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メタルの名曲を歴史で追えば分かる「メタルの誕生からBABYMETALのMETAL RESISTANCEが起きるまでの軌跡」

読む前のご注意
※この解説で出てくる楽曲は、筆者がハマった我が家にある1000枚近いメタルアルバムから独断と偏見で厳選しましたので、「おい!なんであの名曲が無いんだ!」というご意見もあろうかと思いますが「全部紹介するのは無理!!」です。
※紹介する楽曲にリンクは貼りませんので、ご興味のある方はiTunesとかで探してください。
※「フリーメタラー」とは、メタルをメジャーにするために様々なジャンルとの融合を考えられる柔軟な発想を持つメタラーの意味です。
他にもメタル人種には「ガチメタラー(メタルはメタルだ!というマニア)」「にわかメタラー(時代に応じてメタルファンに一時的なる方々)」「ノーメタラー(メタルだけは生理的にダメ!ゼッタイ!)」がいます。
※歴史認識も独自の見解ですので、こういう考え方もあるんだなー程度に読んであげてください。

↓ここから本文です

最初に自分のメタルへの目覚めを語ります

もうすぐ43歳になるおっさんです。

思えば、初めて自分で買ったレコードは、小学校5年生のときに、2歳年上の従兄弟に聴かせてもらった「蝋人形の館」で、「世の中の音楽とは、かくも激しく美しいのか!?」と当時、ドラえもんなどのアニメ曲しか聞いたことがなかった自分は衝撃を受け、なけなしのお小遣いで買った聖飢魔IIの「地獄より愛をこめて」でした。

・聖飢魔II「DEATH LAND」(地獄より愛をこめて収録 1986年)

このときから自分のメタル人生は幕を開けたのですが、年号にしてこのとき1986年。
ちなみに当たり前の話かもしれませんが、小学生の分際で聖飢魔IIのレコードを持っている奴など皆無で、当時の小学高学年男子の興味の対象は「おニャン子クラブ」に対する性の目覚め。おニャン子クラブのメンバーのブロマイドを自慢しあい、親友のK君にいたっては、大好きな新田恵利のブロマイドをパンツの中に入れて持ち歩いていたことは今でも覚えています。

そんな、おニャン子クラブ全盛の小学生時代に、聖飢魔IIこそ全て。悪魔教万歳。と、一人だけ「性に目覚める前にメタルに目覚めた」という違う道を歩んだ自分は異端児だったと思うのですが、聖飢魔IIはおニャン子クラブにも出演していましたし、周りの友人からは聖飢魔IIすげえ!!という声も聞こえ、ある意味、アイドルとメタルが融合していた奇跡的な瞬間だったと思います。

さて、そんな聖飢魔II大好き少年だった大沢少年ですが、中学に入り、友人たちと音楽の話になる度に友人からバカにされ続けてました。

「聖飢魔IIなんてヘビメタだろう!なんで、あんなのが良いんだよ!」

中学生になると、男子はバンドへの興味を持ち始め、当時はBOOWYが解散間際でしたが周りの友人たちは「ロックかっけぇー!!」といった感じで、「聖飢魔II?ヘビメタ?だせぇ!」という感想を私にぶつけてきました。

ここまで、自分語りが長くなってしまいましたが・・・
しかし、当時から私は私にメタルを迫害する言葉をぶつけてきた人々にこう宣言し続けてました!

「いつか、メタルはアイドルと組んだりして、大人気の音楽になる!!」

小学生時代に、おニャン子クラブと聖飢魔IIが瞬間的な融合を見せたこと。これは将来、何かが起きるに違いない・・・と、中2病を発症しながら気づいていたのかもしれません・・・

さて、ここから、BABYMETALが誕生するまでの間、ちょっとメタルの歴史を私なりに解説したいと思います。

メタルの誕生とその音楽性

そもそもメタル・・・ヘビーメタル、略してヘビメタとも呼ばれますが、音楽的特徴はといえば「重さ」「スピード」「金属感」の3つが融合した音楽だと解釈してます。

金属感というのは、エレキギターなどで作られた金属製のワイヤーが奏でる歪んだ音であり、これに重さやスピードをメロディーに乗せた音楽。それがメタルです。

それでは、メタルという曲は誰が作ったのか・・・?

これには諸説ありますし、どの時代のどの曲がメタルの始まり?というのは、猿から人間に進化するとき、どの時代からが人間だったの?と聞くのと同じだと思うのでですが、1970年リリースのBLACK SABBATHが音楽に「重さ」をもたらした。つまりはメタルの始祖だったと思います。

・BLACK SABBATH「BLACK SABBATH」(BLACK SABBATH収録 1970)

BLACK SABBATHといえばメタル界の帝王、首領ことオジー・オズボーンが在籍したバンドですが、「怖い音楽を作ろう!」と作られたのがこの曲。
同じくアルバムに収録された「Paranoid」はスピード感があり、その後のBLACK SABBATHの曲でもスピーディーな曲はあるのですが、現在のメタルのスピードに通ずる革新的な楽曲を作り出したのはJudas Priestであり、その曲はExciterだと思います。

・Judas Priest「Exciter」(Staind Class収録 1978)

メタルにツインペダルのドラムを導入した画期的な曲と言われていますが、この曲以前にツインペダルを使ったドラムで作った曲はある!という説もあります。まあ、ただ、メジャーだったか?という問題もあるので、やはり、現在のメタルでのツインペダルの疾走感を作り出した原点はこの曲だと思います。
そして、ドコドコとバスドラが突っ走る疾走感と同時に、ロブ・ハルフォードの超絶ハイトーンボーカル。全盛期は4オクターブ半の音域を持っていたロブ・ハルフォードの声の高さも、メタルボーカリストはハイトーンボーカリストが多いという原点を作り上げたといえます。

さてさて、BLACK SABBATHとJudas Priestですが共にイギリスのバンドです。メタル発祥の地はイギリスで、この頃、イギリスでは続々メタルバンドが誕生し、1980年には現在も活躍するIRON MAIDENもメジャー舞台に登場し、BLACK SABBATHを脱退したオジー・オズボーンは自らのバンドを結成。IRON MAIDENと同じく1980年にBlizzard of Ozzをリリースし、ここに、Judas Priest、Ozzy Osbourne、IRON MAIDENというメタル界の3巨塔が揃い踏みとなり、メタル界を牽引していくことになります。

・Ozzy Osbourne「Crazy Train」(Blizzard of Ozz収録 1980年)
・IRON MAIDEN「Prowler」(Iron Maiden収録 1980年)

特にオジーオズボーンはランディー・ローズというギターヒーローを発掘。ギター界に革命的テクニック「ライトハンド奏法」をもたらしたエディー・ヴァン・ヘイレンの登場もあり、1980年台に入るとギターのテクニックや音色が一気に進化をスタートさせ始めます。
ヴァン・ヘイレンはメタルではなくハードロックですので、ここでは紹介を控えますが、後のメタルギタリストたちに多大な影響を与えたという意味では、聴いておいた方がいいかもしれません。

・VAN HALEN 「Eruption」(Van Halen収録 1978年)

このメタルムーブメントの聖典的存在となる3巨塔ですが、Judas Periestは時代に合わせて楽曲やギターサウンドを進化させる「メタルゴッド」として。
Ozzy Osbourneはその唯一無二な歌声と、バンドメンバーを柔軟に変えギターヒーローを発掘。外部作曲家を招いてキャッチーな曲作りも重視するビジネス的アプローチにも長けた「メタルの帝王」として。
IRON MAIDENは終始ぶれない音楽性で突き進む「鋼鉄の意志」として、以後、登場するメタルバンドたちに多大な影響を与えていきます。

さて、イギリスから始まったメタルムーブメントは世界中に広がります。

世界中に広がり市民権を得ていくメタル

ドイツでは疾走感とドラマチックな楽曲が特徴的なジャーマンメタルが誕生し、Helloweenがメジャーの舞台に登場します。そして、北欧でも1980年台中盤からメタルブームが起き、イングヴェイという強烈なギターテクニックを持ったヒーローが誕生。メロディアスな叙情的な音楽性が特徴的な北欧メタルが作られていきます。

・Helloween 「I Want Out」(Keeper of the Seven Keys: Part Ⅱ収録 1988年)
・ Yngwie Malmsteen「Seventh Sign」(Seventh Sign収録 1994年)

そして、メタルはアメリカに渡ることで世界的市民権を得るようになり、多種多様なジャンルへと枝分かれを始めるようになります。

まずアメリカに渡ったメタルはLAメタルというジャンルを確立。ロサンゼルスに集ったメタルバンド達は、長髪にレザーというファッションで抜群のルックスと、メタルにポップス性をもたせ、垢抜けたキャッチーな音楽性で、男性だけではなく女性のファンも獲得していき、一大ブームを巻き起こします。

・Motrey Clue「Dr. Feelgood」(Dr. Feelgood収録 1989年)

このブームは日本にも飛び火し、ハードロックバンドではありますが、1987年に登場したGuns N' Rosesで日本でも洋楽ハードロック・ヘヴィーメタルブームに火がつきます。

さて、話は私の話に戻るのですが、ちょうど中学から高校にかけて、このLAブームが同級生の間でも巻き起こって、今まで「はん?ヘビメタ?」とバカにされてきたのが、同級生の間で「ガンズかっけー!!」「オジーのクレイジートレインもいい曲だよな!!」「Mr.BIGのビリー・シーンすげえ!!」「スキッド・ロウって聞いた!?」といったハードロックもメタルも入り混じった会話が飛び交い、ようやく自分の好きな音楽が認められてきたことに嬉しさを覚えた記憶があります。
しかも同じクラスの女の子にメタル女子がいて、その子から生まれて初めて、日本が誇るメタル雑誌「BURRN!」を借りて、世の中にはまだまだ凄いメタルバンドがいると興奮。そして、その子から借りたカセットテープに録音された1枚のアルバムこそが、この1980年代のメタルを総括する最高のアルバムでした。

Alice Cooper「Hey Stoopid」(Hey Stoopid収録 1991年)

欧州にオジーがいるなら、アメリカにはアリス・クーパー。二人とも「怖い音楽」を作らせたら1級品。アリス・クーパーはスプラッターメタルといった言われ方もする時がありますが、音楽性はオジーに似て、時代に合わせて外部のミュージシャンを招いてキャッチーな音楽作りをするのが特徴。このHey Stoopidは1980年台に活躍したメタルバンドたちを一同に介して作ったアルバム。
参加メンバーは、ガンズのスラッシュ、オジー、モトリークルーといった東西のメタルお歴々の方々。まさにメタルパーティー状態なアルバム。
このとき、イギリスで誕生したメタルは、ヨーロッパとアメリカでスタンダードな形での最高潮を迎えていました。

メタルに自由性が生まれ、ジャンルが多様化

さてさて、話は変わります。

アメリカに渡ったメタルはLAメタルとは別に、アメリカの自由な風習により進化を遂げ始めていました。
それは、メタルに様々なジャンルの音楽やドラマ性を与え、テクニックも更に高度になったメタル、プログレッシブ・メタルが登場します。

プログレッシブ・メタルは、元々はプログレッシブ・ロックというジャンルからの派生のような感じもあります。PINK FLOYDやKing Crimsonといった1960年台に誕生した、ロックにジャズやブルース、クラシックといった要素をアレンジし、アルバムもストーリー性を持たせることで、より芸術性を高めたジャンルがプログレッシブ・ロック。俗に言うプログレです。
これをメタルでも取り組んだのがプログレッシブ・メタルで、よりメタルが高度な音楽性を持っていきます。

今も語り継がれるプログレ・メタル界の最高傑作といえば、Queensrÿcheの「Operation: Mindcrime」だと思います。
1988年、つまり今から30年近く前の作品にも関わらず、今聞いても色あせない、まるで映画を観ているかのような圧倒的な世界を持つ作品です。
このアルバムは1曲1曲も素晴らしいのですが、アルバム1枚が一つの世界になっているので、是非、1枚まるごと聞いてほしいのですが・・・世界観を知るために1曲め(その前にSE曲があるので実質3曲め)だけご紹介します。

・Queensrÿche「Revolution Calling」(Operation: Mindcrime収録 1988年)

この頃のボーカル、ジェフ・テイトの歌唱力も他を寄せ付けない圧倒的な音域とパワーも必聴です。

そして、プログレ・メタルといえば、今も大人気なこのバンド、Dream Theaterは外せません。
プログレ・メタルバンドの中ではQueensrÿcheと比較対照される、まさに2大横綱。
ただ、音楽性は双方異なっていて、プログレッシブの中でもQueensrÿcheはスタンダードなメタル寄りですが、Dream Theaterは様々なジャンルとテクニックを盛り込んだ音楽の宝石箱のようなバンドです。
特にそのテクニックは圧倒的で、他の追随を許さないほどの難易度の高い楽曲を作り出しています。

・Dream Theater「Pull Me Under」(Images & Words収録 1992年)

このプログレッシブ・メタルですが、メタル3大巨塔の一つ、Iron Maidenもプログレ・メタルと位置づける識者もおり、デビューアルバムから長い曲でドラマチックな展開を持つ曲を作っていましたので、ある意味、Iron Maidenがプログレ・メタルを切り開いていったのかもしれません。

そして、アメリカの自由性が産んだメタルの中に、メタルをとことんまで激しくし、重厚でスピード感あるギターと、凶暴でラウドなスラッシュメタルが登場します。

1980年代中盤からスラッシュメタルが産声を上げ始め、1980年代後半から1990年代にかけて一気にその音楽性を確立。
これを後押ししたのが、1990年に発売されたJudas Priestの名曲「Painkiller」とも言われており、メタルのスピードと切れ味を一気に進化させ、スラッシュメタルに多大な影響を与えたと言われています。

・Metaliica「One」(...And Justice for All 収録 1988年)
・Slayer「ANGEL OF DEATH」(Reign in Blood収録 1986年)
・Judas Priest「PAINKILLER」(PAINKILLER収録 1990年)

しかし、プログレッシブメタルやスラッシュメタルなど、自由な音楽性を持つジャンルが次と次と生まれる中、一方では、王道的メタルやLAメタルの衰退。1990年代が過ぎていくに連れ、スラッシュメタルのブームも去ってしまい、時代は多種多様化したメタルがどんどん細かくジャンル分けされていき、次第にコアなファンだけの音楽への道に逆戻りしていってしまいます。
そして、そんな風を感じたのか、メタル3巨塔も1990年代前半に、オジーは引退宣言。Iron Maidenからボーカルのブルースが脱退。Judas Priestからもロブが脱退と、世界が混沌としていく流れに拍車をかけていきます。

混沌の中から誕生する女性メタルボーカリスト達

さて、1990年代から2000年代については、あまりにメタルの世界が混沌とし、冬の時代へどんどん近付いていきます。
しかし、そんな中、メタルが1980年代に獲得した自由性から、メタルは女性が歌っても悪くない。いや、むしろ良くないか?という事に気づきだします。
つまり、メタルバンドは男のものだったのが、女性も市民権を獲得しだします。

その代表格がLana Laneでしょう。伸びやかでパワフルな歌唱力は、メタルな楽曲の中でも遜色なく聴こえ、シンフォニックな音楽性が日本でも人気になった最初の女性メタルボーカリストだと思います。

・Lana Lane「Destination Roswell」(Garden Of The Moon収録 1998年)

2000年に入ってくると垣根なく、女性ボーカルを要したメタルバンドが次々と誕生していきます。
その中でも、特に商業的に成功したのがEvanescenceです。
ゴシック・メタルという激しいギターの中で暗く情熱的なメタルジャンルですが、Evanescenceは映画でも楽曲が使われ、グラミー賞まで獲得するというスマッシュヒットを記録。これにより、一気にメタルの世界で女性ボーカリストの地位は高まりました。

・Evanescence「Everybody’s Fool」(Fallen収録 2002年)

特にゴシック・メタルやシンフォニック・メタルでの女性ボーカリストの活躍が目立ち、暗く激しい楽曲の中で、女性にしか出せない耽美な歌声は、これまでの男性メタルボーカリストでは表現しきれなかった、魂を揺さぶられる楽曲を次々と生み出していきます。

・Within Temptation「What Have You Done」(The Heart Everything収録 2007年)

時には男性ボーカリストをフューチャーし、デュエットすることもありますが、男性ボーカリストにも負けないパワーで、グイグイ攻めてきます。

さて、自分の話になりますが、この頃、女性ボーカリストには本当にハマりました。かつて、自分が言っていたアイドルとメタルの融合・・・とまではいかないですが、男臭いだけのメタルが女性の美しさを持ち、多種多様化し混沌とするメタルの世界で、一筋の光をもたらしているかのようにも思えてなりませんでした。

さて、他にも凄い女性ボーカリストはいます。
当時、え!?女性!?と驚愕したのが、Arch Enemyです。これには驚愕しました!

・Arch Enemy「Enemy Within」(Wages of Sin収録 2001年)

ボーカルのアンジェラ・ゴソウの男と間違えるようなデス声。女性のメタルでの可能性をぶっ飛ぶまでに広げた脅威の先駆者です。はじめて聞いたとき「え?女性ボーカル?俺、間違ってCD買った?」とガチで思いました。

そして、我らが日本でも、脅威の女性ボーカリストが誕生していました。狂気の歌姫ことANZAが在籍するHEAD PHONES PRESIDENTです。

・HEAD PHONES PRESIDENT「Chain」(Folie a deux収録 2007年)

これも初めて聞いた時にぶっ飛びました!そして、日本のメタルも世界に通用するまでに進化したか!と歓喜に打ち震えました!
ラウドなメタルサウンドの中で狂ったように叫び狂うANZA。もうね、そのカッコよさったら、今まで日本メタルを軽視していた自分、ごめんなさい。ANZA最高!ライブまで見に行きました。

メタル冬の時代。しかし進化は終わっていなかった!
METAL RESISTANCE

さて、2000年代は自分的には女性ボーカリストたちの活躍で歓喜していたのですが、メタルの冬の時代は長く、確かにSlipknotとか新しいバンドたちも表れてシーンを盛り上げてはいたのですが、あまりにジャンルが分かれすぎて、どこからどこまでがメタルなの?という感じ。
もう、マニアしか聞かない非常に狭い世界観を持った音楽ジャンルになってしまったかのようで、よくこの頃、私は「プロレスの世界と同じだなー」という話をしていました。
プロレスもゴールデンタイムでテレビ放送されるまで市民権を得ていましたが、マニアたちがどんどん敷居を上げていき、初心者を入り込みにくくしたことが原因で衰退を迎えたというコラムを読んで、メタルの世界も一緒だなと感じていました。
それが明らかとなったのが、日本屈指のメタル雑誌BUURN!は表紙に1980年台のメタルバンドたちの写真を使い、懐古主義のような様相を呈し、完全に当時のマニアしか入り込めない雑誌へと変貌を遂げ、ガチメタラーではないフリーメタラーな自分は、この頃から私もBUURN!を買うことをやめ、メタルの一線から遠ざかることになりました。

メタルの進化は終わったのか?

もうメタルが市民権を得る事はないのか?

しかし、メタルは確実に革命へ向けて動いていました。

これまでの進化と女性ボーカリストたちの活躍が実を結び、2010年。

革命への第一歩が踏み出されました。

BABYMETALの誕生です。

一度は大きな市民権を得たメタルは、衰退から実を守るべくジャンルを多様化することで生き延びてきましたが、それすらも終りを迎えつつある中、かつてプログレッシブ・メタルが実現してきた他ジャンルとの融合を、アイドルというジャンルとの融合とし、爆発的な化学反応を生み出した、まさにMETAL RESISTANCE。

メタルの歴史を追っていけば、プログレッシブ・メタルの登場や女性の活躍といった自由な進化がアイドルとの融合をもたらした、まさに必然的な流れだったようにも思えます。

BABYMETALがメタラーにも受け入れられたのは、どこかで彼女たちの誕生が、自分たちが作り上げてきたメタルの歴史が生み出した子どもたちである事を感じているのかもしれません。
だから、海外のビッグメタルアーティストたちも、生まれてきた子どもたちとの共演を喜んでいるのかもしれません。

BABYMETALは確実にメタルの歴史上に存在する、レジスタンスなんです。
彼女たちの誕生は、メタルの歴史の中で必然だったんです。



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