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萩尾望都が竹宮恵子を意識している?と思わせる行動

大泉本には1973年の下井草での一件以後、「私は一切を忘れて考えないようにしてきました。」とありますが、萩尾さんのとってきた行動を追っていくと、萩尾さんは竹宮さんのことを考えないようにしてきたどころか、竹宮さん(と萩尾さんの両親)がいなければ、いったいこの人は何を描いていたのだろう?と思わせるほど竹宮さんのことを意識してきた様子が伺えます

まずは以前も書きましたが、1974年の『トーマの心臓』ですね、この作品自体が竹宮さん増山さんのお好きな「少年愛」への否定となっていて、サイフリートの鞭打ち描写などとても当てつけっぽく感じてしまいます。まあ萩尾さん自身もおかしなものを描いてしまったという意識があるのか、何かの対談で、あれは習作だの恥ずかしくて読み返せないだの語ってました。これでは『トーマの心臓』を絶賛している人の立場がないのでは?と思ったりもするのですが……
実際、『トーマの心臓』はそもそも発表するつもりがなかったようで(『思い出を切りぬくとき』に書かれてます)、おそらく当初は竹宮さんや増山さんにもそう語っていたのではないでしょうか?

次にイケダイクミさん原作の『温室』を1975年に描いてます。「温室」と言えば、OSマンションで「なぜ、温室が出てくるのか?」と問われたと大泉本に書かれているアレですよ。タイトルからして挑発的だけど、内容も裸の男同士の絡み合うシーンが出てきたりと、これを「風と木の詩」の連載が始まる前に描かれたことは竹宮さんにとって精神的にキツかったのではないでしょうか。大泉本には『温室』の原作は「文章」だったと書かれているのですが(病気で漫画を描けなくなってしまったそうです)、ひょっとして、萩尾さんが温室を舞台にした原作を書いてほしいと依頼したのでしょうか?『温室』が漫画化された経緯にも興味が湧いてきます

同じ年の1975年『週刊少女コミック』2号(発売は1974年の終わり頃?)で、「少コミ人気まんが家大カタログ」という企画があったのですが、そこにまんが家への質問として「まんが以外の好きな本と作家」という問いがあり、竹宮さんの回答は「光瀬龍、ケストナー、広辞苑、コクトーの詩」というものでした。竹宮さんは少なくとも1975年から、光瀬龍氏の作品を好きだということを表明していたわけです。萩尾さんが光瀬氏の『百億の昼と千億の夜』を週刊チャンピオンに連載し始めたのが1977年8月のことですから、その2年以上も前に竹宮さんは光瀬龍作品が好きだと公表していたことになるのです。SF好きの萩尾さんでしたが、実は光瀬龍作品はそれほど読んだことがなかったようで、『百億の昼と千億の夜』の原作を初めて読んだのは連載開始1年前だったと対談で語っています。つまり、萩尾さんは竹宮さんが光瀬作品を好きなことを十分承知の上で『百億の夜と千億の昼』を読み、漫画化を希望した可能性があるのです。仮に萩尾さんが知らなかったとしても、城さんを始めとした周囲の誰かは少コミを読んで知っていたと思うので、萩尾さんの耳に入らなかったとは思えないのですが、大泉本ではこう書かれてます

「ただ、1977年に光瀬龍先生の『百億の昼と千億の夜』の連載を始めた時は、どこからか、OSマンションの方も光瀬先生の大ファンだと風の噂が流れてきて、これも排他的独占領域にひっかかったかな?と青くなりました。」

この件に関してさらに不愉快なのが、SF者を名乗るSF界隈の人物の対応です。SF界隈の人たちは5ちゃんねるの大泉スレが出来た初期から参加していたのですが、このスレ自体がかなり萩尾擁護に偏っていて、スレ住人はほぼ竹宮アンチばかりで、竹宮さんを擁護する人はアラシ扱い、SF者を名乗る彼らも竹宮さんへの敵意を隠そうともしてなかったです
SF界隈の人物はどうやら複数いるらしいと気づいたのは最近のことですが、その中に長山靖生と思われる人物もいました。5ちゃんねるは匿名なのになぜわかるのかというと、まだ発売日前のSFマガジンの記事について詳細に「私が書きました」という体で語っていたからです。その後実際に発売されたSFマガジンも予告通りの内容でした(2021年10月号の「SFのある文学誌」第78回)。その中の【光瀬龍とふたりの女性マンガ家】という章なのですが、細かい部分が間違っていて、萩尾さんが『百億の昼と千億の夜』を読んだのが昭和40年頃になっていたり、竹宮さんと光瀬氏の最初の仕事が1978年の対談になっていて(正しくは1977年)、「それにしても驚くのは、光瀬への接近が、萩尾によるマンガ版『百億の昼と千億の夜』直後という点だ。」と間違った知識を元にいやみったらしく書いてるんですよ。実際は8月の萩尾さんの『百億の昼と千億の夜』連載開始以前に竹宮さんと光瀬氏は月刊マンガ少年関係の仕事で会っているようです。6月に行ったヨーロッパ旅行のおみやげを光瀬さんに渡したいと竹宮さんが別コミまんが家新聞に書いてましたから。
話がそれましたが、SF界隈のことに関してはそのうちまとめて書くかもしれませんのでこのへんで

次は寺山修司に関してです。大泉本にも書かれているように、寺山氏も萩尾さんと竹宮さんのお二人とお付き合いがあったのですが、どうやらこちらも竹宮さんのほうが先だったようで、1976年の週刊少女コミックの「まんが家ホットジョッキー」に3度にわたって寺山氏のことを書いてます。寺山氏から「電話が来た」、「会った」、「家に招待された」と。一方の萩尾さんですが、萩尾さん自身が大泉本で書いていたように、新書館の仕事が初めてだとすると、『アニス・ビスケット・タイム』(1977年12月初版)のことだと思われるので、竹宮さんより1年ほど遅れてということになります。しかし大泉本ではこう書かれてます

「それから、寺山修司さんと新書館で一緒に仕事をしている時、OSマンションの方も寺山修司の大ファンだと風の噂が流れてきて、それを聞いてからは寺山さんの企画が立ち上がって依頼されそうになっても、そうっと逃げてしまいました。やはり排他的独占領域に触れることを恐れたからです。」

これも疑問だらけです。仮に萩尾さんは「まんが家ホットジョッキー」を読んでないとしても、城さん他アシスタントさんたちの誰かは読んでいるはずです。最初に仕事を依頼された段階(誰が依頼したのかわかりませんが)で萩尾さんに教えた人は一人もいなかったのでしょうか?竹宮さんがあの有名な寺山修司と親しくお付き合いしてることはマンガ業界でもおそらく話題になっていたでしょうし、新書館の編集者は当然知っていたと思います。そもそも「風の噂」っていう表現がいやらしい、竹宮さんが光瀬龍のファンであることも寺山修司とお付き合いがあることも、どちらも萩尾さん自身がマンガを載せている少コミや別コミに活字としてとっくに記載されていたことなのです。
しかも萩尾さんと寺山氏との「あなたのファンタジィ」シリーズは1977年の『アニス・ビスケット・タイム』だけでなく、1980年の『マジパン・タイム』まで9冊も出版されてるんですよ?「そうっと逃げた」というのは一体いつのことなのでしょう?

(追記:正確には、萩尾さんが寺山氏と最初に出会ったのは、雑誌『モンブラン』1977年11月号の仕事のようです)

「排他的独占領域」などと馬鹿げた言い方をして、萩尾さんは、さも自分はそこに触れないように気を遣ってきたという書き方をしてますが、実際はわざとぶつかっていったんじゃないの?と思えてしかたありません。そう思うのは1979年に『恐るべき子どもたち』を漫画化していることも大きいです。だってこれ、コクトー原作ですよ?1975年に竹宮さんが好きだって挙げてる作家ですよ?『風と木の詩』の有名なジルベールはジルベール・コクトーなんですよ?
いくらなんでも萩尾さんが「知らなかった」は通用しないでしょう。
もちろん、『恐るべき子どもたち』を漫画化してはいけなかったと言ってるわけじゃありません、そういうことではなく、排他的なんちゃらを避けるなんて自分で恩着せがましく言ってるけど全然守ってないじゃん!むしろその逆じゃん!って言いたいのです

その後も『メッシュ』の舞台が竹宮さんの大好きなパリで、性愛のないメッシュとミロンの男同士の愛情を描いていたり、『マージナル』で男だらけの不毛な星を描いたり、『残酷な神が支配する』が『風と木の詩』へのアンチテーゼだったりと、竹宮さんを意識してる?様子がちらちら伺えるのですが、面白いと思ったのが、少年愛がわからないと言われたことがよほど気に障ったのか、萩尾さんの描く主要人物で純粋なゲイって私の知る限りいないんですよ。ポーのアランは女の子大好きだし、トーマのユリスモールは「少女への初恋」を語ってます。『11人いる!』のフロルも愛に性別なんて関係ないという展開にはならずに、女性になることを選択します。『メッシュ』のメッシュとミロンは同居してますが、どちらも異性愛者です。『マージナル』も女性がいないから、仕方なく同性愛やってる人が大半で、主人公3人はバイセクシャルですし、『残酷な神が支配する』のジェルミとイアンもバイセクシャルです。絶対に純粋なゲイは描きたくないのか、ゲイっぽい男性が描かれたとしても、「彼は女も好きなんだ」という描写が必ず入ってきます

もう一点興味深いのが、萩尾さんの作品には「首しめシーン」が多いんです。これも大泉本に出てきますが、「首しめ愛がわからない」と言われたことに腹が立ったのか、「本当の首しめとはそんなものじゃない!」と訴えたいのか、ありとあらゆる首しめシーン(ただし竹宮さん増山さんが主張するものを除く)を描いてやる!と思い立ったかのようです。大泉本でも、「私、出会ったら、絶対その者(盗作の噂を流す者)の首を絞めてしまいます」と書かれてましたが、あの表現も竹宮さんに対する当てつけでしょう。とにかく首しめに凄いこだわりがあるようなので、萩尾全作品読破して、首しめシーンの出る作品を調べてみようかとも思ったのですが、全作品読破することがめんどくさくなってしまって……とりあえず、私の知る限りということで

『トーマの心臓』…エーリクが自分自身の首をしめて失敗、ユーリがエーリクの首をしめようとする
『メッシュ』…「謝肉祭」でルシアンがメッシュを殺そうと首をしめる
『マージナル』…グリンジャが目撃者を消すためチトの首をしめて殺す
『城』…裏切ったメディーナの首をオシアンがしめる
『残酷な神が支配する』…グレッグがジェルミの首をしめる描写もイアンがジェルミの首をしめる描写も複数回存在、ジェルミがイアンに首をしめて殺してほしかったと語るシーンあり

他に見つかったら追加しておきます


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