男児よ、ガチャガチャを回したその手で筆を握れ

依存性のあるものには迂闊に手を出すべからず、とつくづく思う。
特に現代の子供は、ゲームや動画など多岐に渡り簡単にハマる娯楽が大人によって用意されている。
うちの場合はガチャガチャである。
一回くらい可愛いものと、最初の一度をやらせてしまうが最後、ガチャガチャを見つけるたびに駆け寄っていく。
この世になんとガチャガチャの多いことか。その種類も台数も。
あるときの太郎は「見るだけ」という。そんな訳もなく、酷暑のなかのやる!やらない!の問答は面倒以外の何物でもない。
太郎は機器のミニチュア系に惹かれるらしく、次郎は生き物の、特に危険生物に目がない。もうホホジロザメのフィギュアはいらない。
あのとき最初の一回をやらせなければ。振り返ってそんなことを思う親は多いだろう。

しかし時は戻らない。そこで私は考えた。
ガチャガチャを一回まわすたびに、原稿を書くのはどうだろうか、と。
いつ、どこで、誰と、いくらの、どのようなガチャガチャをしたか。なぜそのガチャガチャを選んだのか。実際にその景品を手にしてどのように感じたか。
作文に苦手意識を持つ子供が多いと聞く。今後は思考力そして「書ける」子が選ばれるとも。
それならば楽しみと結びつけて、作文技術を身につけてゆくしかない。
最初は形式的になるだろうがそれも良いだろう。書いていくうちに、型からはいつか自然と離れてゆくものだから。
まだまだ素直な年頃の太郎は、母の突然の思いつき、否、提案を受け入れてくれる。
昼間にプラネタリウムのガチャガチャをやったので、早速食卓で原稿に向かっていた。消しゴムを片手に集中している。
その横に並んで、わたしも原稿を書き始める。太郎と一緒に、虫かごガチャガチャをやったからだ。