ゆく河の流れ【『方丈記』に学ぶ】
と言ったのは鴨長明ですが、この時、彼はどのような河の流れを考えていたのでしょうか。というのも、日本の「川」は「河」ではなく、「滝」であると言う学者がいるからです。
三千メートル級の山脈から短い距離で海に流れこむ河の流れは、落差が激しく急流でせまいものです。船の安全な航行などはありえません。急流の川下りならいざしらず、日常生活で川の流れを利用している光景は思い描きにくいものです。ヨーロッパのライン河にせよドナウ河にせよ、国際河川とよばれるものはゆったりとした静かな水面を交易の船がさかんに行き来しました。まさに生活に役立つ、河の流れであり、都市の発展にも影響しました。
中国の黄河や長江となると下流では向こう岸は全く見えません。どう見ても海です。もちろん、交易の船がゆったり行き来する情景もあるでしょう。
これは李白の有名な詩、『黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る』です。日本の河川で天に登っていくかの如き趣きを与える川の流れはほとんどないと言ってよいでしょう。滝のように絶え間なく水しぶきをあげて落ちる急流だからこそ、「行く河の流れはもとの水にあらず」という無常観を喚起させるものだと言えるでしょう。悠然と天に流れゆく長江では無常観はおこにりにくいのではないでしょうか。
論語に、
というものがあります。
孔子の見ていた河の流れはどういうものだったのでしょうか。ライン川・ドナウ川・黄河や長江のようなゆったりした穏やかなものだったのか。日本の急流のように流れ落ち無常観を感じさせるものだったのか。どうも孔子が見ていた川は、日本の川のような急流を見ていたのではないか、という気がします。というのも、「逝く者」という言い方は死をも予感させるような天地の絶え間ない運航を背後にニュアンスとして抱えているからです。一時も休むことのない天地の運航に孔子の鋭敏な感性が触れたのでしょう。時間の流れは川の流れのように一時たりとも休むことなく変化し、人は誰もその動きを止められないあきらめに近い無力感すらあります。この諦観は鴨長明のゆく河の流れにかなり近いものがあります。論語が日本で先年以上も愛されているのも、このようなところにあると言えるのではないでしょうか。
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