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【連載小説】羊ヶ丘さんちのオオカミ怪人⑧

「ウルフガルム……っ!」

 やっぱり、彼だった!

 私は、今にも飛びついてしまいそうなのをグッと堪えた。

 常闇のようなフサフサの毛並み、鋭く赤い目、凶暴なほど尖った牙、ピンと立った耳、そしてゆらゆらと揺れ動く尻尾。何度見ても、彼の姿は私を魅了してやまない。

「あぁ、そうだ。てめぇの言う通り、俺はウルフガルム・シェイドランナーだ。怪人の俺を助け、家にまで上げるなんて、本当にどうかして……って、おい!? なんだその血走った目は! なにじわじわ近付いてきてんだよ!!」

 しまった。彼に夢中になりすぎて、身体が勝手に。
 
「えと、知ってしまったあの毛並みの感触を、また味わいたいなぁって……だめ?」

「ダメに決まってんだろうがっ! 両手をワキワキさせるな! この段差からこっちに来んな!」

「そんなぁ」

 ウルフガルムにけん制され、がっくりと肩を落とす。

 だって、理想の獣人様がこの距離にいるんだよ? 興奮するし、あわよくば堪能したいでしょう。

 ウルフガルムは一度短く息を吐いてから、威嚇するように玄関脇の壁を拳で叩いた。その音に驚いて顔を上げた私を、冷ややかな目で見下ろしてくる。

「おい、女」

衣奈えなです。羊ヶ丘ひつじがおか衣奈えな

 ウルフガルムの威圧感に怯むことなく、私は真っ直ぐ彼を見上げた。

 そんな私が気に入らなかったのか、ウルフガルムは鼻先を私の鼻へ近付けるようにして顔を寄せた。

「名前なんてどうでもいい! おい。てめぇの目的は何だ?」

 突然、あまりにも突然、彼の方から接近され、私は言葉を失った。

 鼻筋の通った立派なマズルと大きな口が、バランスよく配置されている彼の顔。それが、目と鼻の先に迫っていた。

 三白眼に浮かぶ鮮烈な赤い瞳には、私だけが映っている。

 え、近。無理。超絶ワル顔ケモ選手権、軽々優勝な御尊顔しんど……。
 
 私の頬が上気していることを怪訝に思ったらしく、ウルフガルムは眉間に深い皺を寄せ舌打ちした。

「なんでそんなに嬉しそうなんだ」

「……だって、また会えたから」
 
 間近でお顔を堪能できるからと正直に言うのは、威嚇されたばかりなので気が引けた。とは言え、これもまた私の本心だ。
 彼は私の言葉に呆れ果てたとでも言うような大きな溜息を吐いた。

 「……マジでどうかしてやがる。俺は怪人だぜ? それも、てめぇら地球上の生き物からフレドルカを奪う、な」

「うーん。そう、だけど……」

 、私はウルフガルムとお近付きになりたかったのだ。

 ウルフガルムは、悪の組織シャドウオーダーの一員として、人々からフレドルカを奪い取るために星明町ここへやって来た。普通の人ならば、怪人である彼を恐れ、憎むべき存在と見るだろう。

 でも、私にとっては違う。ウルフガルムの雄々しさ、悪役然とした振る舞い、そして何よりもその外見は、私の理想の獣人像そのものだったのだから。

 毛並みや牙、尻尾には、私の心をときめかせる要素がたっぷり詰まっている。彼が粗暴であるほど、その魅力は増して見えた。そんなウルフガルムと接触できる機会があること自体、私にとって夢のようなことなんだ。

 それだけじゃない。彼の中に潜む微かな優しさも、私は感じ取っていた。

 ウルフガルムは一度、落下しそうになった私を尻尾で押し出して助けてくれた。彼は態勢を変えようとしたからだって言っていたけれど、意図して尻尾を動かさないと、成人女性の体ひとつを押しやることは難しいと思う。私が瀕死のウルフガルムにフレドルカをあげて気を失った時だって、彼は私をそのまま放置せずに助けようとしてくれているし。

 それに、私が今まで集めてきた情報を見る限り、ウルフガルムは人々からフレドルカを奪っても、命までは奪っていない。

 優しい一面を隠し持った粗野で狂悪なオオカミ獣人という、私の性癖に真っ直ぐぶっ刺さる彼に対して、ネガティブな感情など持ちようがないのだ。あるとすれば、二度と会えなくなるのはツライ、ってことくらいだろう。

「……ウルフガルムが無事でいてくれて、良かったなって」

 猩々緋色の瞳が、一瞬揺らいだ。けれど、すぐに冷たい眼差しに戻り、突き放すように言った。

「良かった、だぁ? ……あのまま死なせてくれりゃ楽だったんだ」

 その言葉に、私は思わず息を飲んだ。深い絶望が滲んだ声が、瞳が、私の胸に小さな針となってじわじわ刺し込まれてくるようだった。

「シャイニングナイトに負けちまったからな。成果もあげられず、倒されちまうような弱い手先は、組織に必要ねぇ。俺は……シャドウオーダーの汚点だ」

「そんな」
 
 「戻れねぇし、仮に戻れたとしてもお払い箱だ。ヒーロー気取りの連中に捕まれば、消滅する以上に屈辱的な道が待ってる。ここに残ってたって、俺が生きていくにはフレドルカが必要だしな。これがどういう意味か、分かってんのか?」

「あ……」

 ウルフガルムが生き延びるためには、フレドルカを奪い続けなければならない。つまり、人々の脅威として存在し続けるということだ。それはまた、シャイニングナイトに追われるということでもある。戻る場所のない彼にとって、安息の地は……。

 考えが及ばず、私のエゴで彼をこの地に引き留めてしまった。その事実に気がつき、血の気が引いていく。

「ごめん、なさい……私のせいだ……」

 申し訳なさからうつむくと、黒い毛並みに覆われた大きな手の片方が、私の頬を荒々しく掴んだ。爪が刺さるような痛みは無かったが、力強い指先は肌を強く押さえつけ、私の顔を無理矢理上へと向けさせる。

 その瞬間、彼の厳しい視線が目に飛び込んできた。深い闇のようでいて、ギラギラした赤い双眼に再び捕らえられ、私の胸は締めつけられるような痛みを覚えた。

「あぁ、そうだ。全部てめぇのせいだ」

 ウルフガルムの言葉は鋭く、心に突き刺さった。私のせいで彼が苦しんでいる。それを思うと、また胸が痛む。

「俺の周りをちょこまかと……狩りを邪魔しやがって! フレドルカも満足に集められねぇわ、シャイニングナイトと満足に戦えねぇわで、散々だ!」

 彼の指先の力が強まり、食い込む指先が痛い。

「それに、てめぇのフレドルカ……あれは何だ? 妙に良質すぎる。普通の人間が持つものじゃねぇ。それを持ってるてめぇが何者かなんてどうでもいい。けどな、おかげで余計にややこしいことになってんだよ!」

 そう言われても、私にはフレドルカの違いなんて皆目分からない。私だって普通の人間だ。違うと言えば、極度のケモナーってことくらいで。

 ウルフガルムは、言葉を続ける。

「しかも、普通なら俺を恐れるべきだろう? 怪人である俺に好意を持つなんて、どうかしてる。こんな馬鹿は見たことがねぇ」

 彼の手がさらに強くなり、私の頬が痛みによって熱を持つ。痛い。けれど、涙をこぼしてはいけない気がして、ぐっと堪えた。

「忌み嫌われるべき俺の命を助けたところで、何が嬉しい? 何の得がある? 俺に、何を望んでるんだ!? てめぇのその行動が、俺には全く理解できねぇ……!」

 彼の厳しい視線は私を捕らえ続けている。

 「なぁ、俺がどれだけ苦しい思いをしているか、全然分かってねぇだろ」

 分かってあげたい。理解したい。けれど、どう返していいのか分からず、私は彼と視線を重ねたままでいることしかできない。

「てめぇのせいだ。てめぇが俺にフレドルカを注いだせいで……俺は、狩りが出来なくなっちまった……フレドルカを奪おうとするたびに、てめぇの顔がちらつきやがるからだ! 奪ったところで、てめぇのぬくいフレドルカじゃねぇと渇きが治まらねぇ気さえしてくる。そんな真綿で首を絞められるような状態で生きるしかねぇ俺の気持ちが、てめぇに分かるか?」

 ほんのわずかに、私の頬を掴んでいた手の力が弱まった。

「分かんねぇだろ? それなのに、てめぇはまた俺の前に現れやがって……能天気にヘラヘラしやがってよ……俺の顔見て、喜んで……腹が立つのに……何なんだよ。なんで俺は、っ……てめぇの顔見て……安心したんだ……?」

 そこまで聞いて、私は一瞬、思考が停止した。
 
「え。安心、したの?」

「知るか! が、一番近い言葉を選ぶなら、そうだって話だ。てめぇの訳分からんフレドルカのせいで、俺の頭ン中は、今めちゃくちゃなんだよ! どうしてくれんだ? このアマ!」

 相変わらず厳しい口調で返されたけれど、たぶんウルフガルムは、湧き上がってくる新しい感情に戸惑っているんだろう。

 フレドルカを奪おうとするたびに私の顔が浮かんで、私が無事だったから安心したってことでしょ? それってもう……簡単に言えば。

「もしかして、ウルフガルム……私のこと、す」

 好きなの? と、聞こうとした瞬間。

「あ゛ぁ゛ん?」

 ウルフガルムが邪悪で不機嫌な真っ黒オーラを一気に纏い、ビキビキ、という効果音がぴったりなほど鼻の頭と眉間に皺を寄せて睨みつけてきた。、という絶対的な圧を感じる。私の頬を掴む手にも改めて力が込められ……さっきよりも痛い。

 自惚れました、ごめんなさい。

「うぅん、ぬんどむぬいなんでもない

 ウルフガルムは睨みつけながら短く唸ると、少し乱暴に手を離した。

 じんじんと痛みの残る頬を両手で擦ってから、私は居直り、彼を見上げた。『帰る』と言われてしまう前に、ちょっと閃いてしまった提案をしなければならないと思ったからだ。

「……あのさ、ウルフガルム」

「んだよ?」

 また不愉快そうに眉間に深く皺を刻む。それでも、私の言葉を待ってくれるところが、なんだか愛おしく感じた。

「うちに、住まない?」

「はぁぁ!?」

 あ、やっぱり。すごく嫌そうな反応。

 それでも、私はもう半分以上その気になってしまっていた。居場所がないなら、提供すればいい。

「ウルフガルムが生きていくには、フレドルカが必要なんだよね? だったら私がフレドルカをあげる! そうすれば、他の人を襲う必要がなくなるでしょ? うちにいる分には、シャイニングナイトもわざわざ探してまで倒そうとしないだろうし」

 我ながら名案だと思う。ウルフガルムは居場所もフレドルカも確保できる。私は夢にまで見た獣人との同居生活(ふれあい付き)を叶えられる。Win-Winの関係とは正にこのこと。

「何言ってやがる……俺は怪人だぞ。人間と一緒に住むなんて」
「いいのいいの! 私は大歓迎だから! だって私、ウルフガルムのことが大好きなんだもん。ウルフガルムの力になれるなら、これ以上のことは無いよ!」

 食い気味に私が答えると、ウルフガルムの表情が少し柔らぎ、戸惑いと迷いが混じったものに変わった。

「俺は……」

「大丈夫。食事も、寝る場所も、ちゃんと提供する! お金は心配しないで! 趣味に使ってたお金、今日から全部、ウルフガルムを養うために使うから!!」

 ウルフガルムは口を開けて何かを言おうとしたが、結局何も言わなかった。その代わりに、彼はさっきよりも柔らかい音で唸りながら、視線をそらす。

「……とんでもねぇヤツ……」

 おっしゃる通りだと思う。物心ついた時から、獣人コンテンツについては全力だったんだもの。

 私はウルフガルムの手を取り、しっかりと握りしめた。

「私と一緒に居て、ウルフガルム。私が、あなたを守るから」

 押しつけがましいのは分かってる。それでも、本心以外の何ものでもないし、ウルフガルムの苦痛を減らせるなら惜しみなく提供したかった。

 ウルフガルムはしばらく黙っていた。眉間に深い皺を刻んだまま、私の顔をじっと見つめている。猩々緋色の瞳の奥に、何かが揺らいでいるのが見えた。

「……てめぇは、本当にどうしょうもねぇ女だな」

 やっと口を開いた彼の声は、驚くほど穏やかだった。

「でも、まあ……そこまで言うなら仕方ねぇ。衣奈、とかいったな。てめぇの家を、隠れ家として使ってやるよ」

「ウルフガルム……!」

 思わず抱きつきたくなる衝動を抑えて、私は彼に微笑んだ。

 これで、獣人同居ハッピーライフの幕開けだ!

「ただし、ひとつ条件がある」

「ん? なぁに?」

「俺に気安く触んじゃねぇぞ」

「えっ」

 お触り禁止!?!?

「そ、そんな……!」
 
「それができないなら、この話は無かったことにする」

 わ。またすごい剣幕で睨んでる……。
 
「う、うぅ……っ」

「どうなんだ? 衣奈」

 無かったことになるくらいなら、今は我慢!
 こうなったら、早急に距離を縮められるように努力するのみ!!
 
「っ分かりました!」

 私は決意の表情で頷き、彼の手をもう一度強く握った。
 
 ウルフガルムは少し呆れたようにため息を吐いたけれど、その瞳にはもう苦しみや戸惑いの色は残っていなかった。

 
 こうして、私とウルフガルムの非凡な同居生活が始まったのだった。

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