が引けるから、きっとすごく重い腰を上げて、わざわざ「ごめん」なんて謝ってくれたんだろう、と思う。
それはなんだか、とてもしなやかで強い心だな、と思う。しなっても自らの力で戻って、またしなって。そうやって、ちょうどいい落とし所を見つけて、最後は自分の心に素直に従ってゆく。そしてしなった分だけの、感情体験だけが豊かに残る。
一方で、謝られた私はどうだったんだろうな。
少しは傷ついたりもしてたんだろうか、と振り返ってみたけど……。
少なくとも私は、人に嫌われることで、自分に「傷つく」ということを許してはいなかった、ように思う。
元々、傷ついていたのは彼らだったんだろうし。それは私が傷つけたというより、彼らの中に元々あった傷が、私によって刺激される部分があった、という認識が正しい気がする。
だから幼い頃の私は、彼らの意地悪に、反応できなかったんじゃないかな、と思う。彼らが私に意地悪をするのは、過去に傷ついた思い出が見せる「影」への防衛反応からくるもので、私はただそれを刺激してしまっただけだったんじゃないか。
だからこそ、彼らの傷の「影」を煽ることは、私には許されない行為なのだということを、本能的にわかっていたような気がする。
だから、決して相手を侮ってなどいない。意地悪や無視されることに反応しないのは、実は相手への尊敬、尊重につながると、私は信じたいのだ。
相手のことを、好きであればあるほど。
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