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悲しみの父親としてのバッハ

礒山雅氏の『バッハ=魂のエヴァンゲリスト』の43pに次の文章がある。

「バッハにとって、死は、今日のわれわれより、ずっと身近なものであったと思う」
「バッハは6歳のときに次兄を喪い、9歳のときに母と父を喪った」
「身近な人が若くして死んでゆく例をバッハは再三にわたって経験し、そのたびに、人生の定めなさに想いを致したに違いない」
「そんなときバッハは、聖書の中に、また牧師の言葉の中に、生と死の意味づけを探し求めたのではなかろうか」

礒山雅『バッハ=魂のエヴァンゲリスト』(講談社学術文庫)

「バッハは20人の子供を作った」ということは知っていた。
「すげえ、すげえ(笑)」と仲間内で盛り上がったこともある。
「18世紀のヨーロッパだから衛生状態も悪かっただろうからいろいろあったんじゃないかな」となどとは漠然と感じてもいた。

バッハの家族の没年についての本の記載から、簡単な年表を作ってみた。

 1713年 次男ヨハーン、次女マリーア死亡(0才)
 1719年 5男レオポルト死亡(1才)
 1720年 最初の妻マリーア・バルバラ死亡(36才)
 1721年 後妻のマグダレーナと再婚
 1726年 3女クリスティアーナ死亡(3才)
 1727年 8男エルネストゥス死亡(0才)
 1728年 7男クリスティアン死亡(3才)
 1730年 6女クリスティアーナ・ベネディクト死亡(0才)
 1732年 7女クリスティアーナ・ドロテーア死亡(1才)
 1733年 5女レギーナ死亡(4才)
     10男ヨハン死亡(0才)
 1739年 4男ベルンハルト死亡(24才)

びっくりした。
11人の子供と1人の妻を亡くしている。
子供11人のうち、生まれた年に1才にもならずに亡くなったのが5人、
1才が2人、3才が2人、4才が1人、24才が1人、である。
特に1726年から1733年にかけてはこの8年間で7人の幼子を亡くしている。

11人のかわいい愛する我が子たちを見送らなければならなかったバッハの親としての心の痛み、切なさ、やりきれなさはどんなものだったのだろう。

最初の妻のバルバラは、バッハが一ヶ月半程度の仕事の出張中に突然亡くなってしまった。何も知らないバッハが帰ってきた家は、愛する妻のいない、4人の幼子が残された家。妻はすでに埋葬されてしまった後だったと言われている。無伴奏ヴァイオリン組曲、特にその「シャコンヌ」などはバルバラの死を知った直後のバッハの悲嘆を表しているのではないか、という説もあるが…

バッハの曲を聞くとき、弾くとき、これらのあまりにも重たい事実はどこかに意識しておくべきものではないかと思う。

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