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ユメのハナシ

『夢』の話です。
noteに掲載するということは、高い志の『夢』の
話とお思いかもしれません。

ごめんなさい。
残念ながら寝てる時に勝手に見るタイプの『夢』の話。
よって、必然的にこの記事は『夢オチ』となることが決まりました。

芝居でもお笑いでも小説でも。エンタメにおいて、『夢オチ』はデリカシーを捨て去ってしまった隣人のオバちゃんくらいには嫌われている。
作者によほどの力量がないと、オチに向かって費やした時間や思考が水泡と化す禁じ手だ。
時間は有限だから、興味がなかったら最初の3行を縦に読むと「夢ノ話」になってることに、感嘆の「おぉー。」を声に出してもらって、読むのやめてください。残念ながら、おそらく僕にその力量はない。

とっても不思議なのだが、時に『夢だと自覚しながらにして見ている夢』ってのがある。皆さんも経験があると思う。明晰夢(めいせきむ)と言うそうで。
皆さんの頭の中を覗けるわけではないので、正確な数字は定かでないが、僕はその明晰夢とやらを見る確率が比較的高い。

え?「よ~い、アクション!!」って言われたっけ?ってくらい明確に夢の入り口を自覚をしていて、理想の自分を演じられるときもあれば、
いつものキッチンに立っていて、あるタイミングで夢だと確信をもって、思いっきりコンロの火に手を突っ込んでやったこともある。
それを自慢げに親に見せつけたのだが、親は眉一つ動かさなかった。思い通りにはいかないものだ。
可愛い息子の手が燃えているのだ。あの真顔は、憮然としたそれであったことを願っている。

さて、今日の主役はそんな夢の数々でも4年ほど前に見た明晰夢だ。
なぜか今も忘れらない。僕の底を覗いたような気がした。


隅田川。地元の橋の袂。決してキレイとは言えない水面に周囲のビル群が揺れている。
いつもと変わらぬ日常の一コマなのに、不安と期待を色濃く感じた僕の心は、なんだか落ち着かなかった。

「おまたせ!」

聞き覚えがある声の行方とこの胸騒ぎの正体はすぐに見つけられた。


広末涼子だった。


あの広末涼子が小走りでこっちに向かってくるではないか。

あ~夢か。明晰夢だ。。
さすがに広末涼子さんからの連絡はチェーンメールでしか回ってきたことないんだもの。
まあ、この落胆と「なんで広末涼子?」というキャスティングに対する疑問は川の水に流して、ここは夢の中。
僕の僕による僕のための世界だ。一人称は「朕」に変更。
今宵も火傷をしない火に思いっきり触れてやろうではないか。そう思った。

そこからは夢とは思えないほど不気味な静けさが続いていた。
会話を盛り上げられるような共通言語を朕と広末涼子さん持っていないのだ。気まずい。
視界の右隅で広末涼子を確かに感じることで精いっぱいだ。

いきなり手を繋がれた。思わず彼女の眼を見る。
キャンドルを灯したようなおぼろげで切ない瞳。
アーモンドのような炎色が揺れている。キャンドルジュン。。。

とてもキレイだった。

それからも特に話題の花は一輪も咲くことはなく、一定のQ&Aと次のQまでの沈黙のループを断ち切るように。彼女は重々しくその口を開いた。

「私たちっていつもここまでね。」

朝が迎えに来ている。直感で分かった。

「へへっ。」

面はゆい声で答えることしか出来なかった。


ダサ!!!!!!
起きた瞬間、誰にも見られていないのに無性に恥ずかしかった。

多々意見はあると思う。既婚者であるとか色んな理想論は捨てて、
相手はあの広末涼子。しかも現実ではない夢の中。僕だけの世界。
アンタ男として機能していないわよ?と蔑まれても強く否定はできない。
なんだか完膚なきまでの敗戦だったのだ。
たださ。ただ、これだけは言いたかった。
そんな想いは、その日最初の一言となって口から零れ落ちた。
「そんなに悪いことかよ。」

「据え膳食わぬは男の恥」という言葉がある。
女性が言い寄ってくるのを受け入れないのは、男の恥だという意味のことわざ。
なるほど一理あると思うし、世の中には浮気やワンナイトラブといった言葉があって、それが想像よりも本当にごく当たり前に日常に潜んでいることを年を重ねて痛感する。
それについてとやかく言うつもりはないし、偏見もない。
まあ過去には知人のそれを咎めて、変な空気にもなったことがあるけど、そのことは全面的に謝りたい。
恋愛事に正解はないし、当事者のみ分かる事情がある。
やみくもに批判するのは想像力の欠落した行動だ。

ただ、僕が当事者になった場合。
これまでも、そしてこれからも。その辺とは無縁の自信が異常なほどあるんだ。この夢は4年前の僕の記憶の整理。
おそらく、終電間際の渋谷で初めて二人でご飯を食べた女の子が帰り道に言った「今日は帰りたくないなぁ〜」という威力抜群、おピンクビームを「お父さんにも同じこと言える?」という鉄壁童貞シールドで跳ね返して撃退した過去をどこかで悔いていたんだと思う。
さすがに今ならわかる。お父さんに同じこと言うわけがない。意味不明。摩訶不思議。僕はどうかしていた。もっと言い方があっただろ?

  当時の僕はプラトニックラブ党党首を名乗り、「初めて付き合った人と結婚しろ!生涯経験人数は一人であるべきだ!!自分の価値を下げるな!!」と街頭演説。下半身だけは敬虔なカトリックで、僕のタマキンは十字架を切っていたから、その手の誘惑に異常なまでの嫌悪感を示していた。
そして、何より舐められている気がしたのだ。
寂しさや自己肯定感を埋めてくれる誰かという顔出しパネルに無理やりねじ込まれているような。そんな感覚を覚えた。

今はだいぶ煮込まれて柔らかくはなってますが、芯まで火が通っているわけじゃない。
因みにこれだけは覚えておいて。
僕はちゃんと性欲ってやつはエンジンとして搭載しているし、「あんなことしてみたいにゃ~。」とも思わんくもないんだよ??
ただ理性のブレーキが超高性能。アルコールでスリップもしないし、女性がナビで右に曲がろうと言っても、僕の交通ルールに反していたら、すぐにおかしいだろ!と思えるだけ。

好きって何? 
ー性欲の言い換え。

恋愛ってなんだ? 
ー死屍累々の屍の上に成り立つ欠片。 

好きだけど他の人が気になる? 
ー好きを簡単に吐くなよ。

もっとこうして欲しい? 
ーその人は所有物じゃないだろ。

否定された感情はどこへ行く?
ー飼殺してるお前が一番残忍だな。

ちょっと待てよ。なんで男が告白をするのが当たり前なんだ?? 
ーーお前が勇気無いだけだろ。

こんな当てもない脳内会議を日々、路肩に止めた車の中で繰り広げているのだ。

あなたにとって好きって何ですか?
好きを説明できない今の僕には、人に好きという資格はない。
だから僕は人に告白をしたことがないし、嘘でも「好きだ」なんて言えない。たとえその一言で、つかの間の気持ちがいい浜風でドライブができると分かってても。

これらが傷つくことから逃げる自分を正当化するために必死で唱えてるお経でしかないという断然たる事実には何度も気が付いている。僕は結局自分が一番可愛い。
本当に大切な、自分を認めてほしい人にぶつけた気持ちが否定されて生きる強さなんて持ち合わせていないんだ。だからあの日も。あの日も。僕はそうだったんだろう。

何が正しいのか。
25歳になった今日も、胸を張って言える答えは何も見つかっていない。



僕は夢を見ている。
しっかりと相手の眼を見て。その重みを理解した上で。心臓を叩きながら。すべてを受け入れて。

「好きです」

そう声を震わせる日のことを。





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