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塗り絵

ぼくは1年前から塗装のバイトをしている。
コロナ下で満足なバイトもできないだろうと、塗装業をしている高校の同級生が声をかけてくれた。
街で一度は見たことがあると思う。鉄骨の足場と灰色のシートが建物を取り囲んでいる姿を。その時、僕はあの中で躍動している。

足場を駆使して、屋上や屋根を目指してよじ登る。
「赤の他人の家を踏んだり蹴ったりしてるな~~」なんて、カリギュラ効果も相まって、高揚してくる自分を感じる。
鉄骨で仰々しい足場を素手で登る自分の姿は『SASUKE出場者』
脳内では古舘伊知郎の実況が流れている。

友達と働く気兼ねなさ。ミスを犯さなければ手順は自由という柔軟性。
とにかく体を動かすことが好きで、マニュアルが大嫌いな僕にとって飲食店などの接客業と比べ、健康でいられる最高の職場環境だ。


このアルバイトを始めて知ったのだが、塗装の工程は面白い。
例えば、家やビルの外壁を塗り直すとする。
壁に塗料を塗る前に、シーラーと呼ばれる下塗り塗料で下地処理をする。
最初は白い液体だが乾くと透明になる、壁と塗材との密着性を高めるボンドのような役割。シーラーが乾いたら、いよいよ塗料を塗っていく。
限られた工期という制限時間内で、落下しないように。細心の注意をしながら反り立つ外壁を塗っていく。
まさにSASUKE。一瞬で一日は終わる。

だが、 楽しみなSASUKEのその前に、もうひとつ大事な工程がある。
壁に業務用高圧洗浄機で大量の水を壁に吹きかけて、ごみや汚れを落として塗りやすくする『洗浄』という作業。
このときばかりは、古舘伊知郎の出番はなく、家の外壁中に水をかけて回る友達の30Mのホースが、家の雨どいや配管、足場に引っかからないよう介錯するのが僕の仕事になる。
主体性のない単純作業。僕の一番苦手な分野だ。
ただ、良い点もある。びっしょびしょの壁に塗料をすぐ塗りだすわけにもいかないので、その日の業務はそれで終わり。あとは太陽に任せることにして、一軒家なら昼過ぎには帰路に就くことができる。
日給のアルバイトとしてはだいぶラッキーデイなので、そこでバランスを保っている。

そして昨日がまさにその「洗浄」の日だったのだが、今回は気が乗らない。
一軒家など非にならないくらいバカでかい、6階建ての100平米のマンション。洗浄のみで3日ほどかかるという。
ホースの介錯の次元じゃないので、僕はマンションの前に立ち、壁に当たった返り水が、通行人にかからないようにしてほしい。というのだ。

工事現場にいる、交通誘導のあの人だ。
しかも人が通るときは、一度水を止めるから知らせてほしいらしい。

ちょっと待ってくれ。
因みに、30M先に超高圧で水を流し込む洗浄機のモーター音は喧々たるものがある。友人が2階にいたとしても地上の僕の声は届かないだろう。
そんな疑問を解決する友人こと僕の上司からの指示は実に単純だった。
「足場を思いっきり鉄棒で叩け。」
重低なモーター音の中、高い金属音が目立ち、気づくらしい。
なるほど。こりゃ最高の職場環境だ。

とにかく土木作業未経験のみんなに分かるように、今日の仕事内容をもう一度説明しよう。

通行人に「すいませんね。水が降ってきますので、上の作業員に伝えますね。」と言い、鉄骨足場を持ってる鉄棒でぶん殴るマン

である。とんだヒーローが誕生した。

さて、業務が始まってすぐ気づいたことを皆さんに教えておきたい。
上空20Mで、壁に勢いよく当たった水は、どうなるか。
答えは『舞い降りる』だ。
もはや雨粒とも言えぬ細かさで地上に到達する。
降るとかじゃない。『舞い降りる』という表現が正しい。
ミストだ。とにかく優しい。そしてその飛散範囲は想像をはるかに超えるだろう。この二つの事実が同時に意味することがある。

通行人に水は絶対にかかる。

訂正。


『ミストがあなたを包み込む。』

高級な化粧品のCMのような文句だが、そんな可愛いもんじゃない。
工事現場の近くで浴びる成分不明のミスト。
僕だったら、「え!!?なにぃ!!?」って思うだろう。
実際、通行人の多くはそういう顔をしていた。申し訳ない。
今後皆さんがその通行人にならないでもない。念のため言っておく。
めっちゃ水だから安心してほしい。


それからの僕は、とにかく色んなサラリーマンに頭を下げた。
ウーバーイーツの配達員。近所のご老人。
とにかく人が通れば頭を下げた。

けれど、一日中繰り返した僕の会釈のほとんどは無視された。

大方の予想通りではあったし、僕も何度か経験している。
目の前のブルーワーカーに対する社会の目はそこまで明るくない。
ホワイトワーカーとブルーワーカー。
黒字と赤字。
白と黒。
社会は僕が思うより分かりやすく塗り分けられている。
悲しい気もするけれど現実として知っているし、実際迷惑だってかけている。そんなことを考えている自分が、マンションの自動ドアに反射して、目に飛び込んでくる。

塗料の跳ね返りが、返り血のように見える作業着。
フードを深くかぶって見えない目元。黒いマスク。
右手には、叩いた回数分ヒシャげた鉄の棒。

その姿は当人である僕にも、不気味な殺人鬼を彷彿とさせた。
「こりゃ無視するわな。。(笑)」
鏡の中の男も自嘲気な薄ら笑いを浮かべる。分かってはいたけども。

見た目や職業。年齢とともに重ねた情報やデータが、僕を色分けしてることに何ら疑問はないが、垂れる頭は細かいミストと一緒に、気持ちを少しずつ地面にこぼしている気もした。


本能的な心地よさを含んだ、甲高い笑い声に耳と頭を地面から引っ張り上げられる。
顔をあげると、引率の先生に連れられる、十数人の幼稚園生たちだった。
お昼の散歩ご一行だろうな。つかの間の癒しをもらい、ほんの気持ちだけ優しく足場を鉄棒で叩いた。

ふと、その中の男の子と目が合う。
灰色のマンションを見上げながら純粋な疑問をぶつけるように僕を見た。
「なにをしてるの??」
目を細めながらこれまで同様、でも少しだけ違う気もする頭の下げ方をしてみる。彼は笑って手を振った。気持ちが伝わるように手を振り返してみる。
堰を切ったように、他の子供たちが次々に手を振ってくれる。思いっきり手を振り返す。それを見て先生も笑って手を振ってくれた。

それからも、ピンクのランドセルを背負った女の子が。
真っ黒なローファーで妹の手を引く中学生が。
真っ赤な自転車に子供を乗せたお母さんが。

会釈をしてくれたり、手を振ってくれた。
きっと彼らにはこういう、人を塗り変える力がある気がする。


夕方。洗浄を終えた友人が、鉄骨の足場を下りてくる音が聞こえる。
ずいぶんとキレイになったマンションは白く輝いていて、これから指定の色に染め上げられるのを待っている。
夕日が空を茜色に染める。なんだかんだ今日も一瞬だった気がするな。



帰り道。黄色い電車に揺られながら、あの男の子のことを思い出していた。

幼い彼らの真っ白な画用紙はこれから何色に染め上げられて、関わる僕たちを一体何色に染め直してくれるのだろうか。

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