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泣き虫かあちゃん
振り向くと、時計の針は午後4時を示していた。
今日は、幼稚園の個人面談。
スタートは午後2時20分だったから、気づいたら1時間40分も話していたわけだ。
先生たちは、熱心に私の声に耳を傾けてくれた。
話題は息子のこと。
想定外のこともあって、面談中に3回も泣いてしまった。すると、先生が別のクラスからティッシュを持ってきてくれて、背中をずっとさすってくれた。
「大丈夫だからね、ママ」
人の手当てはこんなにも優しく、心が落ち着くのかと実感する。
泣いた理由は聞かされる内容が、明らかに自分のキャパを超えていたから。
子どもが生まれたときは、スクスク育つことをただただ願っていた。それが、大きくなると子どもによってグラデーションが生じる。
話では聞いていたけど、いざわが子にサポートが必要となると母も揺れる。
母であれど、どんな場面もビギナーなのだ。
子育ての次の瞬間は、初めてのことばかり。
でも、母だからと何かと求められる。
ストライダーで自由に走る息子を咎める方もいるし、応援してくれる方もいる。
社会にはいろんな人がいるし、自分の内側にはポジティブな感情とネガティブな感情が交錯している。内も外も連動しているのだ。
揺れ幅はあるけど、一貫して希望しているのは子どもの成長。少しでも変化があると嬉しい。
もし、子どもと仕事を選べと言われれば、迷わず子どもを選ぶ。私の仕事はどうにでもできる。子どもが大きくなってからでもいいし、隙間時間でもできる。
しかしながら、子どもの1年は大人の比にならないくらい濃密なのだ。今できることをしてあげたい。サポートしたい。
ただ、たまに母も疲れてしまうんだ。
皆さんの要望に応えるのに必死だし、息子の成長のためにとトライアンドエラーを繰り返すから。
息子が感情的になり、私も感情を露わにすることはしょっちゅうだ。
不甲斐なくて、子どもの前で泣いてしまうときもあるし、投げ出したくなるときもある。
でも、先生たちが私の気持ちを何度も宥めてくれた。理解してくれた。
もちろん、息子への愛情を抱きながら、お互いに保育してくれてることを知ってるから。
そして、気づく。
私の話をしっかり聞くために、後ろに誰も組み込んでなかったことを。
家に帰ってから悟り、また涙が溢れる。
息子は、他のお子さんが1できるところ、牛歩のごとく0.1歩ずつ進む。
ヤキモキする反面、できたときの喜びはひとしおだ!
今日は、衣替えで変わった麦わら帽子をきちんとかぶって登園できた。いつもなら変化に必ず抵抗するのに、すんなり受け入れてくれて先生と歓喜した。
喜怒哀楽が明確だし、怒ると手が出てしまうけど、その後「いたかった?」「ないちゃう?」と心配してくれる。
自分のやりたいことを通したがるけど、話をすればきちんと聞いてくれることもある。
褒めれば、特大の笑顔で返してくれる。
その変化が如実だから、息子の成長は記憶に残る場面が多いのだ。
しかし、今日の話を聞く限り、息子のフォローのためにまたママも1から学ばねばならない。
きっと、ここで学ぶのも必然なのだと受容しよう。学んだことは無駄になることは1つとしてないから。それに、私の学びによって息子の成長を促せたら嬉しい。
今、自分のチャレンジも並行しているから、正直キツイ。もしものときは、取捨選択していくしかない。
流した涙の分だけ肩の力が抜けて、感謝に満ちている。たくさんの方に支えられて、ありがたい。大丈夫、私たちの人生は幸せに溢れている。
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