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山下達郎、松尾潔

この投稿の続編になります。

以下。

山下達郎の「嫌なら聴くな」という発言。

酷いとなるのは当然だし僕もまったく同じ思いだけど、おそらく彼にとって言いたかったことはほぼ誰にも正確には届いていないとも感じる。

ヤマタツは、シティポップという括りの中で発見した宝物のような彼の音楽を愛している世界中の若い人たちに対してどう思うかと問われたときには、判で押したように「知りません」と一言で切り捨ててきた。

つまりは、YouTubeなどで彼の音楽を後追いの形で見つけて愛聴している世界中の若い人たちは眼中にはありませんと、これはもうずっと前から言ってきたことだ。

だから僕のように初期の活動にしか興味がなく、リアルタイムで聴く機会があったにも関わらず、主に80年代の英国を中心にしたムーブメントの一つである「ネオアコ」を多感な時期に愛好し、そこから掘り下げていく中で山下達郎を再発見して、後追いでスゴい人だと評価してきたような日本人もまた、山下達郎にとってはどうでもいい人ということになっているはずだろう。

現代のシティポップの愛好家と構造的には変わるところはないのだからね。

僕は、毎年12月になると嫌というほど流れてくる『クリスマスイブ』がそんなにいいものかね?としか思えず、新しいアルバムがCDという形で届けられても購入する気にならず、せめて配信があれば聴くのにねぇなどと一人ごち、未だ抽選で当たらないと行けないという人気を誇るライブに勤しんで足を運んだこともなく、違法にアップされたYouTubeで彼の過去の音源を聴き漁り、それをデータとしてiTunesに取り込んできたようなヤツだ。

山下達郎にとってはそういう者はファンではないのだから「嫌なら聴くな」と平気で言えちゃっていたのだと思う。

これは確信に近い。

毎年のライブツアーに応募して、当選したらコンサート会場で楽しい時間を存分に共有し、新しいアルバムが発売されたら毎回きちんと定価で買い、毎週日曜日の午後2時にはTOKYO FMに周波数を合わせて彼の喋りと選曲(山下達郎は番組用にいちいち全ての曲をリマスターしている。音源によって聴こえる音の差をなくすための努力として、毎回そこまでやって続けてきた番組だ)を楽しむ人こそが山下達郎のファンなのであって、ヤマタツはそういう人たちに向けて数十年に及ぶ音楽活動をずっと続けてきた。

山下達郎自身がここまで言っている発言は見聞きしたことはないが、日本全国を隈なくまわるライブツアーは、若かりし頃には来てくれたものの大人になって全国に散らばり、気軽にライブに行く機会もなくなってしまったファンのためにやるのだと語っていた記憶はある。

なるほど、ヤマタツはそういう考えで音楽活動をしてきたのだと僕は唸らされたから、そんなに大きな記憶違いはないはずのものだ。

たかが一時間の番組のために選曲した音楽を自らの作業で全部リマスターするような人だから、音質はおろかクレジットすら碌にない音楽配信サービスに対して否定的なのも当然と言えば当然だろう。

ならば、YouTubeで知ってファンになりましたなんて論外となるのも彼にとっては当たり前のことで、そこまで考えてはじめてシティポップについて聞かれるたびに「知りません」と突き放してきたことも理解できたということになってくる。

それがいいのかどうかは別にしてね。

そしてこれが一番大事なことなのだが、山下達郎はそうした活動を生涯をかけてずっと続けてきて、それできちんと音楽でメシを食ってきたプロのミュージシャンであるということにこそあると僕は考える。

わかりやすく言えば、たとえ何があろうと彼に付いていくファンは、ヤマタツ夫妻が余裕を持って生活を楽しむのに充分な固定客として存在しており、彼らがいればあとの有象無象は所詮は水物であって自分の音楽活動とは関係ないという構図が彼の中ではできあがっていて、彼はプロのミュージシャンとしてあくまでもそこで生きてきて、これからも命果てるまでそうしていくという話。

これは松尾発言があっての早い段階から、高橋健太郎さんがTwitterで指摘してきたことだけど、一連のものは正鵠を射たツイートだと思う。

付け加えれば、ヤマタツは現在のSNS全盛のインターネット環境にはまったくタッチせず、故にそれがどういうものかということも全然わかってもいない、そんな中で出したコメントがアレなのだということも押さえておかなければいけない。

そりゃ原稿を用意してきていたのだから何も考えずに言い散らかしたとはならないだろう。

でもネット民にわかってもらえるよう、底維持の悪い言い方をするならばそうした戦略を予め持っての発言では全然ないとも僕は感じた。

このことは、アレが彼の嘘偽りない本音だという根拠にもなる。
(ここも高橋健太郎さんはきっちり指摘している)

比較して、ではもう一方の当事者である松尾潔氏はどうかというと、ジャニー喜多川氏による性加害の弁護活動を続けてきた弁護士を顧問に付け、音楽好きなら誰もが惜しむ中野サンプラザでの最終ライブの大トリとしてヤマタツがステージに上がる前に、実に配慮の行き届いたコメントを出している。

それはネット民の反応を熟知した上で練りに練ったことがありありとわかるものでもあって、ヤマタツの無防備な発言では太刀打ちできない周到さを感じさせるものだ。

しかしねぇ…。

性加害というならば、女性に対するものだって過去を穿れば幾らでも出てきそうな芸能界で、一介の若手音楽ライターに過ぎなかったにも関わらず、それでは先行きが危ういことに早くから気づいて、SPEEDのプロデュースを手掛けて大成功をもたらして以降、松尾潔氏は元々専門だったR&BのティストをJ-POPに本格的に導入する大物プロデューサーと成り上がって今に至るのだけれど、小中校生を全面にフィーチャーしたSPEEDのメンバーのその後に思い致すとき、お前さんは人のことを言えたタマかね?と僕は一言問いたくはなりますね。

一番年長で、SPEEDでデビューした当時中三だったhitomiさんを除いて、後の三人は皆私生活が結構ぐちゃぐちゃなんばっかりやんか。

その辺の責任について知らんぷりして、被害者ヅラしてもっともらしいことを言うなんてちぃとばかりいかがわしいんでないの?という感じはやっぱりありますよ。

松尾氏側のこうした過去を振り返るならば、あれは第三者がアレコレ言うものではない「痴話喧嘩」の類じゃないかとの結論も導き出さるというもの。

だから、ヤマタツの音楽に大して興味もなさそうな連中が彼の発言に対してあーだこーだと批判するのは非常に見苦しいものがある。
少なくとも僕はそう感じてしまう。

#今一生 、オマエのことだよ!

山下達郎の中にある定義ではファンではないが、彼がつくってきた音楽を愛聴し、その膨大な知識から様々学ばせてもらってもきた、彼の音楽とはそういう付き合い方をしてきた僕は、若い頃に感じた怨念を未だ忘れないままに、生来の頑固な性格が年寄りになってより強まってしまい、シティポップへのコメントに感じた違和感の延長に「嫌なら聴くな」という本音が遂に出ちゃったね…という印象を、リアルタイムで聴いてしまったショックと共に受けているというのが正確なところ。

悲しい気持ちはあるけれど、山下達郎とはそういうミュージシャンなのだという宣言でもあるのだから、今後についてはちょっと考えさせてもらいますって感じになりますね…。

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