暴力と私




今日の講義は私にとって価値観が変わる、重要なものだった。その内容は「暴力」についてだ。

暴力は物理的なものと認識しがちだが、身体的暴力・精神的暴力・経済的暴力・関係性に関わる暴力・性的暴力などがある。また、主体性が剥奪されることは全て暴力であり、ある人が思い通りに他者を支配すること、思いだけを押し付けてくることである。それによって安全・自信・自己決定・成長(発達)といった主体性が剥奪されることである。暴力には「グレーゾーン」があり、白or黒といった二項対立に捉えるのではなく、「グレー」と捉え、白よりのグレーでもそれは暴力となるのだ。主体性を押し付けることは「らしさ」のおしつけにも繋がる。全ての人が自分事として「暴力にならないため」の方法を考える必要がある。

この講義で、私は暴力の加害者になっていること、そして被害者になっていることを強く感じた。

まず加害者になってる点だ。私は元パートナーに思いだけを押し付けることがあった。詳細は元パートナーの詳細を記述しないといけないので書けないが。元パートナーの自己決定を否定し、主体性を剥奪させた。愛情故、どんなに辞めて欲しいこと、辞めた方がいいと思うことを伝えるとしても、それが暴力になってはいけないと反省している。

次に被害者になってる点だ。私は親に暴力を受けているのではないかと考えるようになった。しかしこれには、私が自己を放棄して親の言いなりに育っていった背景がある。大学4年生にもなって「これはダメ」「遊びに行くなら門限は日の入りだ」と言った自己決定を奪われたり成長を妨げることをされている。勿論、その背景には私が反復性鬱病で飛び降りをしたり、夜道に事件に遭って怖い思いをしたことがあるのだろう。親は親なりに私を守ろうとしてくれている。しかしそれが私にとっては苦であるのだ。自己決定とはまずなんだろうか、自分の力で何かを考え、決行する。親には「貴方は小学生5年生だね」とよく言われる。自己決定能力が今の私には乏しいのだ。その故事件に巻き込まれることになる。だからそこ、成長するという行為を「ダメ」と決めつけて妨げないで欲しい。私は今、主体性を剥奪されている。自信が持てない、自己決定がない、小学生の子供に対する扱いのままで成長も出来ていない。その為、まずは私から暴力についてもっと学びを深め、自分で成長するしかないのだと思った。加害者との距離を取るのが大切だと学んだが、家族とは縁が切れないものであるから、家族にも暴力について学んで欲しいと願う。

こう考えていくと、「暴力」はあらゆる場所で、あらゆる関係で起きていると思う。他人事ではなく、暴力は自分事だ。自分の言動で他者の主体性を奪ってしまっているかもしれない。常に意識し、判断することが大切だと思う。

たかが1つのコマの授業であったが、私がnoteに描きたかったことである。

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