思い出(2) 杉本峯子さん
2001/11/23
昨日(22日)杉本さんのHP「Tea Room」を開き、Tさんのお話しから、杉本さんがお亡くなりになったことを知りました。あまりに突然のことで今でも信じがたい思いです。闘病生活をなさっていたとのお話でしたが、そのことも私はまったく知りませんでした。
9月13日でしたが、杉本さんから一度だけメールをいただきまして、その折に「私、少し体調がすぐれず、ホームページもなかなか、すすみません」とお書きになっておられました。
その短い言葉の向こうで、杉本さんが病気をかかえておられ、つらい闘病生活に耐えておられたことなど気づくこともなく、直接お返事も差し上げないままに今に至ったことが悔やまれてなりません。
「Tea Room」でも、杉本さんはご自身の体調のこと、病気のことには一切触れることがありませんでした。それはなによりも、杉本さんの人柄によるものだったと思います。
このHPを、杉本さんはどんな思いでお続けになっていたのでしょう。
ロマン・ロラン、音楽そして化学・・
そのいずれもが、杉本さんにとって大切な精神の糧であり、調和の予感であり、魂を深く養うものであったと思います。この三つの地平は、杉本さんの中で三重奏のように響き合っていたに違いありません。それが杉本さんにとってどれほど深く本質的なものであったか、それを杉本さんは10月3日の「Tea Room」で、このようにさりげなく語っておられました。
「私は、緑いっぱいの田舎の美しい自然中で、少女時代を過ごしました。
その時の自然の美しさに魅了されて、自然の摂理に深い感動を覚えていたのです、これをつきつめるには、物理しかありません。音楽にも興味があり、若き日、音楽に進むべきか悩んだ記憶があります。でも子供時代の自然への憧れは、とてもあきらめられませんでした・・・」
杉本さんとロランとの出会いがどのようなものであったのか、またどのような意味を持つものであったのか、それを具体的にお話しされたことはなかったような気がします。自然科学と音楽とロラン、それを杉本さんの中で一つに結びつけていたものは、ロランが「ベートーヴェン研究」の終章で語っている「雲をつらぬいて見える青空の眼ざし」、この世界、この宇宙のユニテへの、また不可視の「世界の美しさ」への確信であり、直観だったのではないでしょうか。
Tさんに少し遅れて、杉本さんの「Tea Room」を知ったのは、99年の5月のことでした。この「Tea Room」は、私たちにとってばかりではなく、杉本さん自身も、もしかしたら庭の花を育てるような気持ちで特別な愛着をお持ちだったのかもしれません。この2年半、「Tea Room」に時々足を運び、お話しをうかがうのが、私にとっては日々のささやかな楽しみともなっていました。この2年半のことを振り返ると、その時間の道のりが走馬灯のように想起され、杉本さんともっといろいろお話ししたかったという後悔に似た思いが残ります。
この「Tea Room」で、これからはもう杉本さんから新しいお話しを伺うことはできなくなりました。けれども、杉本さんが大切に育んでこられたHPには、今も生前のままのお言葉が残っており、その言葉と向き合うことにより、これからも杉本さんは私たちに語り続けてくださるでしょう。私たちが、今もロランと語り続けているように。
古い泉
君の明かりを消して眠れ! 古い泉の
いつもめざめている水おとだけが鳴りつづける。
しかしこの屋根の下に客となった者は誰でも
この音には直ぐ馴れるのを常とする。
君が早や夢のさなかにいるときでも
おちつかぬけはいが家をめぐり流れて
堅い靴が踏むために泉のそばの砂利がきしむこともある。
噴泉の明るい音が急に途絶えて
そのため君が眼ざめても―――驚かなくていい。
星々は充ち溢れるように風光の上に光っていて、
そしてただ、旅びとが一人大理石の水盤に歩み寄り
泉からたなごころの凹みに水を掬んだだけの事なのだ。
その旅びとは直ぐに去る。泉は鳴る、いつものとおり。
喜びたまえ――君はここにいても孤独ではない。
たくさんの旅びとが星々のほのかな光の中を遥かに歩きつづけているし
そしてあまたの旅びとは、これから君の許へ来る道程にいる。
(片山敏彦 訳)
これは、ドイツの詩人カロッサの詩です。
この詩と「パッヘルベルのカノン」には忘れがたい思い出があります。
以前、「思い出(2)」でお話しした杉本さんに、もう11年ほど前になりますがこの詩をメールでお送りしたところ、杉本さんはそれをご自身のHPに載せてくださったのでした。そして、この詩のページにはパッヘルベルのカノンが流れていたのでした。
音楽はいつも僕の心の最も深いところにあるものでしたが、パッヘルベルのカノンを聴いたのは、それが最初でした。
杉本さんのHPは、今も杉本さんの形見のように当時のままに残っています。当時はまだブログもありませんでしたが、杉本さんが今も生きておられたら、きっとブログで続けておられたのではないかと思います。