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ブラック企業の優秀な社畜が地下鉄に飛び込もうとして生還した話【どうやって人は鬱になり自殺するのか?】2022年7月25日追記

どのくらいブラック企業だったか

過去にも色々と書いていますが、自分は某ブラック企業で13年間、優秀な社畜として活躍していました。

どのくらいブラックだったかと言いますと・・・

・新入社員で入った途端、築50年の元連れ込み宿、共同便所、共同台所、6畳一間、冬は氷点下10℃の社員寮に押し込められる。ちなみに、ありとあらゆる害虫が出没し、1階の開かずの間を開けたらカマドウマの巣になっていた。地元民からは「幽霊屋敷」と恐れられていた。

・年間平均休日数20日間。最高90連勤。月間平均残業時間100時間+自宅業務アリ。

・最終役職支店長で月給手取り20万円未満(手当込み)。しかも支店長になると、営業手当10,000円(みなし残業分)が無くなり、役職手当5,000円がつくので、5,000円給料が減るという異次元な給料体系。

・朝4時までの接待有り。接待後は朝5時出発で出張にGO。

・社員の車を営業用の社用車として借り上げるが、社員用駐車場を会社が用意してないので路駐か駐車場代自己負担。路駐の場合は高確率で駐禁切符を切られ、これも自己負担。

・給料が安く金が無い社員ばかりなので、横領や会社の備品を勝手にレンタルして小遣いを稼ぐ社員発生。謎の商品盗難事件やレジに入ると3,000円計算が合わなくなる社員がいたり、セクハラも多発。コンプライアンスというものが存在しない。

・課長以上になると給料が高くなる(高いと言うほどの額ではないが)ので辞めるよう社長に追い込まれる。なので、課長以上の役職が皆無に等しい。

・入社5年目で直属の上司が全員退職し、自分が全社で一番大きい支店の業績最大部門の頂点に君臨することになる(しかも部下もおらずワンオペ)

・有給休暇消化は辞めるときの引っ越しのために1日だけ取得できた。


それではここで、社長の名言集をお聞きください。

「みんな頑張ってる」
だから、昇給は一番仕事ができない人のレベルに全員合わせるので、どんなに頑張っても昇給はMAXで3,000円くらいしか上がらない。つまり頑張るだけ無駄。

「地域社会貢献」
休みの日でも地域活動等に駆り出され、もちろんお金も出なければ代休もない。タダ働きさせるために使える有意義な言葉。

「酒を飲ませばなんとかなる」
社員が辞めると言い出したり鬱になったりしても酒を飲ませば何とかなると思ってる。

他にも色々あるんですが、全部書くとそれだけ終わりそうなので、この辺にしておきます(笑)

非常に外面はよく、優しそうな雰囲気を持っているのですが、それに騙され潰されていった人々がどれだけいることか。ここからは、その中のひとりである私の話になります。

優秀な社畜の小さくて大きな異変

こんなブラック企業ですが超社畜として成長を重ねて参りまして、親会社が同じ関連会社の社員全員の中から(500人くらい?)1年に1人だけ選ばれる「優秀社員賞」を貰ったり、営業成績上位に入って大勢の前でスピーチしたり、業界史上最年少で係長になったり・・・
今となっては何の意味もない実績ですが、当時は飛ぶ鳥を落とす勢いの猛烈社員だったと思います。だって、部下に「漢に休みは必要ない」とかアホみたいなこと言ってましたし、新入社員連れて1日100件お客さんのところ営業しに行ったら次の日から来なくなりましたし(笑)

しかし、そんな優秀な社畜も係長時代の12年目の時に体に異変が起き出しました。


眠れない・・・


しかも仕事に対する意欲が沸かなくなってきて、直属の上司である取締役に普段は言わないような愚痴を言いだしたんですよね。休ませてくれって。

この頃、支店最大の部門を切り盛りしつつ、ホームページやネットショップも始めて、本社にも人材がいないということで本社の仕事まで請け負うことになり、今になって考えると完全に仕事量が許容オーバー状態どころか炎上状態。
朝8時半に出社して家に帰るのは早くて21時。そこから更に家に帰っても自宅のパソコンで仕事をして、寝てる間にも何かあったら即対応。数少ない休みの日も仕事をしない日はなく、夏に実家に帰っても近くのネットカフェや無料Wi-Fiがあるビジネスホテルのロビーに行って仕事。
12年目で行き着いたのは優秀なビジネスマンでもなんでも無く「24時間ワンオペ状態」の社畜でした。


支店長就任という地獄

しかも、会社全体で上の人間はどんどん辞めていき、マネージメントをおこなう人材がいなくなったので、とうとう自分のところに回ってきたのが


支店長就任


35歳で一番大きな支店の支店長といえば普通なら大出世で大喜び・・・のはずですが、前述したとおり「課長以上になると辞めるように追い込まれる」。

しかも支店長になったからといって、今までの自分の業務を誰かが引き継ぐわけでもなく、全部兼務です。他に任せられるだけの人材がいなかったのです。
今までは、「自分」という24時間働く社畜がいたから上の人間もマネージメントができたんだと思いますが、私にはそんな人材はいません。野球で言うなれば、エースピッチャーで4番バッターが監督もやることになり、しかもメンバーが足りない。


さて、前置きが長くなりましたが、ここからが本番です。ブラック企業がいかに人を潰し追い込み死ぬことを考えさせるか・・・


全ては社長のシナリオ通り(エヴァ風)

メンバー不足は上の人達も分かっていたんですが、その補充要員としてやってきたのが本社勤務だったA君。
ただし、このA君。本社で全く使い物にならないと評判の社員で、周りからも嫌われている存在。
ただでさえ許容範囲をオーバーして炎上してる中にも関わらず、補充要員としてやってきたのがこいつって・・・もう無茶苦茶でした。

どれだけ無茶苦茶かと言うと、転勤出社初日に無断欠勤。理由が「休日カレンダーを見間違えた」(笑)
いやね、もう最初からアウトですよ。20歳そこそこの若者なら怒るけど許します。だけど、こいつ、30歳ですから。中堅ですよ、もう。
しかも仕事できないのに、自分より下のバイトの人に対しては偉そうな素振りを見せ、上司がいない隙に勝手に指示を与えて現場を混乱させるスキルを持っていて、あとからアルバイトの人達の直談判で発覚。2時間に渡って説教したり、無類の女好きで17時に仕事が終わるアルバイトの女の子を「正社員になる方法」を教えると、二人っきりの場所で20時過ぎまで勝手に居残りさせたり、もうお前は誰とも喋るな!この仕事だけやり切ろ!と一つだけ仕事を与えて集中させるも、いつまで経っても終わらない。新入社員でも1日あればできるような仕事なのに何日経っても終わらない。「この仕事、何か難しいところあって時間かかってるのか?」と聞いてみると「忙しいから、なかなかこの仕事に手が回らないんですよ」と言いやがるので「忙しいも何もお前の仕事はこれだけだろう!!!」と説教。

こんな感じで更に時間が奪われストレスも溜まっていったのですが、実は彼・・・この支店に配属された理由が他にもあって、それが・・・


社長のスパイ


社長は「課長以上になると辞めるように追い込む」というスキルを持っているように、他にも「社員を妬む」「自分が今までやってきたことが一番」というスキルを持っていて、特に「自分が分からない世界であるネットショップやホームページなど新しいことをどんどんやっている」私が支店長になった途端にターゲットになりました。

それと、社長のもう一つの特殊スキルとして「仕事ができない社員を可愛がる」があり、これは自分より仕事ができる社員だと何をしているかが理解できず自分が一番じゃなくなるので潰しますが、仕事ができない社員は自分が一番になれるので可愛がるという素晴らしい特殊能力で、このスキルのおかげで能力のある社員は馬鹿臭くなって全員辞めていったという経緯があります。

さて、実はA君も仕事ができないので、社長も叱りはするけど可愛い。
A君にしてみると、自分は仕事ができずクビなる可能性もあることが分かっているので、何とか社長に取り入って可愛がってもらいたい。

この2人が同盟を結んで私を潰すようになるのに時間はかかりませんでした。

社長は時折、支店にやってきた際に、このA君に「更生」という目的で飲みに連れて行くようになったんですが、内情は更生ではなくスパイ目的です。

社長は私が自分が理解できないネットショップやホームページ事業で何をしているのかA君に聞き出します。
A君は我が身を守るために私がネットショップやホームページのために勝手に人を採用して無駄に人件費を使っていて、商品も売れもしないのに勝手に仕入れていて、自分もパワハラされてこき使われ、家にも帰れない日々が続いていると訴えます。
社長は「そんなこと俺は知らなかった!やっぱりあいつは勝手にやっていたのか!」と私を潰す証拠を握るわけです。

ただですね、ネットショップもホームページも開始当初から損益計算書も仕入高も在庫状況も全て取締役全員にサイボウズを経由して毎月報告して承認を得てやってきています。当たり前ですが、社長にもその資料は全て送ってありその資料に対する返信も貰っています。

人を採用したのは、私には関係のない本社でのホームページ運営やチラシ作りに人材がいないからと、どんどんこっちに仕事が回ってきたので、承認を得てアルバイトを採用しただけのこと。というか、元はと言えば本社の仕事なんだから人件費は本社で持たなきゃならないのを、本社では決済が下りないというワケの分からない理由でこちらで負担していただけのこと。

家に帰れないじゃなく、女の子と無駄話を遅くまでして家に帰るのが遅くなったバカ社員を叱るのがパワハラ?

これらの話は、後から分かった話ですので、この当時はこんな話が2人で行われてるとは分かりませんでした。


俺の金を返せ!!

支店長に就任して1ヶ月位でしょうか。ここまでで私の鬱病はかなり進行していました。もちろん鬱病だとは気づいていません。しかし不眠がひどくなったので心療内科に行って睡眠導入剤を貰って何とか凌ぎ、この頃から徐々に文章を読むということが辛くなり、手の震えや不整脈がでてくるようになりました。
そして、「皮膚むしり病」とあまり聞いたことがないかもしれませんが、ストレスで体の皮をむしる精神病で、私の場合、顔の皮をむしり続けて、今もその部分は皮が定着しにくくなっています。

さて、そんなある日、信頼していた直属の上司である取締役の方から、社長が激怒してるので、これまでの状況と今後の計画をまとめて、社長が行った時に報告してくれと言われました。
実は、A君と社長との間での会話内容は既に漏れていて、私の耳にも入っていたので、これを聞いた瞬間に嫌気が差したんですが、それでも今まで優秀な社畜としてやってきたプライドはまだ残っていたので、ただでさえ許容量オーバーしている中で資料を作り、社長が乗り込んできて「話がある」と奥の部屋に連れて行かれた時に、まず、この資料を渡しました。
すると


読みもしないでビリビリに破かれて


「俺の金をどこにやったんだ!!返せ!!!!」


あとは何を言っても怒鳴り散らすだけ。


「金を返せ!!」


前から分かっていました。


分かっていましたが、ここは会社じゃありません。


この社長の趣味の家で、我々は単なる召使い、いや、奴隷だったのです。


奴隷が金を盗んで好き勝手なことをした。


それだけのことだったんです。


この瞬間、私の中の何かが弾け飛びました。
「今まで何やってきたんだろう?アホらしい~」と気づければ、すぐに会社を辞めて幸せだったと思いますが、この時点で私は完全に「鬱病」を発症してたんだと思います。


「自分が全て悪い」

「自分はなんて酷いことしてしまったんだ」

「自分は仕事ができない愚かな人間」

「自分はどう償ったら良いんだ」


かつての自信に溢れた自分はいません。
ただただ自分を責め続けるしかできない人間になりました。


鬱病の完全発症

これ以後ですが、身体にどんどん異変が出てきて


・不眠
・やる気が起きない
・手の震え
・不整脈
・声が出にくい
・体重減少
・食欲が無くなる
・ED
・皮膚むしり病
・ビジネス本を読むと嘔吐
・文章が読めなくなる(本が読めなくなる)
・お釣りの計算ができなくなる


さすがにおかしいと気づき、心療内科に何度も足を運びました。
心療内科の先生に言われたのは

「病名をつけてもいいけど、そうなると薬を飲まなきゃならなくなる」

その薬を飲むとどうなります?仕事はできますか?と聞いたんですが

「今みたいな仕事は無理だと思いますよ」と言われ、診断結果を出してもらうことを拒否して睡眠導入剤だけ貰うことにしてしまいました。

このとき、先生が言いたかったのは「鬱病だよ」だったと思います。
しかし、自分を責め続けても仕事の責任を果たさなければ・・・そういう思いしか当時はありませんでした。

そして症状はどんどん進み、手の震えや不整脈は見えないようにすれば隠すことができます。しかし、文章が読めなくなると会議の資料を作ることも読むことも不便になってしまい、あれだけ読みまくっていたビジネス本は全く頭に入ってこなくなり、内容によっては自分の現状と比較してプレッシャーを感じて嘔吐するように。


そしてピークだったのが、お釣りの計算ができなくなったときです。


私の母親も長年、鬱病を患っていて、お釣りの計算ができなくなったと嘆いていたのですが、まさか自分がなるとは・・・
ある日、コンビニで細かいお金を出そうとしても、いくら出して良いのか分からなくなり、その途端、手が急激に震えだしてお金をばら撒いたことがありました。
若い女性の店員さんに、大丈夫ですか!?と心配され、お金を計算してもらってお店を出ましたが、なぜか涙が出てきました。
情けないとかじゃなく、自分はこの世界に必要ないと思う涙です。


転げ落ちる自分と走りゆく地下鉄

支店長になってから1年弱。どんな仕事をしたのか。会社でどんな事が起きたのか。自分は何をしてきたのか。ほとんど記憶がありません。
ただ覚えているのは、相変わらずプレッシャーを激しくかけられ、どんどん進行していく症状から部屋の片付けもできなくなり、台所の洗い物が腐りだして硫黄のような匂いを発したことです。

もうドン底でした。会社ではおそらく何も素振りを見せないようにしていたと思いますが、中身は廃人同然。「自分は、いらない人間」であることの証明を頭の中で考え続け、世の中に何ひとつの楽しみすら見いだせなくなりました。


ある日のこと。本社へ出張に行った時。

地下鉄で移動する必要があったので、ホームへ向かいました。

ちょうどホームに入ってきた地下鉄を見て




「ああ、あれに飛び込めば楽になれるんだ」




地下鉄は通りすぎ、停車しました。


私が飛び込むこと無く。


このとき、ようやく気づきました。



「この会社のために自分の命を犠牲にするまでもないだろう」



あの地下鉄が、人生の分岐路でした。


決断と決別

支店に戻ると直属上司の取締役が来ていたので、会議室に来てもらい


「辞めます」


この取締役とは一蓮托生のように一緒に仕事をしてきたので非常に言いにくく、もう一度考え直してほしいと止められました。
今まで自分に起きたことを紙に書いてまとめて、本当に辞めたほうが自分の人生にとって良いか考えて、もう一回決断して欲しいと言われたので、自宅に帰って早速、紙を取り出して書いてみました。
しかし「辞めます」の一言を決断した自分は、ようやく人間に戻れたんだと思います。


社長への恨みつらみを羅列しただけでした。


さて、その社長ですが、私の「辞める」に対して反応はどうだったかと言うと、焦ったようです。今まで散々、社員を追い込んで辞めさせてきたのに、なぜ、私の「辞める」に対して焦ったのかは、私が全社の中でも誰よりも仕事をしてきて実績を積んできた社員で、その人間が辞めるとなると影響力は大きく、追随して辞める人間が続出する危険性があったからです。

というわけで、社長はどうしたかと言いますと、最初の方に書いた社長の名言を思い出してください・・・


「酒を飲ませば何とかなる」


来ましたよ。私に酒を飲ましに(笑)


ちょっと高めの焼肉屋に言って、この仕事の素晴らしさと自分の素晴らしさ。もう耳にタコができるほど聞いた時代遅れな自慢話を2時間聞かされ、本社に戻った社長は上司である取締役に「酒を飲ましたから大丈夫だ」と言い放ったそうです。

もうもう、この話を聞いたときは笑うしかありませんでした。


取締役と2度めの面談の時、正式に「辞めます」と伝え、2人で焼き鳥屋へ。
何度も二人で足を運んで、色んな企画を酒を飲みながら話し合って、業績を挙げてきた第二の会議室がこの焼き鳥屋でした。
「これが、最後になるのか・・・寂しいな」とポツリと言われた時、一瞬、やはり会社に留まろうかと思いましたが、もうこの会社を良くする知恵は思いつかないと伝え、「最後に、外部の人間としてこの会社を良くする方法を教えてくれ」と言われたので「使えない人間を全員クビにすることです」と伝えました。Aと社長も含めてという意味も込めて。まあ、社長はクビにできませんが、一矢報いてほしかったんだと思います。


後日、本社に行き、社長へ辞表を直接持っていきました。


「お前に使った金を全部返せ!」


最後に言われた言葉がこれです。


本当は言い返したかった言葉があるんですがやめました。


「今までの会話、全部録音してますよ」


自分なりの鬱治療

辞表を出した帰り道、車で高速道路を運転していて気づきました。

外の世界には色がついていたんです。

こんなに世界とは美しい色だったのかと。

鬱病になってからは、全て白黒にしか見えなかった世界を取り戻しました。


その後、自分は実家のある街に戻り、家賃35,000円の安マンションで一人暮らしをはじめました。

13年間、命懸けで働いてきた報奨とも言える退職金は100万円でした。

安月給からコツコツ貯めてきたお金も100万円でした。

200万円と失業保険で1年間、治療のために休養しました。

お釣りの計算はすぐに回復してできるように戻りましたが、それ以外の症状は相変わらずだったので、まず心療内科に行ってみました。しかし、どこの心療内科も新規は2ヶ月以上の待ちなので行くことを諦めて自分で何とか直していく方向に。
手の震えは専門医に見てもらったところ「本態性振戦」という家族性遺伝の病気で鬱病をきっかけに悪化したのかもとのこと。不整脈も循環器内科に行ったところ「何とも無いから気にするな」と言われ解決。

そして、鬱病の母親からは「あんたは間違いなく鬱病だから。だけど薬に頼らないほうが良い。外に出ることと運動することと笑うこと。そして何もしないこと」とアドバイスされ、スポーツジムに週3回2時間通って、調子のいいときは1人で酒を飲みに行って交友関係を広げ笑い合える仲間を増やしていき、家では数少ない趣味の競馬や海外ドラマ鑑賞をし続け、なんとか1年で社会復帰できるまでに回復しました。
ただ、今だに本が読めない症状は続いていて、手の震えは一生モノとして後遺症が残っています。


鬱病というものは誰でもなる病気ではないと思います。A君や社長のように「自分さえ良ければいい」人間は絶対に掛かることはありません。
真面目で自分に厳しく責任を果たそうと努力する人間が、自分を追い込みすぎて掛かる病気です。「鬱は甘え」どころか「鬱の人間ほど誠実で真面目で能力が高い人間」が多いのです。
そう考えると、もし鬱で今、悩んでいる人がいたら考え方を「自分さえ良ければいい」に変えてみる必要があります。もし「自分さえ良ければいい」という考え方をしたら、今の自分の行動はどう変わるか。それが答えなんだと思います。

私は今、完全に「自分さえ良ければいい」と考えるようにしていますし、「自分の手の届くところだけやる」ことにしてます。
ただ、A君や社長の「自分さえ良ければいい」という自分勝手とは意味が違います。
彼らは他人のことを考えない自分勝手ですが、私の自分勝手は他の人も幸せにしたいと思う自分勝手で、その行動の責任は自分一人だけの自分勝手です。成功するも失敗するも自分の責任で他人を巻き込まないようにしますし、成功すれば周りの人もハッピーになるような自分勝手を心がけています。
長年、他人のために働いてきた人は、他人が幸せになる方法も学んできています。だからこそ、自分勝手の中には他人が幸せになることも含んでいるんだと思います。

自分は世界に必要ないのでは?と悩む必要はありません。
そこまで悩むほど周りのことを考えてきた貴方は、自分勝手なことをしても周りを幸せにできる力を既に持っています。


その後の元社畜とブラック企業

さて、私が辞めた後・・・その後ですが・・・

私は1年の休養を経て、上場企業に就職したんですが1ヶ月で逃亡(笑)
その1ヶ月後、間違ってamazonに正社員として入社したんですが、寛解してたと思っていた鬱病の症状がまた悪化してきて、元上司の勧めもあり個人事業主として独立することに。
独立2ヶ月目で鬱の症状が悪化し布団から2週間ほど出られなくなったりもしましたが、3ヶ月めで復帰。
気がつけば独立して9年目。仕事は10時から17時で年間休日130日。ブラック企業のときとは考えられないくらい時間を有意義に使えるようになりましたし、結婚して子供も2人。社畜当時は趣味も殆どなかったのですが、今はキャンプにハマってキャンプ場を作るまでになり、多くの友達と信頼できる仲間に囲まれています。

あのブラック企業はと言うと、今も存続しているみたいです。
私が辞めた後、元上司も含めて主力はほぼ全員辞めていき、A君はネットショップの店長になったようですが、1年くらいで潰し、ホームページ事業も潰れたようです。
当時の人達とは元上司以外は付き合いは無いので詳しくは分かりませんが、風の噂は色々と入ってきまして、私が辞めた後、支店長が僅か数年で5人だか6人だか交代して、何も変わっていないようです。

※2022年7月25日追記
先日、社長が亡くなったそうです。
冥福を祈る気はありませんが、彼に潰された数々の人々が幸せに過ごしていることを祈るばかりです。

※2022年7月25日追記2
本当は鬱になる前の12年間に何があったかも全部書きたいところですが、ここまでで1万文字近く行っているので、書きたくなったら別に書くかもしれません。ブラック企業のネタとして。

そんなわけで、色々ありましたが、
私は今、最高に幸せです。

※他にもブラック企業時代の話を書いています。



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