見出し画像

どうしたら続けられるの?

継続すること、この困難さはそれなりに知っているつもり。
私には続けていることがいくつかある。
このnoteも120日の連続記録を超えて、Duolingoという英語アプリでの学習も2年半は超えている。

続けていると、続けられる人みたいに思われがちだけど、実際は全然そんなことはない。
正直、毎日に近い頻度でやるのは時間を捻出するのも大変だし、飽きるし、何より特にこれといった成果が見えるものでもないので時々やめてしまいたくなる。
そして、本当はダイエットのための運動とか健康的な食事作りとかそっちの方を続けたいのに、これはなかなか続けられない。

続けられることがあるからといって、何でもかんでも続けられるわけではないようだ。

子どもにも「毎日勉強しなさい」と言いながら、実は心の中では「続けるのは難しいよね」と思っている。

子どもにとっての勉強、私にとってのダイエット。
何で続けるのが難しいんだろう。
私にとって、書くことだって英語の勉強だって苦しくないことはない。
いくら好きだからって毎日毎日はさすがにしんどいときもある。

それに、子どもは苦しいし嫌だろうけど毎日勉強をがんばっている。
それはなぜ?
私が「やりなさい!」と言うから?
宿題として課せられているから?
多分、それは両方正解なのだと思う。

そう、要は続ける仕組みを用意されているのだ。

書くことにしたって、このnoteというプラットフォームを使っていれば、私が毎日公開したかどうかは誰かに分かってしまう。
(もちろん私のことを毎日気にしている人なんていないかもしれないけれど、一応属しているコミュニティでは、毎日noteを書く人として認識されているはずなので。)
しかも、連続記録はnote内でカウントされている。
そして、Duolingoでは連続記録が途絶えそうになると通知が来る。
少しでもやらなければ、という気にさせられてしまう。

では、続ける仕組みさえあれば続けられるのかというとそうでもなさそうだ。
私が本当に継続したいダイエットだって、継続させるためのアプリは恐らく存在している。
でも、私には継続できないのだ。

何となく分かってきた。
継続するには仕組みだけではなくて、もう一つ重要な要素がある。
それはきっと手軽さ。
いつでもどこでもできること。
特に準備がいらないこと。
これはきっと物理的にも心理的にも。
物も心もハードルが高いと越えられないから。
(ほら、ダイエットのための運動は着替えたり、終わったあとにシャワーを浴びて汗を流したり、付随することが多いのよね。料理もいつもより一手間もふた手間もかけるのはちょっと気合が必要だし。)

続けることにはそれなりの条件が必要みたいだ。
だから、自分が続けられることってそう多くはないのかもしれない。
でも、何かを続けているとその事実だけで自分に自信が持てる気がするから不思議だ。
ほかにもできることがあるんじゃないかって思わせてくれる。

これを読んでいるあなたも何か続けていることはありますか?
もしよければ、その内容と続けられている仕組みを教えてください!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?