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思い出の味があるということ

思い出の味があるということは幸せなことだ。小さい頃の記憶なんて曖昧なものだが、小さい頃から食べ続けている味は今でも鮮明に覚えている。

夏になると毎年行くかき氷屋さんがあった。
かき氷屋さんといっても夏以外のシーズンは焼き芋を売っているお店。
どちらかといえばこっちが本業。親しみを込めていたのかいないのか、そのお店のことを「いもや」なんて呼んでいた。もちろんちゃんとした店名はあるが、驚くことなかれ、名前を知ったのは去年くらい。(Google mapに書いてあった)←時代だ。

昔ながらの、大きく「氷」と書かれた暖簾をくぐる。それと同時に風鈴が鳴る。その瞬間、昔の時代にタイムスリップしたような感覚に陥る。三丁目の夕陽的な、昭和レトロ的なそれである。店内にはいちご、レモン、メロン、抹茶、宇治金時と手書きで書かれたメニューの張り紙がある。(もちろん練乳のトッピングも可)
本業が焼き芋なだけに、テーブルの横には焼き芋を焼くための釜があるが、夏の間はその存在感を潜めている。おじいちゃんとおばあちゃん2人でお店を切り盛りしている。おじいちゃんは厨房で黙々と氷を削っていて、おばあちゃんは注文取りとトッピングの補助。お世辞にも息の合ったコンビプレーとは言えないが、そんなぎこちない連携も微笑ましかった。

いもや には物心付いた頃から通っている。
我が家のいもや歴は、ばあちゃんから母、そして僕へと3代に渡って受け継がれてきた。夏になると いもや でかき氷が始まる。そのかき氷を食べて夏の訪れを実感し、そのかき氷を食べて夏の終わりをしみじみと感じる。いもや の存在は僕にとっての「夏の風物詩」だった。

そんな「いもや」は去年でお店の暖簾を下ろした。

去年の夏の終わり。お店の前を通った時見えたのは「氷」の暖簾ではなく、「体調不良による閉店」と書かれた張り紙。この手の張り紙はいつ見てもなんとも言えない気持ちになる。人間歳を重ねていく中でどうしても…って言ってしまばそれまでだけど、どうしてもやるせない気持ちになる。これに関しては本当に仕方のないことなのだが。。

これもまた今を生きているということなのか。





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