アートについて思うこと

ここ一年ほどアートにハマっている。国内外問わず美術館に行ったり、関連書籍を読んだり。
主には、西洋美術の流れを汲むアートを対象にしていて、それはきっかけが、教養課程の頃に取った西洋古典絵画の授業、それに触発されイタリアに行って見たルネサンス期の傑作にあったからだと思う。
アートを鑑賞するのにおいて、実物を見るということが特権的につきまとう。
実物となる作品は、基本的に一つしかない(コンセプトアートになると変わってくるけど)。そして、それは然るべき場所(美術館、教会、寺院、もしくは公共の場など)にある。"然るべき"場所というのは、適切な場所であること以上に、ものである以上確実に占めてしまう位置。
それは、他のメジャーな娯楽、マンガ、アニメ、ゲーム、映画とは異なる。
その場所に訪れることは、やはり特別な経験として、強く意識される。"聖地巡礼"のようなものだろうか、そういった類の面白さがまずある。
そして、美術館という場所。ポール・ヴァレリーは、『美術館の問題』において、「一箇所に寄せ集められている」ことを、否定している。
しかし、寄せ集められたコレクションたちの催すものは、個人的に嫌いじゃない。寄せ集められた作品が、洪水のように押し寄せる。
その、節操のなさは、もはや美術館や博物館のもととなった王侯貴族の何でも展示、"驚異の部屋"と変わらないかもしれない。
そういった、ごった煮の中を歩き回り、疲弊しながら、一部のお宝と出会う。身体的なディグが残っている。

次に、時代性。西洋美術は、歴史が長く、言説の蓄積も大きい。そこは良くも悪くもあるだろう。なぜなら、そういった歴史性は一般に重苦しいものかもしれないが、個人単位で楽しむときには、返って今から抜け出し、楽しむことができる。その重みの前に、自分は立ち尽くすしかないからだろう。
もちろん、コンテンポラリーアートの場合は、その限りではない。
作家側にも、例えば、横尾忠則は、この間東京国立博物館で個展を開催していて、そこに1年ほどで描いた100点もの絵画を展示していた。その絵画は、非常に奔放で、無邪気で、開放的だった。
それが”良い”か”悪い”かというと、ややこしくなるが、これがまず並べられていること、それが嬉しかった。

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