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沖縄の音

 自分にとって初めての「沖縄体験」は、今から五十年以上前、六歳の頃にまで遡る。東京の杉並に生まれ育った自分が、小学校に入学して最初に仲よくなったクラスの友だちが我喜屋君という沖縄ルーツの子だった。まだその頃の沖縄はアメリカの統治下にあり、我喜屋君の家に遊びに行くと、那覇に住むお婆ちゃんから送られてきたという「琉球切手」を見せてくれた。
 そんな琉球/沖縄への親近感があったからだろうか、NHKの「新日本紀行」で沖縄が取り上げられた際に流れてきた音が、十歳になるかどうかの自分の耳に強く印象を残した。初めて覚えた沖縄民謡は「谷茶前」だったか。そこで芽生えた沖縄の音楽への関心は、それから四年ほど経った後の「ハイサイおじさん」との出会いにより、遅咲きの花のように開花する。 
 喜納昌吉のあの曲を初めて聴いたのは、中学生の頃、FM放送でのオンエアだったと思う。なんとも不思議な歌詞と沖縄音楽独特のリズムと旋律が、自分の中に刻まれていた音楽細胞を強烈に覚醒させた。数年後に「ハイサイおじさん」はオールナイトニッポンのエンディングテーマに使われて全国区となり、高校生になっていた自分は無けなしの小遣いの中からチャンプルーズのLPも買った。その後も志村けんの「変なおじさん」が登場したり、「すべての人の心に花を」がヒットしたりで、事あるごとに喜納昌吉への関心が喚起されていく。1994年に東大寺の大仏殿前で催されたAONIYOSHIコンサートに出かけたのも、ディランやジョニ・ミッチェル以上に喜納昌吉とライ・クーダーの共演がお目当てだったからだ。そんな感じの沖縄音楽への興味が、つい十年ほど前までつづいていた。つまりそれまでは、沖縄音楽が好きと言っても、言い方は悪いが「喜納昌吉どまり」だったわけだ。
 それが、何がきっかけだったのか忘れてしまったが、ふと沖縄三線を購入したことから、より深く沖縄音楽=琉球民謡にハマることになった。遊び気分でお安い三線を通販で買ったのだが、では何を弾こうかとネットで情報を集めているうちに、嘉手苅林昌や登川誠仁といったレジェンドたちの音に行き当たる。現代のポップとは別のところにある、その衒いのない歌や演奏に魅了され、手に入るCDを買い漁った。
 ヤマトの民謡よりも沖縄民謡に惹かれる理由は何だろうか。ダンス音楽としてのノリの良さ、取り上げる題材の日常性から来る面白さとリアリティ、そして現役の流行歌として歌いつづけられているバイタリティ。自分は、気づいてみれば、アイリッシュやテックスメックスと同じ次元で沖縄民謡に愛着を感じているのがわかる。さらに言えば、自分が最も好んで聴いている'60年代のソウルや、さらに古いブルースなどにも通底する何かがある。土地とそこに住む人に根ざしているリアリティ=土着感と言うのが、自分の中では最もしっくりくる言葉なのだが。
 昨年の一月に、絹糸声で知られる唄さーの大城美佐子さんが亡くなった。自分は真の沖縄民謡(琉球民謡)に触れるのが遅かったので、嘉手苅さんや誠ぐぁー、大城さんなどレジェンドたちの生の声に触れることができなかったのが今さらながらに悔やまれる。(天国)

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