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不惑にして惑わず


一年の計は元旦にあり。
とはよく言ったもので、大晦日を越えて遅くまで起きていたものは、必然的に初日の出も見ずに眠りこけることとなり、気がつけばもう朝の凛とした空気と言うよりは、普通の日常感漂う時間に起床となるわけで。

そうすると、お雑煮おせちも押してくるし、ほっと一息ついた頃にはあら、もうこんな時間??となるわけである。

合間に見たInstagramの投稿で計画性のある知人たちがしっかり更新し目標を述べる中で、私ったらなんて怠惰なのだろう。
と思うのだけれど、私のいい所はこの怠惰なところで、人と比べて落ち込まないことでもある。

素敵だなぁ。頑張ってる人すごい!
わたしも応援してる。私は私のペースで!

小学生の時に晴耕雨読を知った時から、座右の銘は変わっていない。
近年に嘲風弄月も加わったこと位で、仙人か世捨て人的な厭世感に拍車がかかったくらいだろうか。その日暮らしの風任せで、それでも何とかお母ちゃんと大人に擬態している。一応社会生活は営めているので不惑を過ぎると擬態も上手くなったものだと思う。

さて、年末歯医者帰りの本屋で読んだ四柱推命?いやちがうな。毎年神社が出してるやつの話をしよう。
私は八白土星なのだが、本年は真っ黒。つまり何かを始めるのは御法度的な雰囲気だ。

そんなら夫に内緒で応募しようと思ってた遠方のあれそれは応募見送ろう。とか、開業どうする??と言う走り出したら止まることはまず難しい問に対して鮮やかに縄をかけて手網をあっという間に取られ、上手いこと神様に握られてしまった。

普段神頼み以外は、気がついた時に手を合わせるくらいのこれまたええ加減な日本人だが、なにか人の領域では手を出せない流れを作るゲームマスターみたいな人がいることは歳を経る事に強く感じる。それが神様なのか、なんなのかは分からないけれど。

パタパタと目が揃い、箱の中にキッチリと美しく納まるように答えが出たり、風が吹く時が人生に何度かあった。

まぁ、急がなくてもいいか。
今年は種を撒き、心に栄養をやる年にしようか。まずは進めている資格習得の高等科受講。大人に擬態して労働に復職しよう。基盤を作り直す年。それが今年の目標かな。技術を究めることはきっと無駄にはならない。

晴耕雨読、嘲風弄月
そして泰然自若。どっしり構えて良き年になるようなんとか元旦のうちに考えも纏まったので、今年はきっと良い年になるはずだ。

#note書き初め  #エッセイ  #随想録

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