雨屋地区

おはようございます!
ついに会津にも雪が降りました!!
最初テンション上がるかなぁとか思っていたのですが、
それを遥かに超えるくらい降ったので『こんなに会津降りましたっけ?』
という感じでした。笑
そんなことはいいとして今回の記事は地名第2弾です。


地名の由来を紹介する前に、、、、

本来ならもっと深掘りしていくはずでしたが、
本日は雨屋(あまや)地区としての紹介です。雨屋とは石村地区、下雨屋地区、宮内地区、上雨屋地区の4つを指します。
まずは雨屋の地名の由来が一緒だということ。あとはご紹介したいもの(歴史的なもの)が多いことから、まずはここで雨屋地区の地名の由来をご紹介してそれからもっと深掘りしていこうと思っている。

場所は

場所は大体このあたりです。
※前回石村を紹介させていただいたのでそこから近い下雨屋を表示しております。


早速本題に、、、その前に前提として、、、

明治8年、今下雨屋と石村、宮内、上雨屋の4か村が合併し、雨屋村を形成した。明治22年の町村制施行の際には上三寄など5か村と合併して大戸村を形成してからは同村の大字名となった。そのまま昭和30年、若松市と合併してからは大戸町を冠称してからは会津若松市の大字名となった。

とまぁ書いたんですが、、、これだとわからないですよね。笑
のでもっとわかりやすく書きますね。

時代背景
1873年(明治6年)徴兵制布告
※今の韓国がそうですね。
1876年(明治9年)廃刀令
1889年(明治22年)ブラジャーの原型ができる
          食洗機の販売開始
          ジュークボックスの誕生
          大日本帝国憲法制定
るろうに剣心の時代、、、(明治11年から明治12年)
1955年(昭和30年) 漫画雑誌『りぼん』創業
          ワンピースルフィの声でおなじみ
          田中真弓さんが生まれる

ということなんです。

つまり、るろうに剣心が飛天御剣流で世直しをするちょっと前の
日本には韓国みたいに徴兵制があった。そのときに『雨屋村』ができて、
その後、ブラジャーと食洗機とジュークボックスと大日本帝国憲法が
できた年に『大戸村』ができた。そしてりぼんとルフィの声の人が生まれた年に『大戸町』ができた。

これでわかりやすいかなぁ。と。
これで覚えてください。笑

やっと本題に。そして、この地名の由来がかっこいい!?

さーて、やっとですね。ここにきました。笑
地名調べてみるととてもかっこいいです。笑

その昔、会津盆地が霧が窪と呼ばれ、一年中霧雨晴れやらず、5穀は実らず
悪病がはびこり、人民は苦しみ悩んでいた。これをお聞きになった弘法大師は雲間の晴れるのを祈り天に向かって2本の白羽の矢を射られた。そしてその矢が落ちたところを、それぞれ『上天矢(かみあまや)』『下天矢(しもあめや)』と名付けそれ以来霧雨は晴れたという。そこから『天屋』となまり、同名が他にもあることから『雨屋』となった。

これです。
すご。笑

じゃあこれもわかりやすく言いますね。笑
せっかくなので。笑

※参考文献のところ見たら
弘法大師さんが何をしたかというのがわかりやすいです。

昔、空海さんってのがいた。その空海さんは『弘法大師』という名前をもらったんだ。今でいう菅生大将っていうイケメンが菅田将暉って名前をもらったみたいなところかな。その弘法大師さんってのはめっちゃ有名人でわかりやすくいうと字がうますぎて全国のみんなが知っちゃってるくらい。
あと会津の芦ノ牧温泉も見つけちゃった人なんだよ。
そんな人が会津の状況を聞きつけた。その時の会津はマジでやばくて雨がやまないし、病気めっちゃ流行っていたのよ。弘法大師さんは『やべーな。おい!じゃあなおしたるわ。全部が治るかわからないけど。とりあえずやるわ』って言って空に向かって白い矢を放った。そしたら雨が止んだ。
その土地にいた人は『マジすげーそんなこと現実的にあるんかい!!』って思って、その矢を落ちたところを上天矢(かみあまや)、下天矢(しもあまや)とするわとしてその地名にした。時はたち、会津は訛っているから『天屋』になったんだけど近くに同じ地名があったから、『ごめん!ごめん!被っちゃったね。俺らの方名前変えるわー』って言って『雨屋』にした。

みたいなところかな。笑
なんか長くなっちゃったけども。笑

そんな感じで雨屋地区のかっこいい地名はできたということです。

とりあえず、今回はここまで。次回はこの地区の歴史的にすごいものに迫りたいと思います。



参考文献






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