陽だまりが満ちる家
今の家のお気に入りのポイントは、目いっぱい光がはいるところ。
南西向きの窓は広いうえ、家の前には建物がないので太陽の光が直接差し込みます。
とくに冬場は太陽の軌跡が低いので、眩しいほどの光が届く。
仕事机を窓側に向けているので、視界の先には青空も広がっている。執筆の途中に陽だまりに呼ばれた気がして、パソコンのディスプレイから窓に目をやる。流れる雲をじーっと眺めて、はたと気がつく。
気持ちがよくて、たまにここではないどこかへトリップしてる気分になる。
そう。家にいるだけで、幸福感に包まれるのだ。
家に差し込む太陽は、母に包まれるような安心できるもの。
私にとって陽だまりは特別な存在だ。
子どものころの私は、冷房が大の苦手だった。
体が冷え切ってしまい、お腹を壊すこともあったからだ。
平成初頭のクーラーは、まだまだ程よい調整はできずに、思いっきり冷やす一択だったのかもしれない。
なので体が冷え切ると、縁側に出ては夏の太陽の光に温めてもらった。
当時は暑くても33度くらい。
耐えられないこともなく、体が温まる感覚がなんとも幸せだった。
そんなある日、小学生の私は、縁側の端に敷いてあった座布団の上で、いつの間にか猫のように丸くなって寝落ちしてしまった。
はっと気づくと、引かれたレースカーテンからチカチカする光に照らされていた。
時間にしたら30分か。1時間か。
まだまだ強い夏の日差しが、カーテンの隙間から見えてきた。
私の体は汗でじっとりと濡れていたけど、なんだか満たされた気分だった。
その満ち足りた幸せな経験が、陽だまりにあたると想起されるのだろうか。
まだ子どもで、なんでもできる気がして、家や親に守られていて安心していた感覚。
小さいころの幸せを追体験できるような、純粋で伸びやかな自分が戻ってくるような。
この家に引っ越してきた1年前は、ゆったりと陽だまりを味わうこともできずに、居心地の悪さを感じていた。
でも、1年かけて、自分の人生を受け入れて、舵取りしてきたら、なんて素晴らしい家に越してこられたんだろうと感謝の気持ちが湧いてきた。
在宅ワーカーにとって、どんな家に住んでるかは、かなり重要だ。居心地がいいと、それだけで仕事がはかどる。
ただ、この場所も仮住まいである。
静かで、日当たりもバツグン。
駅も近くて、ご近所さんもステキな方ばかりのこちらを、あと数年で出ていかねばならない。
けれど、未来に今を振り返ったときに、この陽だまりいっぱいの家で再起できてよかったと思う確信がある。
家には相性があると思う。この場所は私を癒してくれている。たまにダラけてしまうけど(笑)、それもいい思い出になるだろう。
数年後、家を引っ越すときに思い出すだろう。
ライターとして模索してた私を1番受け止めて、優しく包んでくれたこの家を。
話さない私の相棒。
そんな想像をしながら、今日もほぅと息を吐いて、眠りにつくことにしよう。
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