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クララが立った(°▽°)ひこのが笑った☆

にへへへへへへ
でへへへへ

にひゃははうはは
みょにぇにぇにぇにぇーーー(°▽°)ー→→→

ふみ「おい、いくらなんでもとろけてゆるんで溶け去りすぎだろ。戻ってこい」

ひこの(ひ)「はい、ふみさん」(即)

ふみ「おまえ…、ここでは自由自在なんだな。まじビビる」

ひ「はあ。実生活でもこのように変幻自在でいきたいものです」

ふみ「うん。これからが楽しみだ」

な~んでこんなにうれしくて

な~んでこんなにたのしいの?

だって
だって

ずっとみたかったけしきが
めのまえで繰り広げられている

お父さんもお母さんも
息づかいが

うわ!生きてる

いま
まさに活きてる☆

ぴちぴち
跳ねる
お魚みてるみたいに

呼吸

応答

なにかを
交換・交感・プレゼント交換会してる

って感じるから

だから
笑いがとまらない。

同じようなことが
すこし前にもあった。

ふみさんと遊んでしまって
なかなか話が進まなかった

家族4人(父・母・わたし・弟)に集まってもらって
『わたしが話を切り出した』あとのはなし。

9月1日のことだった。
話の流れとしては、
ここ二ヶ月で父の足腰が弱ってきて今も回復するかどうかの過渡期。
父の生活上のあらゆるサポートが同居しているわたしにかかっていて、父もわたしもくたくた。
福祉サービスを利用しながらも、とくに母にはこの家で起こっていること(父の様子)をもっと見て知って関わってほしいし、できればこれまでよりもっと踏み込んだかたちで協力してほしい、ということから

父は母に「ほんとうはきみと仲良くしたい」「ぼくの生活のことを手伝ってもらえたら嬉しい」と言葉にして伝えてくれた。

また、わたし(彦乃)は

この家を出るつもりでいる。父と暮らして父のサポートをしていれば、そとに出て働かなくても生きられるし、どこでも「親孝行の優しい娘さん」と称賛されていい気持ちにもなれる。
でもわたしは、そういうぬるま湯の安全圏から出て、散々挫折してきた家のそとに出て自立して生きていくと決めた。

そう伝えて、父の暮らす家からわたしが出ていくことを踏まえて、これまでの夫婦の生活スタイルの編みなおしをしてほしいと母に伝えた。

そして母も弟も、父の生活で必要なサポートとわたしの自立のために協力すると応えてくれた。

ひ「うおあー、ふみさん」

ふみ「おう、どうした」

ひ「なるべく簡潔に書いてるつもりなんですけど、くどくどしくてしんどくなってきました」

ふみ「うん。これ読み進めてくれるひとは"とりあえず彦乃の立っている舞台設定は押さえとくか"って腹くくってるひとだろうな」

ひ「ありがたいことです」

ひ・ふみ『誠にありがとうございます!』

ひ「なんせ、こういうぶっちゃけ話をし出したら、弟が言い出したんですよね」

ふみ「なんて?」

弟・談

「俺は正直、父も母もどっちもどっちやと思う。母は言わんでええひとことを納めておくことがでけへんし、父は父で母に結構キツいことぽんぽん言うてるし」

「だから、父は母と仲良くなりたいんやったら自分の態度見なおさなあかんで。態度が変わらんのにいくら仲良くしようって言ったってそら無理やで」

わたし「そやそや。お父さんはお母さんへの当たりがキツい。わたしには言わんようなキツい態度けっこうあるで」
(父→困り顔、でも弟の言うことは素直にわりと聞く)(わたし→ずっと言いたかったことみんなの前で言えてすっきり)(母→たぶんいくらか快哉を叫んだのでは)

弟が、父にも母にも二人のやりとりにも率直にバッサリ「なんでそないやねん。でもどっちもどっちやから片方に付くことはでけへんわ」と爽快に切り捨ててくれたおかげで、当たり前の常態すぎて本人を前にしては誰もが言わずにいた長年の鬱憤がスカーッと晴れて、

一見ガチャガチャした言い方で
けんけんがくがく騒がしくしているのに、
穏やかな静けさとは程遠い、ちゃきちゃきの大阪弁の応酬のなかで、

わたしはにっこおーーーとにこちゃんマークの笑顔になっていた。

言いたいこと言い合って
ひとりの情けない姿やことばが思わずこぼれて
それをべつの誰かがツッコミ入れて
「そこまで言わんでも」「いや言うやろここは」
みんなでいっしょに笑い飛ばす

うわああうれしいたのしいしあわせ
ぜんぜんスマートじゃない
家族のほころびが愛しい
かちかちに固まったほころびの穴をほじくって拡げてみせて
みんなに見えるように「ほれっ」と差し出してくれた弟に心から感謝した

ひこのがわらった

ひひひ、あはは、 くくくくく

こどもみたいにわらった

にっへえーーーー

からの
『くくくくるしいあはははは!!!』
なのでした。

一階(した)で起きてる父と母のやりとり
声の調子に尖りを感じてびくっとなる時があるけど
話している内容が大して聞こえなくても

つめたいやりとりじゃないってわかる
「まさみちさんのことで恐怖を感じる」という言葉はよそいきじゃない

わたしのまさみちさんへの関わりかたを心配するような会話にもたいして何とも思わない

ただそう感じているんだな
うんうん
そっかー

そんなふう

聴こえてくる声に乗せられたなにかに
わたしはぴちぴちお魚の跳ねる音を感じるから

その内容が自分の想いや考えとちがっていても
かなしくなったりくるしくなったりしないみたいだ

わたしを苦しめてきたのは

思いやりでくるまれた血の通っていないことばの空しさだったから

表面を覆う思いやりに律儀に反応して
反応しないと礼儀に反すると思って

死んだ魚に
かわいいね、ありがとううれしい、とか言ってあとで吐きそうになってた

死んでる魚が死んでないかのように
必死でふるまった

それが人とコミュニケーションをとるってことなんだと
会話を成立させるためにあれこれあたまを悩ませてくたくたにつかれて

そのうち
世界の滅亡だけがわたしを救うって
本気で信じて生きるようになった

中途半端なまぎらわしは要らねんだよ、って
健康とか美しさ、生きるよろこびから
どんどん遠ざかっていった

とりとめなくなってきました
ふみさんガイドから逸れちゃったかな?

家族がぶつからないように
距離をとってよそよそしく
声を荒立てないように
つるつる表面だけのやりとりしてるのって  

しかもそんな表面上の関係を維持するために
ぱたぱた父と母のあいだを「伝書鳩かよ」って鳩使ってる当人に揶揄されてまでやってきた自分

もうやーめた。 

つごうのわるいむすめでいいよ
せけんさまにもおともだちにも相談できないようなこと始めちゃったのは当てつけじゃないよ

ほんとうにやりたいことが
たまたまそうだっただけだ

だからそれをやる。

やるためにひつようなことをする。

そのためならお金を稼いでやる。

はたらくとかおかねをかせぐとか
たぶん良いイメージがあまりないけど

弟に「やりたいんなら働けや」って言われて

「やってやらあ、目にもの見せてくれる」って思ったし

思わせてもらったよ

あのとき、

あ、応援してくれてるんだ
あんな口調で、啖呵切らせてもらったんだ

ってわかった

だから

ありがとう

おとうと おかあさん おとうさん

ふざけんなって思わせてくれてありがとう
だいすきだ!って思わせてくれてありがとう

そとに出たいって思うようになった

なにが起こるかわからなくても
そとに出て生きていくんだって

思うようになった

これが
まさみちさんとあなむさんと
リーディング仲間のおかげだと言ったら

おとうさん おかあさんは
かなしい気持ちになるかな?

せかいじゅうのなんでもいいから
つかえるものはぜんぶつかって

わたしは自由自在に生きていく

そう決めたから

まさみちさんもあなむさんも
そんなふうに
わたしが使ってるだけだよ

前よりも少しは
わかってもらえる

伝え方できたんじゃないかな

って思うんだ


長すぎた。

ボリューム考えないと
家族に読んでもらえないぞー








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