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強迫性障害について

小学5・6年生の時、私は過剰な神経質だと思っていた。戸締りや物の位置が気になり、頭の中から消えない。閉める、直す…毎日数時間をそれに費やし、生活に支障が出ていた。

当時は自分でも何が何だかわからず、とにかく辛かった。大人になり調べて分かったが、これは「強迫性障害」という精神障害の一種であった。本来は薬物投与や認知行動療法というもので治療を行わないといけないのだが、私は幸いにも2年間という短い期間の症状で、自然に治っていった。

未発症者には、理解出来ない内容かもしれないが、是非最後まで聞いて、この病気を知ってもらいたい。


『強迫性障害』とは

精神障害の中の一種。自分でもつまらない事だとわかっていても、その事が繰り返し頭に浮かんできて、繰り返し同じ行動(確認)をしてしまい、日常生活に支障をきたすほどの状態となる。発症者の1/3がうつ病の症状があらわれると言われている。

厚生労働省HP「強迫性障害について」
https://www.mhlw.go.jp/kokoro/know/disease_compel.html

強迫性障害には、いくつかジャンルがあるが、私が発症したのは下記の二つ

●確認行為
戸締まり、ガス栓、電気器具のスイッチを過剰に確認する(何度も確認する、じっと見張る、指差し確認する、手でさわって確認するなど)。

●物の配置、対称性などへのこだわり
物の配置に一定のこだわりがあり、必ずそうなっていないと不安になる。

その他に、私は症状は出なかったが「不潔恐怖と洗浄」「加害恐怖」「儀式行為」「数字へのこだわり」等があるらしい。

発症率は、一般人口中の生涯有病率で1~2%程度となっている。実際、その病気を経験した人は、私以外で一人しか出会った事がない。

発症のきっかけ


小学5年生に進級した直後、父親に「今日からお前が家の鍵締めをするように」と家の仕事を任された。おそらくこれがきっかけ。その日から寝る前に戸締りの確認が始まった。

寝る前に戸締りを気にする。玄関、各部屋、キッチン、トイレ、風呂。約20箇所。最初は目視だけだったので、5分位で全部見る事が出来た。そこまでは良かった。

その後、すぐに鍵の位置が最後までカチッとなっているかも気になったので、今度は触って確認するようになった。次は家の外に出て敷地の門が閉まっているか、郵便受けもちゃんと閉じているか、物置が閉まっているかも確認するようになった。
各窓の雨戸が最後まで閉まっているかも気になり、確認を始めた。すると今度はガス栓が閉まっているか、水道の蛇口がしっかり閉まっているか、各部屋の電気も消えているかも気になり、全部確認するようになった。これだけの全部の確認で30分はかかる。

それから布団に入るのだが、今度は「確認した後、家族の誰かが窓をいじったかもしれない」という不安が出てきた。その日から全く同じ項目の二周目の確認をするようになった。これだけで1時間はかかる。

そして布団にまた入る。次は「僕が寝た後、まだ起きている両親が窓を開けて閉め忘れたり、電気を消し忘れたりするかもしれない」という不安がよぎり、今度は家族全員が布団に入るまで眠れなくなった。

気になる事・確認が増えてきた。
・テレビはリモコンでOFFにした後、本体の主電源もOFFにする。
・テレビを消す時、音量は「12」でチャンネルは「1ch」にする。
・漫画が1巻から最後まで順番に並んでいるようにする。
・本の傾きが許せない。
・部屋の角に何かジャストフィットしていないといけない。
・全部屋の角を触らないといけない。
・母親の手の平に両手でタッチしないといけない。
・母親に合言葉を言ってもらわないと布団に入ってはいけない。

もはや後半は意味がわからないけど、やめられない。戸締まり確認も二周だけでは足りず、三周・四周とするようになる。


確認行為のエスカレート

確認行為は夜だけだったが、今度は日中にも症状が出てくる。

私の家から小学校まで約1Kmある。朝、通学班で出発すると50m位進んだところで、家の窓が全部閉まっているか気になり、自宅まで走って戻って全部の窓を触って確認。
母親に「大丈夫だよ」と言わせ、両手をタッチし、走って通学班に合流。
しばらく歩いていると、通学路の途中にある店の置き看板や放置自転車の位置が気になる。無視して進むが、数百メートル進んだところで、やっぱり気になり戻って自転車の位置、看板の位置を数センチ直し、また走って通学班に合流。

通学班で何とか学校の正門まで来た時、自宅の部屋の窓の鍵を閉めたか気になり、1Kmの道のり家まで走って戻って、部屋の窓の鍵を確認、全部屋の角を触り、母親に合言葉を言ってもらい、また走って学校に向かう。
向かう道中、今度は家のテレビのスイッチを消したかが気になり、また家まで戻る。学校はもちろん遅刻。朝からヘトヘトの状態で学校生活が始まる。

後に学校からの帰りも発症し、家に帰るまでが大変だった事は言うまでもない。もはやノイローゼになっていた。

こんなに辛い思いをするなら学校に行きたくないとも思ったが、幸いにも「登校拒否」「不登校」という言葉が、今ほど当時は浸透していなかったので、そんな選択肢があるとも知らず、毎日苦痛を味わいながら通学していた。今、私が小学生だったら、確実に不登校になっていた。

初めて強迫性障害発症者に出会う


あの辛い時期から時が20年以上の時が経ったある日、私の知人から、「強迫性障害」となった20歳の方がいるので会って欲しいという話がきた。その方も、同じ病気を経験した方と話がしたいと言っているようなので、会う事に。

その方は、中学1年の時、強迫性障害となった。私とは症状は違ったが、非常に共感が出来た。その方の症状は、中学校に登校中、「忘れ物を家にしたのではないか」「通学路に何か落としたのではないか」という事が気になり、家と学校を何往復もするようになった。
家にいる時は何も感じないという事がわかり、そこから不登校を選んだ。
原因は学校の担任の先生が、忘れ物をした生徒を家に帰している姿を見たのがきっかけとの事。

中高一貫の学校だったので、高校は入学出来たが入学式にも行かず。最終的に高校を中退し、今でも家から出られない。

私が共感したという事、その方がとても嬉しかったと言ってくれた。その方が、社会復帰出来るよう、今後もサポートしていきたいと思っている。


最後に

強迫性障害は、辛い。苦しい。本人のこだわりや好きでやっているのではなく、嫌でも動いてしまう。家族や身内にそういう方がいたら、理解して欲しい。そして信じて欲しい。その病気は必ずいつか必ず治る病気であると。


参考:
厚生労働省HPの「強迫性障害」
日本医事新報社の「強迫症(強迫性障害)」
「本人も家族もラクになる 強迫症がわかる本」


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