差別を作って拡げる政治家と、それに煽られ差別扇動発言(ヘイトスピーチ)をする差別主義者の末路

 自民党や維新の議員による差別扇動発言(ヘイトスピーチ)が頻発しています。
 もちろん、かつての故・中曽根首相のように、昔から差別発言をする政治家はいました。
 最近になって、それが急速的に増えたように思えます。中には、差別発言が「看板」である杉田水脈議員のような政治家まで現れました。
 そして、SNSが普及した現在、「炎上目的」とでもいうような感じで、差別扇動発言(ヘイトスピーチ)を行う政治家が後を絶ちません。
 いったい、なぜこのような政治家が増えているのでしょうか。

差別を作る政治家

 最近目立つようになった差別扇動発言(ヘイトスピーチ)の一つは、クルド人に対するものです。
 昨年あたりから、自民党の川口市議などがさんざん煽ってきました。
 その結果、ネットでもクルド人に対する差別投稿が増え、差別主義者によるヘイトデモも行われるようになりました。
 それを例によって何十人もの警官が「防衛」するという毎度おなじみの光景が繰り広げられました。
 このように、すっかり定着したクルド人差別ですが、数年前までは、クルド人の存在すらほとんどの人が知りませんでした。もちろん、大っぴらに差別をするような事もありませんでした。
 それを考えると、複数の政治家による差別扇動発言(ヘイトスピーチ)がいかに深刻な問題を発生させたかがわかります。

 かつても同様のことがありました。2010年頃から、自民党議員による「生活保護たたき」が行われるようになりました。
 ごく僅かな不正受給を針小棒大に取り上げて、あたかも生活保護受給者のほとんどが不正をやっているように煽ったのです。
 それにマスコミも便乗し、芸能人の母親が生活保護を受給している事があたかも大問題であるかのように報じました。
 実際、息子が裕福だからといって、親が生活保護を受けてはいけない、などという決まりなど一切ないのにかかわらずです。
 その自民党の政策と、それを広げたマスコミのおかげで、今の日本では「生活保護受給者差別」が根付いてしまいました。
 それによって差別主義者になった市職員によって、かつての小田原や現在の桐生で重大な人権侵害が発生しています。
 こうやって、21世紀に入ってからも、自民党などの政治家は新たな差別を作り、差別煽動発言(ヘイトスピーチ)を続けています。

権力者にとって差別は有効な統治手段

 もちろん、これは現代の自民党に限った事ではありません。
 江戸幕府は「穢多・非人」という制度を作って部落差別を制度化しました。
 それを倒して誕生した大日本帝國は、「新平民」という名でその差別を継続しました。それだけではなく、侵略戦争で植民地となった朝鮮や台湾の方々を差別する制度を新たに作りました。
 これは、日本だけの事ではありません。
 ナチス・ドイツのユダヤ人虐殺、かつて存在した南アフリカのアパルトヘイト、現在行われているイスラエルによるパレスチナ虐殺など、過去も今も、政府が差別を実行する事例は無数にあります。
 アメリカのトランプ前大統領も、その差別発言・政策により、あれだけ問題を起こしながらも、現在でも多大な支持を得ています。
 いったいなぜ、それらの政治家は差別を扇動するのでしょうか。 

差別をして「得られる(?)」もの

 どんな行為でも、行う人は、それによって何らかの「いいこと」があるから行うわけです。
 当然、差別主義者が差別を行うのにも理由があります。
 もちろん、差別主義者も千差万別です。
 とはいえ、筆者がネットやリアルで差別主義者と関わったり、何冊か本を読んで差別主義者の言動を知った際に感じたのは、「差別主義者は、差別によって優越感を得ている」という事でした。

 一番わかりやすいのは女性差別です。「男性は女性より優れいている」という女性差別に染まった男性は多数存在します。
 いったんこの考えに染まれば、女性を見るだけで優越感を得ることができます。なにしろ、相手は、自分より劣った性別の持ち主だからです。
 論争して、言い負かされても「あいつは女性だ。感情的になっているから返答できなかったが、本当に正しいのは理性的に考えることができる男性である自分だ」と空虚な勝利の気分を味わうことができます(もちろん、「女性は感情的で男性は理性的」なる言説はなんの根拠もない戯言です)。

 ジェンダーのみならず、人種・民族・所属している国などの要件で差別を行えば、そのグループに対する優越感を持つことができます。
 その結果、差別主義者になってしまうと「シスジェンダーの異性愛者日本人」という属性であるだけで、日本で暮らす人の中で、自分が上にいると思うことができてしまうわけです。

 なお、差別主義者はよく「恐怖感」を持ち出して差別を正当化しようとします。
 最近だと、トランスジェンダー差別を正当化する言説で、よく見かけます。
 しかし、これも使い古された差別手法でしかありません。かつて、アメリカでは、バスなどをはじめ、様々な公共物が「白人用」と「黒人用」に分けられていました。
 その理由として挙げられたのは、「黒人は暴力的で、一緒にいるといつ襲われるかわからず、怖いから」でした。
 つまり、この「恐怖感」というのは、「相手は劣った人間だから、いつでも暴力を振るってくる」という差別意識による偏見に基づいた妄想なのです。事実に基づいたものではありません。
 そして、「恐怖感」をふりかざしながら、黒人・トランスジェンダー・クルド人などの方々に対して空虚な優越感を誇っているわけです。
 もちろん、先の女性差別同様、その優越感には何ら根拠はありません。
 しかし、差別によって得る優越感は相当なものなのでしょう。執拗に差別を繰り返したあげく、さらに対象を広げる差別主義者をネットではよく見ます。
 たとえば、当初は外国人差別を「売り」にしていた差別主義者が、新たにトランスジェンダー差別に参入する、というような事例などです。
 そうやって、空虚な優越感を得るのに、差別ほど手軽で効率的な方法はありません。
 もちろん、その結果、差別を受ける人は、命に関わるほどの苦しみを受けるのですが、差別主義者はそのような事は一切考えず、日々、新たな差別に共感したり発信したりして、空虚な優越感を求め続けます。 

差別主義者にお墨付きを与える政治家

 このように、差別主義者になれば、あっという間に優越感を得ることができます。もちろん、それは実体はない空虚な妄想でしかありません。
 そのような差別主義者にとって喜ばしいのは、政治家が差別発言をしたり差別を容認することです。
 自分より「劣っている」と認識する人を差別しているのですから、「優れている」政治家のお墨付きを受ければ、より優越感は増します。
 そして、その差別扇動に共感する事により、自分もその政治家と同じ「上流階級」であるような気分にもなれるわけです。
 もちろん、得られるのはあくまでも優越「感」でしかありません。
 いくら差別でいい気分になっても、賃金は上がらず、働く環境は悪く、そのうえ、高負担と物価高で生活は苦しいままです。
 にも関わらず、優越感を与えてくれる差別政治家を支持する、という差別主義者が多々存在します。
 かつては自民党政権を批判していた人が差別主義者になり、「今度の選挙では初めて自民党の山谷えり子議員(※差別扇動発言(ヘイトスピーチ)を連発している人)に投票する」と宣言した、という事例もありました。
 政治家にとっては、自らの悪政で苦しんでいるにも関わらず、差別さえ煽れば投票してもらえるわけです。
 それだけ「美味しい」からこそ、政治家による差別はなくなりません。また、差別を売り物にする政治家が、重宝され続けるわけです。

差別をして得られる空虚な優越感とその代償

 ここまで、差別を煽る政治と、それに扇動される差別主義者について書いてきました。
 政治家にとって、差別を煽るという行為が、いかに手軽に支持を得ることができるか、そしてそれによってより酷い悪政を行うことができるようになるわけです。
 一方、差別主義者になれば、簡単に優越感が手に入り、さらなる優越感を得るために、差別を煽る政治家と一体化していきます。
 しかし、そこで得られる「優越感」は実態のない空虚なものです。
 それを得るために、さらなる差別を繰り返し、多くの人を苦しめるという、虚しい人生を過ごすのが差別主義者の末路です。
 ギャンブル依存症の問題が話題になっていますが、「差別依存症」もそれと同じです。
 空虚な優越感を得る代償として、論理的思考力がなくなったり、人間性が歪んだりします。
 また、具体的に差別の報いを受ける事もあります。
 あるLGBT差別者は、ネットにおける差別扇動発言(ヘイトスピーチ)が原因で裁判で訴えられ、80万円の賠償金支払い命令を受けました。本人は「お金がない」などと開き直っていましたが、動産執行により、家財道具を失ったそうです。
 空虚な優越感を得た代償としては極めて高いといえるでしょう。
 そのような差別主義者の末路などおかまいなしに、差別政治家は、支持を広げるために、新たな差別対象を作って、差別扇動発言(ヘイトスピーチ)を続けます。
 その結果、政治も社会も荒廃していきます。
 これを書いている現在でも、パレスチナ人を差別するイスラエルと、その後ろ盾となる「先進諸国」による虐殺が進行中です。
 そして、日本でも先述したように様々な差別が政治家によって煽られ、それを増幅する差別主義者もあとを絶ちません。
 その結果、ますます暮らしにくい社会になっていきます。

 差別がはびこるのは本当に深刻な問題です。
 しかし、80年前、ユダヤ人差別を国是としていたナチス・ドイツは滅亡し、今でも絶対的な悪という存在になっています。
 南アフリカのアパルトヘイト政策も崩壊しました。
 もちろん、今の日本やイスラエルのような逆行もあります。
 しかし、差別を推奨するような政治も、差別主義者も、いずれは消滅する、と思っています。
 そうでなければ、誰もが安心して暮らせる社会は実現できません。
 

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