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「ちはやふる」・金井桜はどんなかるたをしたのか

ookomimiです。競技かるたの作戦について書いています。
先日の投稿で、速い選手が遅い選手に負けるパターンについて書きました。

今日はこれに少しだけ関係した話を書きます。4年ぶりに「ちはやふる」の話ですが、取り上げるのは主役級の登場人物ではなく、6巻で登場した脇役、金井桜A級選手の話です。
彼女が登場する場面のあらすじを説明すると、かるた暦35年のベテランである彼女が主人公の綾瀬千早と公式戦で対戦して、千早に「速いだけじゃない選手」になろうと決意させる・・というもので、主人公の成長過程を描くエピソードとなっています。ここのポイントは、速さという才能に恵まれた千早が、自分よりも遅い相手(金井)に負けて、速さ以外にも大事なことがあると気が付くところです。先日の投稿で書いた状況に似ていますね。

このエピソードはよく読むと試合展開がある程度推測できます。作者の意図をどこまで正確に読み取れるか分かりませんが、描かれている内容を元に試合展開を追ってみようと思います。

選手としての特徴

まず、このエピソードの主役である金井桜選手の設定を確認してみます。作中ではかるた歴35年で2人の子供がいることが描かれています。

ちはやふる6巻

彼女の2人の子供はまだ小学生くらいですから、金井桜選手は10歳前後でかるたを始めて現在40代でしょうか。体格はあまり大きくなさそうです。過去に大きなタイトルを取ったことはないと発言しているので、若い頃はすごく強かったというわけでもなかったようですね。ただし、千早と大会で対戦した後にはクイーン戦予選に出場する予定のようなので、日頃から練習を重ねて大会にも定期的に出場しているようです。

ちはやふる6巻
タイトルの経験はない
ちはやふる6巻


彼女の過去の実績や体格からすると、恐らくA級の中ではスピードでかなり不利でしょう。大抵の選手は40代で感じの早さがガクッと落ちます。松川永世名人や石沢元準名人のように、40代以降も若手の一流選手とスピードで互角以上に渡り合った選手が全くいないわけではないのですが、そのような選手のほとんどは若い頃は圧倒的なスピードを武器に無双の活躍をしていた超強豪選手です。
また、40代を過ぎた選手は瞬発力が落ちるため身体全体を使う払い手のキレが悪くなります。先に書いた松川永世名人・石沢元準名人は共に長身で、身体をあまり動かさずとも長い腕の捌きで敵陣下段を払えるタイプだったので、その面でも加齢による影響を受けにくかったのではないかと想像します(松川永世名人は非常に運動神経に優れている方で60代でもたまに目の覚めるようなアクロバティックな動きをされていましたが・・・)。それとは逆に、身体を大きく使ってリーチの不利を補う小柄な女性選手は加齢と共にスピードの不利が出やすい傾向にあるので、金井選手も例外ではないと思います。個人的な印象ですが、短い札の勝負なら彼女よりもB級中上位の大半の選手の方が速いでしょう。

但し、彼女はA級の大会に定期的に出ているので、一定レベルの実力は維持しているはずです。そうすると、スピード以外の要素、例えば自陣の堅さや払いの正確さ、お手つきの少なさといった点では高いレベルにあるのではないかと想像できます。

金井選手の作戦

この試合の序盤の枚数推移を見てみましょう。6巻39頁で金井17-20千早、その後の46頁で金井15-20千早となっています。試合開始時(6巻35頁)では13枚配置されていた金井陣右の札が金井17-20千早の時点で6枚にまで減っているのが目に付きます。金井陣左はその間に12枚から13枚に増えていますね。また、どのタイミングでも金井陣には1枚札・2枚札がわずかしかありません。この試合の札分けは短い札が少なくスピード勝負をしたい千早には不利だったのだと思います。

ちはやふる6巻
試合開始時には金井陣右は多かった
ちはやふる6巻
序盤のうちに金井陣右は6枚に

さて、この序盤展開から推測するに、金井選手は試合開始直後から意図的に自陣右を減らしにかかったと思います。そうでなければこれほどの短期間で自陣右の枚数が半分に減ったりしません。なかなかの決断の良さですが、恐らく試合開始前から相手の定位置や素振りの様子を観察して取りのタイプを推測し、作戦を考えていたのでしょう。試合開始後に相手の取りを見ながら方針を決めるのでは序盤の段階で自陣右の札が極端に減ることはないと思います。
(ちなみに、千早は「いつの間にか」敵陣右が薄くなっている・・という印象を受けていますが、これはいくら何でも鈍すぎだと思います。最初からこのペースで右陣を減らされたら相手の狙いは明らかですから。)

決め打ちの理由

普通ならここまで早いタイミングから作戦を決め打ちするのは勇気がいりますが、金井選手が最初からこの作戦を取った理由は二つあると思います。

まず、速さ勝負で不利な金井選手は、常日頃から、できるだけ終盤のスピード勝負を避ける試合の組み立てをしているはずです。競技かるたは試合が進めば進むほどスピードで劣っている側が不利になります(理由はこの記事の冒頭で書いたとおりです)。ですから、金井選手のような遅い選手は、スピード勝負ではない試合展開に相手を引きずり込みたいのです。
具体的には、局面を徹底的に複雑化させたり、互いの長所の消し合いに持ち込むのが一般的です。局面の複雑化というのは、例えば全ての段に浮き札を作るなど自陣を複雑な形にするのが典型的ですが、それ以外にも、ヤマをかけた一部の札を速く取る「読み合い」の試合展開にして狙い札を選びにくくするパターンもあると思います。また、長所の消し合いの試合では、札を囲って相手の払いをブロックしたり、相手が気持ちよく取りたいであろう札を堅く守って相手のペースを乱したりと、自分が速く取ることより相手を調子に乗せないことを優先することになります。
ただ、この試合の金井陣を見る限り、自陣右を早めに減らしていることを除けば札の配置は比較的オーソドックスです。また、取った札も「拾った」ものが大半で特殊な動きをしている雰囲気もありません。ですから、金井選手は局面の複雑化に頼るタイプではないと思います。恐らく、金井選手は全ての試合で相手の長所を消すことに特化したかるたをしているのではないでしょうか。つまり、金井選手にしてみると、自陣を相手が取りにくい形にするのは試合開始前からの規定方針だったのだろうと思います。

もう一つの理由ですが、金井選手は、試合開始前に千早の取りの特徴を見抜いていたのではないかと思います。
試合開始時の千早陣を見ると、右中下段に短い札が多く左上段は浮き札のみという、典型的な右対角(自陣右-敵陣右)重視の配置になっています。これに加えて素振りの様子を見れば、千早は右対角が得意なことは容易に分かったでしょう。ということは、金井選手は暗記時間中には既に自陣右を減らすべきと判断していた可能性が高いです。これが、極端に早いタイミングで思い切った作戦に出ることができた理由ではないでしょうか。
さらに言えば、一般に高校生など若い選手は長い札よりも短い札が得意なことが多いですし、素振りで「タメ」のある動きができるかどうかで長い札の取りの巧拙はある程度分かるので、千早が3字札・4字札をどの程度取れるかも試合開始前に推測できたと思います。上で書いたとおり金井選手は相手の長所を消すかるたをするタイプでしょうから、後述のような決まり字の短い札の処理も試合前から考えていたのではないでしょうか。

中・終盤戦

この試合は中盤以降が描かれていません。最終結果が6枚差と紹介されているだけです。ですが、中・終盤も金井選手にとっては決して楽な試合ではなかったはずです。というのも、この試合は相当なスピード差がある勝負なので、金井側にしてみると、終盤に札が取れなくなって一気に逆転されるリスクが最後まで残るからです。これはスピードで不利な選手には常につきまとう問題です。
遅い選手が速い選手に楽に勝てる展開は速い選手が自滅するパターン(お手つきを繰り返すなど)ですが、この試合ではそうはなっていないと思います。試合の序盤に千早は「うら」と「はなの」でお手つきをしています(金井選手はかなり助かったと思います)が、序盤の終わりに金井15-20千早と5枚差が付いていながら最終結果が6枚差だったということは、中盤以降でお手つきによる自滅で差が開いたわけではないと推測できるからです。つまり、金井選手は中盤以降に自分よりも速い相手を相手に札を15枚取っています。

どのように金井選手が札を取ったか作中から読み取ると、まず、15-20の場面以降で描かれている金井選手が取った札は、「みかの」(左対角の分かれ)、「あひ」(金井陣右→千早陣左に送る)、「わすら」(金井陣左単独)です。それぞれ、分かれ札の敵陣側、送った札、自陣単独3字なのでどれもスピード勝負にはなりにくいですね。このことから、金井選手は、地味な3字札や相手の暗記が回っていない移動した札を主に拾って減らしたのだろうと思います。
このように取りの精度を上げることでスピード勝負にならない札を拾うのは遅い選手が速い選手を相手にする場合には一般的な作戦ですが、終盤にはうまくいかないことが多いです。試合が進んでいくと互いに暗記の抜けや漏れが減ってスピード勝負になる札が増えてしまうからです。

ですが、この試合の金井選手は無策ではありませんでした。この試合を見ると金井選手は千早のスピードを殺すために終始一貫した対応をしています。それは、千早が狙いそうな短い札を高頻度で動かすことです。例えば、15-20の後では1字になった「よを」が金井陣左から右に移動されていますし、その少し前にはやはり1字になった「しら」が金井陣から送られています。さらに、「ちは」に至っては、まだ「ちぎりを」(2字決まり)が千早陣にあるタイミングで送られているのです。敵陣で「ち」が1字決まりになるので送りにくい札ですが、それまでの千早のかるたの傾向を見て、狙い札を絞らせないことを優先したのだと思います。
短い札を動かすことが速い相手への対策として常に正解になるとは限りませんが、この試合の千早は移動した札に暗記を取られて金井選手に札を拾われているので作戦は成功していますね。おそらく、試合終盤まで千早の狙いそうな決まり字の短い札を動かして暗記負荷をかけ続けることで、それ以外の札を拾って取れる状態にする意図があったのではないかと思います。千早の側からすると、試合の序盤から遅く拾われる札が多かったので暗記の意識が必要以上に強くなり、(本来はそこまで意識しなくても取れたはずの)移動した短い札を過剰に暗記してしまったために、逆に地味な札への意識が弱くなって遅く拾われてしまうという悪循環になっていたのではないでしょうか。

この試合の金井選手は、千早の感じの早さや腕の長さに驚いたり、千早を悩ませて喜んだりと様々なリアクションを見せていますが、これこそが金井桜という選手の本質ではないかと思います。スピードで圧倒的なハンデを負っている彼女にとっては、相手を観察してその長所を封じ込めることが最大の武器であり生命線でしょう。コミカルに描かれているリアクションこそが、金井桜が千早の一挙手一投足を集中して観察していた証拠であり、彼女の勝負の姿だったのではないでしょうか。


ちはやふる6巻


ちはやふる6巻


ちはやふる6巻

多くの名勝負が描かれている「ちはやふる」の中でもわずか2話、ページ数にして30頁程度の試合について長々と書いてしまいました。まるで金井桜ファンのようですが、実を言うと私は金井選手のようなかるたは好きではありません。スピードでの抵抗を一切放棄したために相手の長所を消すこと以外の意図が乏しく、相手に適切な対処をされるとすぐに手詰まりになる消極的なスタイルだからです。スピードに恵まれなくとも創意工夫のあるかるたで積極的な勝負を仕掛ける選手は沢山いますし、そういった選手の方が私は好きです。
そんな私がこのエピソードのことを紹介したのは、良きにつけ悪しきにつけ選手の生き様が出る競技かるたの一面が、こんな脇役の試合でも丁寧に描かれていることがすばらしいと思うからです。それこそが「ちはやふる」という作品が傑作である理由の一つだと思うのです。

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