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話題に乗ってみた(チャットGPT)

検索をGoogleからBingに乗り換えて久しい。
なんといってもGoogleが弾くURLもBingは提示してくれるので。

更に最初に購入したパソコンこそMacだったが、その後はずっとWindowsばかり。
しかもトラック・ポイントが便利すぎるから、ThinkPadの製造先がIBMからレノボに変わっても買い替え続けている。

iPhoneやiPadは敢えてと選んできたが、かつての日本IBMの方々にはとても感謝していても、Microsoftにはなんの恩義も感じないライトなユーザーでしかない。

しかし、2023年5月5日の朝、気なしに使ってみようかなとチャットGPTをインストールしてみた。もちろんライト・ユーザーに相応しく無料の方。

用事もあるから二日間でそれぞれ半日程度使ったに過ぎないが、あくまでそういう気まぐれなライト・ユーザーが使ってみて考えたり感じたりしたことを一先ず記録しておく。

この投稿はそうしたものなので、なんだ…とガッカリされても仕方がない。ご容赦ください。

僕はいつもオリジナルな問いかけを幾つか抱えて、何かしら考え続けている。
なんのことはない、大抵の親を困らせる子どもの「なんで?なんで?」をこの歳になっても続けているだけのことなのだけど。

わからないまま寝かせておくと、全く別のことを知ったり経験したりすることで、抱えていた疑問が思わぬところで繋がり、そこでようやく全体像が見えて「なるほど」と腑に落ちるというのを繰り返してきた。
年単位を要するものもある。
むしろ更なる気づきにより、一旦結論としたものの修正を続けてもいるから、同じテーマをいつも寝かせたような感覚で頭の中に置いてある感じ。

チャットGPTとの対話を二日ほど重ねてみて感じたのは、これは僕のようにオリジナルな問題を考えている者にとっては極めて有用なツールであるということだ。

「なんで?なんで?」とどれだけ問いかけても、回答が違っていると思えば問い直しを重ねても、当たり前だが人間とは異なり面倒がらずに相手にしてくれる。

得られる回答への納得度合いは必ずしも充分とはいえないけれど、それはそれでまた自分の頭で考えていけばよいのだから、そこを問題視しようとは思わない。

異なるものを関連させて新しい結論を出すことは基本的に苦手で、過去のテキストやデータを参照し尽くした上である意味正統的な答えを出してくれるような印象を持ったが、それは自分に欠けているところでもあるとの自覚はあるので、一般的にはそうなるんですね…と学ばされられるような心持ちになる。

だから、「なんで?なんで?」で親を困らせている子どもたちに与えたなら、ゲームと同等かそれ以上の興味と集中力でAIとの対話を果てしなく続けることになるだろうと思う。
問いを重ねることで問いそのものも洗練されていくことが、僅かに経験しただけでも実感されたので、答えを得るだけにとどまらずAIにプロンプトする側としての経験も積み重ねていくことになる。

AIを使いこなせるか否かで、今以上の思考能力の格差の拡大が進むと結論せざるを得ないですね。
それはもうガキの頃から始まっていくはずだから。

ただし、経験については家の外に出て自然がもたらす環境に感化され、いろいろな人に揉まれながら得るものに価値があると思われるので(哲学者が散策を日課にするのはここに理由があると考えている)、AIばかりに齧り付いて生じる影響については即答を避けて一旦留保した上でしばらく様子を見てみたい。

でもね、AIを使うのに求められるプロンプトができなくても大丈夫。
「面倒くさ…」で通り過ぎても多分構わない。

リモートワークが一般化しつつある西欧諸国では、既に電気エネルギーを大量に食うコンピュータや回線で繋がるネットワーク更にAIにはできない肉体労働に対する賃金が暴騰している。

体を使った類いの仕事は最後の最後まで残ると僕は見るし、またそうした仕事に高い価値がつけられるだろうという指摘も既にあり、AI嫌いAI苦手という人にもチャンスは沢山あるはずだから。

その手の仕事は今まで下に見るような不当な評価をされてきたように思う。
だからAIが当たり前に活用される社会でAI嫌いの人はむしろ社会的な地位が高くなる可能性もあり、その意味でも心配はいらないはず。
堂々と生きていられる。

言語や論理を扱う仕事(プログラマー然り)は、AIが提供したものに更に手を加えるセンスや思考次第で有効活用ができるとも思われる。
ゼロから創らねばならない想像的な創作分野に関しては。

パターン化した構造を使っても、充分な内容を伴ったものができるミステリやラノベや官能分野(今は禁じられているが)の創作については、それこそ無限に創作していくだろう。
相当のセンスで内容をよりよく改変することができないならば、これは誰しもが想定するだろうけど、AIの創作を作品としてそのまま出す傾向が強まる可能性は多いにある。
これはどちらかというと人間側の都合で、要はコスパやタイパにおいてAIが圧倒的に優れているからに他ならない。
ビジネス分野での都合でということですね。

本邦に於ける難関資格の両雄として知られる医療や司法の現場においても、まずは良きアドバイザーとして活用されると思われる。
完全に人間に取って代わるかどうかは今の自分には答えられない。

もうプログラミングはAIがするものとなることがほぼ決定的になると考えるが、その際にコマンドする人間にプログラミングに関する知識が必要とされるのか、それとも自分のようなライト・ユーザーによる極めて曖昧なプロンプトでも通常使用が充分に可能なレベルのものを提供してくれるのか、これもまた今の段階ではわからない。

持続可能な経済成長が可能と断言してきたから、それは一般論として語られているだけであり、AIが把握している事実ベースでの回答をお願いすると、ライフスタイルの見直しとか国際的社会的な合意が求められると応答してくれた。

そりゃそーだ。

おまえら人間がやることだろ、こっちは効率本面や精緻なモデリング作成等のお手伝いはするが、AIに求めるのはそりゃ筋違いというもんだ、勘違いすんな。

そういうメッセージをたいへん丁寧な言葉使いでいただいて、とても納得できました。

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