言った、言わない はお互い様

人はコミュニケーションの中で、伝えたから大丈夫、理解したから大丈夫と思いがちです。その後の流れは以下の通り

 「この前伝えたじゃないか!」「そんなことは聞いてない!」

永遠とも思えるこのようなやり取りが続く。このようなやり取りに意味はなくただ単に自分の正当性をアピールしているだけなのだから、さっさと手を打ったほうがいいんじゃなかろうかとよく思う。

伝えた側は伝えた側の責任、聞いた側は聞いた側の責任が生じる。そのような意味では、どっちもどっちといえる。

伝えた側は、自分が伝えたい内容、真意がしっかり伝えるとともに、伝わっているのかを確認する義務・責任が生じる。

聞いた側は、聞いた内容が、本当に相手が伝えたい内容だったのかを確認する義務・責任が生じる。

コミュニケーションにおいては、どちらの立場にもなりうる。どちらにしても自分自身に責任があることは間違いない。相手だけが悪いわけでも、自分だけが悪いわけでもない。

自分に責任があるとお互いが考えていれば、物事はうまくいく。相手だけに、自分だけに責任があると考えてると軋轢を生み良好な人間関係を築くことはできない。

相手を責めないということは、自分を責めないことになる。自分を責めないということは、自分を責めないことになる。相手に責任を擦り付ける人は責任を自分が引き受けるには器が足りないということです。

上司から何かしら責任を擦り付けられたときは、責任を取るためにの器が足らないのだろうと理解してあげることが大切。私は部下に、私に責任をなすりつけるよう伝えている。道義的責任はあるが、組織としての責任は部下にはないので、私がとればよい。最終的に、指示した人間が最終まで面倒を見なかったことが原因なのだから、責任は部下にはない。部下は責任は感じるだろうが、それ以上に経験を積んで成長してもらいたいと考えている。経験は失敗でしか優良な経験を積むことはできない。だから、どんどん失敗して成長して頂ければと思っている。

ただし、同じ失敗は繰り返すべきではない。繰り返すにしても2回まで、仏が消えます。

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