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自分軸を取り戻した喜びと、感謝

「おーつーの顔が大学生のころに戻っているよ!
今が楽しいんだね」

先日、心友と話したときにもらった言葉。

「うん、そうなの。
今、すごく楽しいよ!」

満面の笑みで答えられるようになるとは。

大学生は、私の人生においても光り輝いていた時期。自分のやりたいことを、やりたいようにチャレンジしていた。

できるか、できないかではない。
やるか、やらないか。

衝動を基準にして生きていたので、元々の感受性もより磨かれて、泣いて笑って、最高に楽しかった。

そして、公務員時代はなぜ、自分のよさを出せなかったのだろう。とても意義のあるお仕事だし、素敵な出会いもありました。

それなのに、ナゼ?

この理由について深掘りしてみます。

求められる型に自分を当てはめた公務員時代

私は公務員志望で、入庁した自治体以外は受験すらしなかった。

理由は社会課題に取り組みたかったのと、地元の皆さんの日常を支えたかったから。

思い込むと視界が狭くなり、猪突猛進に駆けていく。それが私の持ち味だ。

それがプラスに転じて、無事に合格を果たした。

しかし、実際に入庁してみると、思い描いていた場所とは様子が異なっていた。

大学生のとき、学生ながらも環境問題を改善するための社会活動をしていた。多くの人に環境問題を自分事に考えてもらえるように、イベントを運営したり、企画したりしていたのだ。

自由な雰囲気や、やりたいことを実現することに生きがいを感じていた。

しかし、地方自治体は違った。

まず、盤石な組織がある。
そして、分野ごとに細分化されていた。
それはそれは、事細かく。

しかもバッチリとした年功序列が存在。
同じグループに、父と変わらない歳の方がいたときは驚いた。

そんな当たり前のことも想像できていなかった。今思うと子供だったのだ。

各課の予算は、議会の承認を経て、立てられる。それを計画通りに実行する。
突発的なことより、計画が重視された。

それは住民の皆さまの税金を投じて街づくりをするから、慎重になるのだろう。
それにしても、この盤石さはなかなか重い。。。

そこで感じた違和感。
公務員に求められるのは瞬発力より着実性なのだ。

私は責任を伴った素早い実行力を望んでいた。 

しかし実際には、組織からの合意。誰にどのような言葉を届けるのか。何をするのか。すごく時間がかかるのだと身にしみた。

自治体からの言葉は影響力がある。
だからこそ、どんな言葉を発するのか、何度も議論が必要なのだ。
その調整に時間がかかるのが、なんともモヤモヤした。


そして住民の皆さまからの視点も、大きかった。「公務員だから」という公明正大な見方。

「税金が給料なんだからな」
心ない言葉を向けられて、悲しくなるときもありました。

「公務員だから」を枕詞に、理不尽に怒鳴られることもあった。
1~2時間、怒りを向けられたことも数回ではない。
それでも腐らずに、真摯に向き合ってきた。

そして、「公務員だから」は
内部からもかけられることが多かった。

公務員であるから、退庁後も休日も、住民の見本になるように。
品行方正に。

公務員だから
公務員だから

何度も言葉をかけらるうちに、皆さんが期待する公務員像に自分を当てはめるようになった。
そこから脱するのは、論外。
だって、私は望んで公務員になったのだから。

本来ある自分の明るさは鳴りを潜めて、落ち着いた静かな人に変わっていった。自発的に動くよりも、上司にお伺いを立てながら、進める。

だんだん自分とのギャップに苦しむようになる。

私の居場所はここなのか。
本当にやりたいことはここにあるのか。

でも、外の世界でやっていける自信はなくて、転職もできなかった。

ただひたすら、仕事論や哲学書に答えを求めて読書に没頭した。

鬱屈した自分から脱却するために、全国の景勝地や神社仏閣、美術館を巡りまくった。最後は、1人でヨーロッパも回った。

自分の心を動かすことで、新たな行動を自分に期待したのだ。

それでも平日の方が圧倒的に長くて、休日の時間だけでは自分を取り戻せなくなってきた。

常に何かにイライラしていた。
行動できない自分に。

すっかり公務員像が自分と化して、他人軸で生きてきた私。

この他人を優先に生きてきた時期は、実は以前にもありました。

人の目を気にして楽しい自分を封印した小学生

小学2年生の春のこと。
3年生に向けたクラス替えする前に、クラス会が開かれた。

終盤で先生が言った。
「トトロの音楽をかけようか!」

大歓声に包まれるクラス。
みんなトトロが大好きだった。

トトロは1988年に公開されている。
その公開から3年後の1991年のことだったから、ジブリが広がりを見せていたころだ。

「 ♪あるこう、あるこう、わたしはげんき♪ 」軽快な音楽とともに、歌ったり踊ったりしていた。

「わたしはげんき」で、私はあるポーズをとった。

両手をグーにして、ひじから腕を折って、ボディービルダーのようなポーズをしてみたのだ。

私は元来、ふざけるのが好きだ。
面白いことをしたり、楽しいことをして、ゲラゲラ笑うのを好む。
家の中でも、似ていないモノマネをして笑い転げていた。

それをクラスでも発動してみた。
すると、周りから茶化された。

面白がるというより、奇異な目で見られたのがショックだった。
一緒にふざけたかったのに、違うようにとられて、すごく恥ずかしかった。

その後、楽しい気持ちが萎んでしまったのを記憶している。

元々、人見知りもあったが、それが助長された。目立たない存在でいようと思ったし、注目されるのを恐れた。

なので、小学生の友達は私のことを
「大人っぽい」と表現した。

背が高くて、物静かだからそう見えたのだろうか。

本来の自分は家の中に留まり、人の目を気にすることにフォーカスする人間になってしまった。

思春期も相まって、その傾向は中学生まで続いた。

どこにも所属しないフリーランス|ご機嫌な自分を素直に出せる喜び

現在、私はフリーランスのライターである。

上司も、後輩もいない。
自分1人で、営業し、広報し、内部管理し、目標を立てなければならない。

その代わり、そのさじ加減は自分次第。

自分が進みたいほうに舵を切れる。

どの案件に応募するか?
誰と仕事をしたいか?
どんな自分でいたいか?
どんな自分になりたいか?

過去の経験から、自分ができることは何かと考える日々。 

私に仕事を託してくれたクライアント様との繋がりに、手を合わせたくなるくらい嬉しい毎日。

元々あった感受性が研ぎ澄まされて、ささやかなことに感謝して、すぐにウルウルしてしまう。涙もろくなった。

ずっとこうやって生きたかったのか。
それとも、過去がここまで導いたのか。

真相は分からないけれど、今の生活に幸せを感じている。すべてに感謝できているから、あるべき場所に収まったのだろう。

私には明確な目標は、まだない。

どんな自分になりたいのか?
仕事を通して何をなし得たいのか?
私が生きてきた意味は?

「私の使命はなんだろう。」

そんなことを、ふと思う。

今は分からないけれど、目の前の偶然や引き寄せた結果に、全力で取り組めば自ずと見つかるのでは?

そんなことを思って、今日も仕事に取り組む。

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冨田裕子(おーつー)
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