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宮沢賢治はどの程度バッハを聴いたのか?(ひょっとすると…)

宮沢賢治は日本のアマチュアチェリストの先駆者、大先輩だと思っている。
「セロ弾きのゴーシュ」の作者だから、ということではなく、賢治自身が20代後半に突然チェロをやりはじめ、当時にしては最高級の楽器を入手し、あてもないのに寒い冬にわざわざ東京まで重いチェロケースーーー今みたいに軽いケースがなく大きな木箱のようなものだったらしいーーーをかついで上京、飛び込みでレッスンをうけ、故郷に戻った後も農業や仕事の合間にチェロを練習し、知り合いから「いいかげん嫁を見つけたらどうか」と言われるとチェロを抱きよせて「こいつが俺のカガ(妻)だもす」と言って笑いあったらしい。

「セロ弾きのゴーシュ」を読んでいると、ベートーヴェンの『田園』とか、シューマンの『トロイメライ』とかはでてくるが、「バッハは出てこないな」とふと思い、「そういえばそもそも宮沢賢治はバッハをどの程度聴いていたのだろう」、という疑問がわきあがった。

ネットで調べてみると上のサイトに出会った。
賢治の聴いたであろう曲をリストアップしている。「収録曲は、賢治が実際に聴いていたレコードと同盤、あるいは書簡やノートに記載があったもの、追想に基づくもの、作品の中に登場する曲で当時発売されていたSP盤を基準に選出しております」とあり、113枚のレコードと収録曲があげられている。
パッと見の印象、「やっぱりベートーヴェンが多いな」
しかし驚いたことにバッハの名前が出てこない。必死に探すとリストの下の方に一曲のみあった。「中音に対する歌謡曲」とあるが、これは一体何の曲だろう。チェロ関係では、バッハではないが、カザルスの弾いた「コル・ニドライ」はあった。自分もこの音源は聴いたことがあったので嬉しくて思わず声がでてしまったが、目につくのはそれくらいである。

”チェロといえばバッハの無伴奏チェロ組曲”、”宮沢賢治といえばチェロ”、みたいなところから、なんとなく宮沢賢治もバッハをよく聴いて、よく練習していたんだろう、的な本当に漠然としたイメージがあったが、この113曲のリストを見る限りそのイメージは完全に誤りであることが分かった。
そもそもバッハのチェロ無伴奏を世界にしらしめたカザルスの録音がスタートしたのが1936年、宮沢賢治が亡くなったのが1933年、賢治が亡くなって3年後のことだったので、考えてみると当たり前の話ではあるが。

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さて、上のリストにある唯一のバッハの「中音に対する歌謡曲」とはなんだろうか?
ぐぐってもさっぱり出てこない(笑)
ツイッター上で音楽仲間からも教えていただいた本を図書館から借りて読んでみた。

「宮沢賢治の音楽」佐藤泰平
その236p

答えが書いてあった。
曰く「中音に対する歌謡曲 Cantata for Contralt (Bach)カンタータ第35番 Schlage doch,gewunschte stunde(いざ、待ち望みたる時を告げよ)」とある。おお、と思って調べる。
Contralt が分からなかったのでググってみると、要するにアルトの音域で女性の低い声部、もしくは男性の一番高い声部ということらしい。それ用の「歌謡曲」、つまりアリアのことだろう。
しかし、バッハの教会カンタータの35番は、タイトルが「Geist und Seele wird verwirret (心も魂も乱れまどいて)」、7曲からなっていて演奏時間も20分以上かかるものでとてもsp盤に収まるものでもない。確かにアリアが3曲あるが、どれも歌詞からして違うようだ。
逆に「Schlage doch,gewunschte stunde」のタイトルから探すとあっけないほどすぐに見つかった。教会カンタータ53番がそれだった。

これもアルトのためのアリア1曲からなる7分程度の曲なので、タイトルやSP盤ということを考えると、こちらの曲のことじゃないか。ひょっとすると「53」を間違えて「35」に誤記してしまったんじゃないかな。
そして実は、この教会カンタータ53番は実は偽作でバッハの曲ではないことが明らかになっている。ホフマンというバッハの同時代のオルガン奏者が書いた曲らしい。確かに、途中でかわいいベルが使われていたり、バッハの曲とは違う雰囲気と感じる。おだやかな美しいアリアであることは間違いないけど。

しかし、そうだとすると結局、先の113枚のリストの中にはバッハの曲は一曲もなかったということになってしまう。

仮に、もしこの113枚が賢治が聴いたクラシックの全てとすると、賢治はバッハを全く聴いたことがなかった、となってしまう。

どうしよう…(苦笑)


改めて上記のサイトを読むと、
賢治が聴いたと推測できる当時のSP盤レコードをエピソードをまじえて紹介。さらのそれらから抽出した113枚のSP音源をMP3データ音源とし収められたDVDが参考音源として添付。」「収録曲は、賢治が実際に聴いていたレコードと同盤、あるいは書簡やノートに記載があったもの、追想に基づくもの、作品の中に登場する曲で当時発売されていたSP盤を基準に選出しております」
賢治が実際に聴いたと分かっている曲、手紙やノートや近しい人の語るエピソードなどから間違いなくこれだろう、という推測から選び出された113曲ということだろう。かなり網羅はされているが、賢治が実際に聴いた曲の全てではないかもしれない
上記の本でも賢治の親友藤原氏の発言として「新しく発売されるレコードはほとんど買っていた」とか、それをどんどん友人にあげていた、という話も紹介されている(226p)。
たとえば、当時発売されていたsp盤をすべて調べれば、またなにか出てくるかもしれない。

例えば、バッハのチェロ無伴奏組曲だってカザルスによる全曲の録音は賢治の死後だが、sp盤の「コル・ニドライ」と同時期のコンサートで数曲の抜粋で弾いている曲はあるから、そうしたものを聴いている可能性は絶対にないとは言い切れない。

ただ、少なくても現時点では、賢治自身の文章や賢治や周囲の人のエピソードとして語られるもののなかには「ベートーヴェン」や「新世界」や「ローエングリン」は出てきても、「バッハ」という名前は全くでてこない、ということも事実である。

蓄音機のラッパに頭を突っ込むようにして熱心にベートーヴェンを聴きいっていた賢治、木箱のようなでかいチェロケースを担いではるばる岩手から東京まで(当時の国鉄でどれだけ時間がかかったんだろう…)レッスンを受けるために上京した賢治、最晩年の代表作の「セロ弾きのゴーシュ」が下手くそなアマチュアのチェロ弾きが腕を向上させるプロセスを描いた童話、明治から大正にかけての時代にクラシックにはまり、チェロにはまりまくった宮沢賢治……そんな宮沢賢治が、ひょっとするとバッハはまともに一曲も聴いたこともなかったかもしれない、そして、ほぼ確実にチェロ無伴奏の世界は全く知らなかっただろう、だとするとそれはなんか切ない。


「宮沢賢治はどの程度バッハを聴いたのか?」
今回、ふとした疑問からネットと何冊かの本で調べただけなので、もしご存じの方がおられたらぜひ教えていただければと思います。本当のところを知りたい。

調べて一つ分かったことは、とにかく情報が多い、ネットも本も。
作家の中でも段違いに多い。しかもみなさん、こだわりが深い(笑)。
本当に愛されている人なんだなということはよく分かった。

また、調べる中でこんなコンサートがやられていたことも初めて知った。

聴いてみたかったな。花巻市民じゃないからダメだっただろうけど。
宮田大氏が賢治の持っていたチェロを弾いたようだ。賢治の「星めぐりの歌」を編曲して、中間部にバッハの無伴奏チェロ組曲第1番のプレリュードを組み込んだりしていたらしい。聴いてみたかった。

チェリストの九十九太一という人も初めて知った。

こちらも「星めぐりの歌」をエレキチェロでアレンジしたものとのこと。
こんな風に自分でも弾いてみたい。

実は自分も「星めぐりの歌」をチェロ二重奏でアレンジしているのだが、完成したら記事をあげるかもしれません^^;

とりあえず今回はここまで。
新しいことが分かったらまた記事にするかもしれません。

「叩けよ、さらば開かれん」


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