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売られていく小牛

 床屋さんでブラビア誌を開くと、牛の顔のアップがあった。
そのやさしい目を見ていると、記憶は小学1年生の頃の田舎に飛んでいった。
ボクの家には牛がいた。

その当時、ぼくの田舎ではどこの家でも牛を飼っていた。
田んぼを耕したり、しろかきしたり、現在の耕耘機の働きをしていたのだ。
ボクの家の牛は、「ボー」という名前だったように思う。
オヤジが(とっくに亡くなっているが)、飼牛に向かって「ぼー!ボー!」と言っていたのを覚えている。
ある日、学校から帰ってみると、獣医さんが来ていた。
驚いたことに、獣医さんがもろ肌脱いだ片腕を、牛の肛門の中に肩まで突っ込み治療していた。

牛は牝牛だった。
ある年、子牛を産んだ。
親牛は、長い大きな舌で生まれたばかりの子牛をなめていた。
(今にして思うに、あれが牛タンの元だとは想像すらできなかった)
子牛は、よたよたしながらも立ち上がり、おっぱいを吸うのに全力を使っていた。
親牛とちがって、子牛はとてもかわいい。
親牛をさわる時は、恐る恐る撫でていたが、子牛とは相撲を取っているようなものだ。
ただ、頭を一振りされると、幼いボクはすぐに転んでいたような気がする。

その子牛が、数か月もすると、トラックに乗せられてどっかに行ってしまった。
親牛を牛小屋に残し、子牛を牛小屋から離れたひろっぱに連れて行った。
そこには、幌がけのトラックが待っていた。
荷台に向かう渡り板を子牛は登ろうとしない。
オヤジと馬喰(仲買人)は、けつを押したり、鼻先を引っぱったりしていた。
ボクはオフクロのエプロンの端をつかんで、隠れるように立っていた。
その時、子牛はボクの方を振り向いて、悲しそうに「モォー」と泣いた。
その時ボクは、子牛が売られていくという認識はなかった。
病院か、どっかに連れて行くと言っていたような気がするが、定かでない。

そしてその夜、親牛はいなくなった子牛を探し、呼び戻すように「モオー、モオー」と鳴いていた。
目には涙をためていた。
家族は、悲しそうな牛の鳴き声を聞きながら、夕食をとった。
ボクは「子牛はどこへ行ったの?」と何度も尋ねたが、だれも口をきかなかった。
親牛は夜通し鳴きつづけたようだ。
その後オヤジは、子牛を産ませるようなことはしなかった。
今にして思えば、オヤジたちもきっとつらかったのだろう。
(「ドナドナドーナ」が、売られていく子牛の歌だと知ったのも、ずっと後のことだ)