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オープンプラットホーム通信 第188号(2022.10.22発行分)

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はじめまして。
NPO法人ウェルビーイングは、人々のwell-beingの実現するために自ら活動することを目指し、全国各地で活動している人たちを結び、集まり、分かち合い、元気になるオープンプラットホームの実現を目指しています。well-beingとは、「良好な状態、安寧、幸福」という意味です。
このメルマガでは、ウェルビーイングに集う理事や会員のそれぞれのウェルビーイングな日々やアンウェルビーイングな日々を綴ったエッセーをお届けします。

喫茶去 第87回 よいということ(6)


不思議なことに、古代中国の思想家たちには「聖人になる」方法と手順への関心がなかったようです。よいということ、よいことをおこない考えること、その結晶したありかたを聖人とよぶなら、そういう人物になりたいという心をわたしたちはどこに預ければよいのでしょうか。孔子の人間論を敷衍(ふえん)した孟子の「性善説」は、そうした聖人願望に思想的な根拠を与えるものでした。わたしたちの本性にもともと善がそなわっているならば、そのすじみちさえ立てるなら、だれしもが聖人に近づくことができる(少なくとも善人にはなれるはずだ)からです。この凡人にも活路を開く可能性を思いきり広げたのが、前回ふれた宋代の朱熹(12c.)でした。本来の善がなぜ実現しないのかというと、それを妨げるものがあるからで、個々人によって異なるそのじゃまなものを「気質の性(きしつのせい)」とよぼうというのです。といって、個々人が生きるということがすなわちこの気質の性をもつということなのだから、これを無化することはできません。なので問題は、その気質の性の曇りをどうはらうか、にかかっているでしょう。曇りをぬぐい去ることができるならば、本来あるはずの善(「本然の性(ほんぜんのせい)」が実現するはずです。

江戸時代の日本の思想地図をながめていると、中世には禅僧たちに占められていた儒教の研究がおおきく開花したようすが見られます。そしてこの儒教の研究(儒学)をさらに研究する学者たちが後世ヤマのようにあらわれます。若年時にこのもようを傍から見て、どうしてこんなにややこしいことになっているのか不思議でした。大半が喰ってゆくための仕事とだとしても、一部にはきちんとした人たちがいて、そうしたごく一部の思想家たちにとっては、やむにやまれぬ生き方としての学問(儒学)があったのだろうという希望的観測だけを温存して半世紀ちかくたち、ようやく三年くらい前にひとつだけ合点がゆきました。聖人になる/聖人になれない、という補助線を引いて、近世儒学を整理してみようというのです。そこでこの発想をもとにこの九月の宗教学会で発表することにしました。下にあげるのはそのさいの発表要旨です。そうですね、学会特有の語彙もさることながらとにかく縮約してわかりにくくなっています。でも、いまこれを有意にほぐす余裕がありません。いったん挙げておいて、あとでなんとかしよう(なんとかなるだろう)と思います。

〇聖賢への道 - 宗教者の三類型に照らして -

古代中国の聖人たちとは堯・舜・禹・湯・文王・武王・周公のことで、これを称揚した孔子と孟子をふくめて聖賢とよぶこともある。主題はひとは聖人になりうるのか、その方法は何かという問いである。以下、端的な二つの立場を近世江戸思想からあげてみる。

ひとりは石田梅岩[1685-1744]。儒学者との対話(『都鄙問答』巻三)で、なぜ性善説をとるのかと問われた梅岩は、ふたつの主張をした。(1)孔子の「一貫」(論語里仁篇)とはなにか。(2)学問の目的とは何か。(1)は古典の読み方にかかわる。論語では、「吾が道は一以てこれを貫く」の一は忠恕だと弟子の曾子が後輩たちに教え伝えている。これをそのまま繰り返す儒学者に梅岩は、「汝性善を知らずして一貫を以て忠恕と云は、曾子の粕を食ふなり。一貫と云は性善至妙の理にて、聖人の心なれば、言句を離れひとり得る所なり」と手厳しく批判する。用語そのものにとらわれるな、との趣旨である。(2)つぎに「此は聖人のことにて今の学者の知るべき所に非ず」と消極的な発言をする儒学者に「学問の第一の所は聖賢に至ることなり。性善を知るは聖賢に至るの門なり」と明言する。孟子の語彙をかりて、善は即ち生命であり、浩然の気を以て大丈夫になるとも説明している。ではどのようにしてその道をたどるのか。弟子の記録には、とある朝の体験に「忽然として年来の疑ひ散じ、堯舜の道は孝悌のみ、魚は水を泳(くぐ)り」云々(「石田先生事績」)とある。師匠の小栗了雲の存在をふくめ、おそろしく仏教的な場面だが、「神儒仏は磨き草」として三教一致の立場をとる梅岩にはこの弁別は些事である。大切なことは、かれにとっての性善説の意味である。「事績」には幼少期からの「性格の難」に苦しんだとあるから、これを克服するよすがとしての性善は生きるための方法だった。遠望すれば、時間(古代)と空間(中国)と徳の高低という落差を超える鍵(善という共通項)の発見である。

もうひとりは荻生徂徠[1666-1728]。かれは聖人にはなれない説をとった。「いにしへは学んで聖人となるの説なきなり」(辨道)とし、「東海は聖人を出ださず、西海も聖人を出ださず」(学則)。では聖人たちの仕事とは何か。「先王の道は天下を安んずるの道なり」「先王の道は詩書礼楽なり」(辨道)「伏羲・神農・黄帝は皆聖人なり。然れども其時にあたりては、徳を正すの道未だ立たず、礼楽未だおこらず、後世得て祖述するなし。堯舜に至り、礼楽を制作して徳を正すの道始めて成る」(辨名「聖」)。すなわち礼楽制作者としての聖賢であり、これに「なる」のでなく「ならう」のみとする。徂徠の立場は、儒学の中枢を占める朱子学(惺窩・羅山)の否定であり、宋代の朱熹[1130-1200]ら後学の敷衍・解説を排して、孔子その人の原典へと深い意味で語学的に遡及する手順を古文辞学とよんだ。この孟子をも否定する徹底した立場は、修身/斉家/治国/平天下から修身を分離し、外化した制度としての道による治国平天下を求めたものである。徂徠のこうした近代的思考法は「人倫と政治の分離」(丸山眞男)、古代の異国との「パイプを通す」(吉川幸次郎)「経世済民」の学(柳田國男)というように近代知識人に思索のバネを与えた。

遡って孟子の楽観的性善説「人々己に貴きものあり 思わざるのみ」を方法化した朱熹の構想は、本来善である「本然の性」を個々の「気質の性」が曇らせているとして、曇りを除く方法に「居敬」と「窮理」をあげていた。この方法のもつ具体性と可能性は、道教にいう「坐忘」とともになお検討を要する主題だが、総じて古代中国の聖人たちには「〇〇になる」方法への関心の薄さがあり、朱熹ら後学はその負荷を免れていない。宗教者の三類型を簡略化して整理すると、預言者(神とでくわす)修行者(〇〇になる)老賢者(古代の聖人にならう)となり、次に修行者に照らして三宗教者類型の深化を図ろうと思う。
(日本宗教学会第81回学術大会 2022.09.11 愛知学院大学)

さて。

☆☆筆者のプロフィール☆☆
関 一敏
勤務先:NPO法人ウェルビーイング・ラボ

感じ考え組み立てる 第63回 プロチャスカの「変化の過程」とプチプチ


このところ、プチプチやポリ袋を用いて、手から触覚的に健康教育やヘルスプロモーションを考える試みを続けています。今回はプロチャスカのトランス・セオレティカル・モデルを取り上げます。

トランス・セオリティカル・モデル(TTM)は保健行動を変容させる理論モデルのひとつで、プロチャスカらが1977年から開発を始めました。「変化の段階・ステージ」という名前で知られ、行動変容ステージモデルと呼ばれたこともあります。ステージはこのモデルの特徴ですが、このモデルには様々な心理・行動理論を取り入れた「変化の過程」という別な特徴もあります。

TTM は福岡でも人気があり、かつては健康日本21の関連で、福岡市健康づくりセンターがプロチャスカ氏の来日に合わせて、講演会を開いたこともあります。

保健行動を変容させる理論にはヘルス・ビリーフ・モデルなど多くのものがあります。ではなぜプロチャスカのTTMが特に人気があるのかといえば、それまでのモデルが行動変容を認知的な要因で説明しようとしていたのに対し、TTMは説明ではなく、働きかけの可能性と手段を具体的に示している点です。変化のステージ(1~6)は工程表と、変化の過程(1~10)は働きかけのガイドラインとして理解できます。

では「変化の過程」は具体的にはどのようなものでしょうか。まず過程名を挙げます;1.意識高揚、2.ドラマティック・リリーフ、3.自己再評価、4.環境再評価、5.社会的解放、6.自己解放、7.援助関係、8.反対条件付け、9.強化管理、10.刺激制御。

過程名だけだと分かりにくいかもしれません。この10過程がどのように導かれたのかをプロチャスカの短い説明で示します。

『この10過程は、心理療法と行動変容の主要な理論の比較分析から生まれた。目標は、精神・心理療法の300以上の理論に断片化されていた分野を体系的に統合することだった。比較分析では、フロイト派の伝統からの「意識の向上」、スキナー派の伝統からの「不測の事態の管理」、ロジャーズ派の伝統からの「援助関係」など、10の異なる変化のプロセスが特定された。』

この説明を読むとプロチャスカの「変化の過程」とは、20世紀に現れた人の心や行動を動かすほぼ全ての考え方から重要な要素(フロイトの系統、スキナーの系統、ロジャースの系統)を抜き出したものといえます。「変化の過程」の項目名を再度見ると、自己・解放・再評価という言葉が繰り返し出てきます。何も問題意識を持っていない状態から意識を高め、感情を動かし、自分自身を見直し、周囲の世界を見直し、不健康な生活習慣から解放されることが10の過程全体で示されています。その出発点は自分の存在に気づき考え始めることです。

私はこの「変化の過程」に関心を持ち、ここしばらくは、プチプチやポリ袋を用いて、触覚的に各過程を追体験することを試みています。どんな雰囲気の試みなのか、最初の3過程を紹介します。

・過程1.意識高揚;まず目を閉じ、プチプチに触れてください。もし意識せずになんとなく指先がプチプチを潰し始めていたら、改めて「潰したいという気持ちはどこから出てくるだろう?」と考えてください。今まで意識していなかったことに意識が向き、新たな感覚が生まれてくるでしょう。これが意識の高揚です。

・過程2.ドラマティック・リリーフ(劇的開放); 改めて自分の感情がどのように動くのかを意識しながら、プチプチの一つを潰してください。潰すと開放感が得られたり、また潰さないでいると、落ち着かなかったりするかもしれません。劇的開放とは、自分の現在の生活習慣を見つめ、感情を動かすことです。ほんのちょっとでも心配したり安心したりすることで、感情が動き始めます。他の人の立場に立って感情を動かしてみることも有効です。

・過程3.自己再評価; 夢中になってプチプチを潰していた自分を、外側からの第三者的な視点で見なおしてみてください。潰していた自分は、改めて、どのように見えるでしょうか。このようにして自分を捉え直し「もっとこうありたい」「このような自分になりたい」などと考え始めることが自己再評価です。

指先でプチプチに触れ、プロチャスカの各過程の追体験を始めることで、自分を変化させることができると感じました。

☆☆筆者のプロフィール☆☆
守山正樹
勤務先:NPO法人ウェルビーイング・ラボ

ドクター・マコ At Home! (アット・ホーム) 第137回 知床の沈没船は流転の軌跡を辿っていた


 北海道・知床半島沖で沈没事故を起こした観光船「KAZUⅠ」のルーツの紹介が新聞に載っており、元造船技術者であり、かつ一級小型船舶操縦士免許を持っている川上としては、少し書きたいな、と思います。

こういう新聞記事が載る場合、必ずその船の「総トン数」が表示されるわけですが、この総トン数及び、陸からの距離制限によって、操縦士免許が決まって来るのです。

ちなみに、川上が所持している免許で操縦できるギリギリの船が19トンまでなのです。おそらく、この事故を起こした船長も、この免許を持っていたと思われます。

この小型船舶操縦士免許は、車の優良ドライバーの更新年と同様、5年毎に更新されます。さすがに実地試験はありませんが、その都度、講義を受け、その時点での注意点を伝えられるわけです。当院が開業したのは、平成元年ですが、その前後に船舶免許を取得し、心の中では密かに、60歳台で医院を閉じ、あとは悠々自適に、海へ船を出し、魚釣りでもやって暮らそうかという腹づもりだったのですが、ご存知の通りの歯科医療点数の低迷により、開業時借金と免許のみが残った、というわけです。

記事によるとこのKAZU1は1985年山口県の瀬戸内海側にあった造船所で作られました。

この造船所は瀬戸内海や関門海峡周辺で使われる漁船や作業船などを製造していましたが、既に廃業しています。

KAZU1は進水後、広島県で定期高速船として活躍。

まだ本四連絡橋「しまなみ海道」が開通していない頃「ひかり8号」として三原市と約10キロ離れた生口島(尾道市)間を約30分で走り、通勤通学客や観光客を運びました。元船長の高齢男性は「スピードが出る良い船だった」と振り返ります。

船は95、96年ごろ、岡山県備前市の建設関連会社に所有権が移り、「シーエンジェル号」に改称されました。同市の観光地・日生と瀬戸内市の景勝地・牛窓を結ぶ観光用の航路「エンジェルライン」で使われましたが、航路は利用客低迷で約7年後に廃止。その数年前から同3号の予備船として港内に停泊していることが多かったそうです。
 
船舶の航行区域を定めた船舶安全法では、瀬戸内海は湖や川と同じ「平水区域」に分類されます。外洋の影響を受けにくい穏やかな水域とされ、波の高さが3メートルを超えることも珍しくないオホーツク海とは環境が全く違います。

岡山で点検や船底塗装などを施した造船所の経営者は「高波を受けたら船体が揺れやすい構造なのに・・・」と、船がオホーツク海で使われていたことに首をかしげています。

別の海運関係者も「中古船は需要があれば国内に限らず海外にも行くが、今回の転用は使用する環境の差を何も考えておらず素人がやることだ」とした。

船は2004年、同3号とまとめて大阪市の男性に所有名義が移り、翌年には知床遊覧船の名義となり、知床に渡った。そうです。元造船技術者の川上から見ても、海底から引き揚げられた船体の形を視認するに、復元力が弱そうで、かつ、荒波を超えていこうにも、とても無理そうな形状をしています。造船技術者は、航行の安全上、ちゃんと復元力を計算し、設計した上で作るのです。

そして、特に大型船(タンカーやコンテナ船など)の場合、完成後も「試運転」を行い、設計上の速度あるいは操縦性能を有しているか、等をチェック後、発注主に引き渡すわけです。

ちなみに、公開された事故当時の録音記録によれば、ライフジャケット(救命胴衣)を、途中から船長が装着するように大声で命じていたみたいですけど、佐世保で趣味としてヨットに乗艇していた際には、我々は必ず出発時から着けておりました。海の上では何が起こるか分かりませんから・・・・。→やっぱり『海を舐めていた』というところでしょうか?
 

☆☆筆者のプロフィール☆☆
川上 誠
勤務先:川上歯科医院

編集者後記


今月もメルマガをお読みいただきありがとうございました。
秋に入り、季節限定のお菓子がコンビニやスーパーに並び始めました。私は甘いものが苦手なのでチョコレートや芋・栗のお菓子には興味ないのですが、カルビーのア・ラ・ポテトは毎年楽しみにしています。ア・ラ・ポテトはその年に収穫したばかりの北海道産の“新じゃが”のみを使った季節限定の厚切りポテトチップスです。調べてみると、ア・ラ・ポテトは毎年秋に発売され、今年で33年目になるそうです。太るよなと思いながら、期間限定で「今」しか買えないと思うと、ついついカゴに入れてしまいます。皆さんもこの時期になるとつい買ってしまうという商品はありますか?

(いわい こずえ)
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ご意見、ご要望などお待ちしています。
編集:NPO法人ウェルビーイングいわい こずえ jimukyoku@well-being.or.jp
NPO法人ウェルビーイングホームページ http://www.well-being.or.jp/

<NPO法人ウェルビーイングのface book>
http://www.facebook.com/wellbeing.fukuoka

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