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「人間は1本の樹木である」 J・S・ミル『自由論』

人間の本性は一本の樹木である。図面通りに作られ決まりきった仕事を正確にこなすように設定された機械ではない。

『自由論』(J・S・ミル著 関口正司訳 岩波文庫)第三章 P.133

これは、J・S・ミルの言葉です。

コンピューターによって高度に管理された社会では、設定されたスケジュールに沿って、人間が動かされているように思えてなりません。
人間にとって厄介なのは、「機械は24時間休みなく動くことが出来る」ということです。
休むことを知らない機械に、きっちりとスケジュール管理されたら、人間はたまったものではないのですが、どうやら、機械的にスケジュール管理されることを苦痛に感じていない人たちが結構います。
このような様子を目の当たりにすると、つい、ある種の不気味さを感じてしまいます。
ジョージ・オーウェルの名著『1984』は、まさにこのような管理社会の恐怖を描いたものですが、21世紀の今を見ていると、それが現実化しつつあるように思えてなりません。

樹木というのは、一本ずつ、すべて違います。
当たり前のことですが、「高さ」「成長速度」「枝の数」「枝ぶり」など、どこをとっても、一つとして同じものはありません。
人間も本来そうです。
一人として同じではありません。「身長」「体重」「好みや趣味嗜好」「体質や気質」「能力や才能」に至るまで全て異なっています。人は全てバラバラであり、統制が取れていないのが自然の状態と言えるでしょう。

ところが、社会生活を支えているシステムは、全て効率至上主義に基づいた合理性というものを人々に要求してきます。
電気・水道・ガスといった生活インフラはもちろんのこと、衣食住などの場面でも、流通や金融、交通などのシステムは、均一化・均質化の方向に向かう傾向があります。
誰が使っても、蛇口をひねれば水が出て、スイッチを入れれば電気がくる。いつもと同じ時間に電車やバスが来ないと、社会はうまく回っていかないでしょう。そのような衣食住を支えているのが、インフラや交通という社会システムです。

ここに、人間の本性との大きな矛盾が生じるのです。
「人は自由に生きたい」という本性を持っているのに、社会システムは「人に同じ行動を要求する」という矛盾です。
社会システムは、人に対して、「計画通り」「設計図通り」「マニュアル通り」に動くことを要求してきます。その結果、人々は自分で考えることをやめ、スケジュール通りに、日々を過ごすようになっていくのです。

教育現場でも「マニュアル化」「管理化」は進んでいます。
学習内容の均質化・均一化が進んでいるのです。
その結果、カリキュラム通りに進むことに、何も違和感を抱かない親が、ますます多くなっています。
しかし、そのような状況におかれた子供たちは、たまったものではありません。
特に中学受験では、教育の対象は小学生です。
きちんとカリキュラムをこなしていても、「実力がつかず、成績も上がらないで苦しんでいる生徒が意外に沢山いる」というのが実情です。
ところが、そういう子供に対して、親は苛立ち、子供を責めてしまうことが多いです。そのため、子供たちをますます窮地に追い込んでしまうのです。
中でも、生真面目で、何ごともきっちりとしないと気が進まない「完璧主義者」の親に多く見られる傾向と言えるでしょう。

そんな親たちには、冒頭のJ・S・ミルの言葉を贈りたいと思います。
子供は機械ではありません。
機械的に、きっちりとカリキュラムをこなしても、予定していたように良い成績がとれる訳ではありません。
生徒によって、理解の早い遅いがあり、向き不向きがあるからです。
同じことを習得するために、人の5倍~10倍の練習が必要な子供もいます。均一的・均質的なカリキュラムでは、そのような練習を許していないため、対応ができていないと考えた方がよいでしょう。

教育に「効率主義」は馴染みません。
教育の現場に、「効率化」などあってはならないのです。

『効率的学習』というものは、この世に存在しない

と言うのが、受験指導に30年携わってきた者の本音です。



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