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本能寺でお墓について考えてみた

京都へ二年前に一泊二日の旅をました。車で二時間の場所なのですが、素敵なホテルを予約して宿泊すると非日常を体験できるので、一年に一度は出かけています。

その日はまず本能寺へ行きました。織田信長公が命を落とした「本能寺の変」が有名ですね。もっともその頃の本能寺とは場所が違います。豊臣秀吉公が別の場所に移転させたのだそうです。元の場所は住宅地になっているそうですよ。

さて、本能寺には織田信長公のお墓がありました。大きくて立派なお墓でした。そして驚いたことに本能寺の戦没者の合祀墓があったのです。1582年の戦いですから、今から400年以上も前です。お墓に関する知識がないのでよくわからないのですが、400年前の日本でのお墓の形態はどんな風であったのでしょう。身分の高い人が個人のお墓を持っているのはわかります。身分の低い人たちはどのようにしていたのでしょうか。

実は我が家はお寺の過去帳をさかのぼると、鎌倉時代から続いている家のようなのですが、お墓は昭和になってから立てたのだそうです。それまでお墓はなかったのです。今では当たり前ように思われているお墓まいり。ひょっとするとお墓を持つことが日本人の常識であるという情報を流すと、ある業界が儲かるということかもしれませんね。

最近、初もうでが始まったのは、鉄道会社の戦略だったという話を聞きました。日本ではもともと初もうでの習慣がなく、家の中で家族そろって静かに新年をお祝いすることがお正月だったそうですよ。

地に足をつけて生きていくサポートをしてくれる色は赤です。常識に思っていることも業界の戦略に乗っているだけかもしれません。

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