砂漠渓

noteなるもので脳を刺激しています。 どうしても回想とかが多くなり、過去の人ですが、気分はまだ青春です。

砂漠渓

noteなるもので脳を刺激しています。 どうしても回想とかが多くなり、過去の人ですが、気分はまだ青春です。

最近の記事

久しぶりに絵筆を取る

木道が戦場ヶ原の奥へと続いています。 湯滝から始まった湯川沿いに、上流へと歩きます。 靴音だけが自分を追っかけてきます。 白樺林を抜け、落葉松の林を抜けると、突然に湿原が現れます。 小田代ヶ原です。 男体山が悠然と座っています。

    • どこからか風鈴の音が聞こえてきた。

      夏の日差しを避けて、路地裏に入った。 天の方から、かすかな音が聞こえてきた。 陽射しの中に消え入りそうな音である。 見上げると、すだれの横に風鈴が揺れていた。 チリン、チリンと・・・。 一瞬涼気を感じ、思わず微笑んだ。 久しぶりに聞く音色だ。    わが家には風鈴はない。そのようなしゃれたもんはござんせん。 でも、子供のころにはあった。ふるさとの茅葺の軒下に、短冊がゆらゆらと揺れると、チリン、チリンと鳴った。切ったばかりのスイカに黒いタネが浮かびあがっていた。    なぜ風鈴

      • 紫陽花の咲く頃

        梅雨には紫陽花が良く似合う。濃い緑の葉先から、銀色の水玉が今にもこぼれそう。 権現堂の土手には、紫陽花が咲いていた。 空色のもの、藍より青い青色、ピンクにむらさき、真っ白の花もある。 「七変化」とも言われている紫陽花だが、色は土壌の酸性度(ph)によって決まるという。 酸性の土地には青色、中性・アルカリ性の土壌なら薄紅色やピンクになる。 この色の変化の為か、花ことばのひとつに「移り気」なんて呼ばれているようだが、家族の結びつきのように見えるので、「一家団欒」「仲良し」とも言わ

        • 誘われたが、断った。

          ある知人から、ジョギング同好会に誘われた。 その名も「たそがれクラブ」という。 この歳でジョギングなどすると、たそがれが日没になり「ハイさよならよ」となってしまうので、ていねいに断った。 しかし、まだ山には未練がある。 尾根とか岩場は無理でも、トレッキングならできると自負しているが、これはむなしい果たせぬ夢か・・・。 「たそがれクラブ」の名の由来は、たそがれ時にジョギングをするからだそうだ。 でも、どう見ても彼らの容姿はたそがれ族に見えるが・・・。  

          +3

          書き方にこだわらない、己流の書に挑戦。己書というそうだが金釘流になった。

          書き方にこだわらない、己流の書に挑戦。己書というそうだが金釘流になった。

          +2

          桜が散るころになると、やらなきゃいけない行事が来る。

          別にむつかしいことではないが、厄介なことである。 そのために、人に見られても恥ずかしくない仕事をしなければいけない。 水彩画の小さなグループに参加しており、グループ展がある。 最近はみんなの技量が上がり、愚老の絵などさっぱり見栄えがしない。 それでも描くのは脳への刺激の為。 水彩画を描くことは、普段使わない右脳を鍛える効果があるそうである。 左脳は物事を論理的に処理するが、右脳はイメージ、直感など物事を感覚的に処理するといわれているようだ。 想像力を向上させれば、おのずと

          桜が散るころになると、やらなきゃいけない行事が来る。

          ※桜の木の下に、奇妙は老人が立っていた。

          たそがれ時であった。 桜の木の下に、老人が立っていた。 老人は曲がった腰に両手をあてて、腰をのばしながら桜をふりあおいだ。 その時、「ゴリッ!」と、骨が泣いた・・・ が、異常はなかった。 見上げた老人の視界いっぱいに、桜花が飛び込んでいることだろう。 白い色と海老色が入りまじり、モザイクのように光っているはず。 数片の花びらが落ちてきて老人の肩にとまった。 夕陽の色がいちだんと濃くなった。 「老人よ、帰る家はわかっているのか?」 ふと、問いかけてみたくなった。 その老人は、

          ※桜の木の下に、奇妙は老人が立っていた。

          初冬の日の一日、ちいさな旅に出た。

          そんなに遠くはない。 何度かその近くを訪ねているのに、なぜかまだ未訪問の土地だった。   行き先は、富士山麓の湧水のある忍野八海。 「海」といっても、八つの小さな湧水群である。 かつては大きな湖だったそうだ。 平安時代の噴火で流れ出た溶岩により、この湧水群は形成された。   清らかな川の流れをたどると茅葺の民家が現れ、小さくはあるが信じられないような透明感の湧水池に出た。 富士山の地下で育まれ、伏流水となって地上に現れた水は限りなく清く透明であった。   それまで曇っていた空

          初冬の日の一日、ちいさな旅に出た。

          「自分だったら生きたいとは思わない」の深層

          老人健診で病院に行く。自宅から歩いて5分ばかりのところにある中規模の病院である。  相変わらず地域の老人が多い。長椅子に座って順番を待っていると、すぐ前の椅子に高齢の老夫人がやって来た。一人では歩けないようだ。背中を丸めてヨタヨタとすり足をしている老婆の腕を、しっかりと支えている息子らしき男性がいた。その男性は頭も白く70歳位に見えた。長い人生を歩いた年老いた母親を、すでに初老になった息子がやさしく手をつなぐ姿を見て、ほほえましい気持ちになった。しかし同時に、近い将来の自分の

          「自分だったら生きたいとは思わない」の深層

          夢とロマンの横浜の港

          ある絵のグループで、横浜へ行った。 久しぶりの横浜である。   桜木町駅前から、スキー場にあるようなゴンドラが汽車道の空中をゆったりと動いている。 前に来た時はなかったものだ。   港には、異国へのあこがれを満載した、飛鳥Ⅱ。 海の男たちを育てた大型帆船、日本丸。 その昔太平洋航路を往来した、氷川丸。   横浜の港には、夢とロマンがあった。

          夢とロマンの横浜の港

          キジとシラサギとテントウ虫

          自宅から自転車で10分ほどに、田んぼのある公園がある。 田んぼにはすでの水が張られ、一部は田植えが終わったところもあった。   日本の農業の原点のようなのどかな、ほのぼのとした風景が広がっている。何を考えているのかシラサギが頭を上げて微動だにしない。 草むらではテントウ虫が密になって会食している。   その時だった、「ケーン・・・」とかん高い声が聞こえてきた。 明らかにキジだ。 どこにいるかと目を走らせば、田んぼの畦に悠然とした態度でこちらを見ている。 真っ赤な顔に瑠璃色の首

          キジとシラサギとテントウ虫

          ハーレムの美少女たちの冒険

          アムステルダムから電車で20分ほどの町、ハーレムに滞在したときである。   早朝、ホテルの近くの水路を散歩していると、小さなボートに乗って3人の少女が遊んでいた。一人の少女が立ち上がった時、小舟は激しく揺れた。瞬間、転覆するのではないかと、思わず「アッ!危ない」とつぶやいた。   近くに保護者らしき人はいない。内心「これで大丈夫なのかな」、と感じながらも、彼女たちの勇気には感心した。手を挙げると笑顔で手を振ってこたえてくれた。大人になったらすばらしい美人になる笑顔だった。  

          ハーレムの美少女たちの冒険

          天国への渡し船

          遊歩道を抜けると、突然に視界が開けた。 そこは、天と地が裂けて、別世界が現れたかと思った。 海は、エメラルドグリーンとセルリアンブルーのグラデーション。 砂は、太陽に反射した純白の白。 海面に浮かんでいる船は、天国への渡し船だ。 三途の川の渡し舟より、近代的で快適だった。 もっとも、まだ三途の川の舟には乗ったことがないが・・・ 船底から、亜熱帯の海中が眺められる。

          天国への渡し船

          命との対面

          最近、人の命について考えさせられたことがある。 知床半島の沖で、遊覧船が荒海で沈没、20数人の観光客が投げ出された。 数日過ぎても遺体の見つからない人も多い。 身内の人は、悲嘆にくれながらも「まだどこかの岩陰で助けを求めている」はずだと信じている。 2~3年前、キャンプ場で行方不明になった女児の母親も「必ずどこかで元気に生きている」と信じている。 現実に直面している人の気持ちは、そうでない人には理解できないことかもしれない。 子供の頃を思い出した。 伯父がニューギニアで戦死

          命との対面

          海の顔

          高校生の頃は、海といえば瀬戸内海だった。 (今住んでいるのは、海なし県だが) 潮の流れの速い場所以外は、波頭さえ見えないおだやかな海である。 (春の海 ひねもすのたり のたりかな<与謝蕪村>・・・の様)   太平洋の波を見たときは驚いた。 沖合からすでに波頭が白く現れ、帯状になって押し寄せて来る。 のこぎりのような岩礁にタックルするかのごとくぶつかり、裂けて砕けて飛び散る。 (大海の磯もとどろによする波われて砕けて裂けて散るかも<源実>・・・の様)

          剣岳追憶

          眼前に黒い岩壁がそそり立つ。 息が上がり、汗が目に染みる。 引力に逆らって、身体を上方に持ち上げる。 見おろすと、断崖が谷底まで落ちている。 三点支持での一歩一歩はためらいがちだった。 ただ、心に「山頂はもうすぐだ」と言い聞かせているだけだった。 手をかけた岩の先に、ミヤマツメクサの小さな白い花。 いっときの安らぎが身内に流れた。 剣岳は2999mで、「岩の殿堂」と呼ばれている。1907年(明治40年)陸軍測量部によって、困難の末初登頂、しかし山頂には錆びた剣と錫杖があった

          剣岳追憶