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京都の通りすべて歩く - 葭屋町通

京都の通りすべて歩く。16本目の道は、葭屋町(よしやまち)通。「葭(よし)」というのは、植物の名前で、アシと呼ぶこともある草である。本来は「アシ」だったが、アシが「悪し」を連想してしまい縁起が悪いので、ヨシになった説とのことである。

豊臣秀吉による天正の地割でできた通りのシリーズの1つで、北は晴明神社らへんから、南は丸太町通で終了する、1.2kmで終わってしまう短い通りになっている。
通りの名前は不明。京都の地名由来辞典で調べてもよくわからなかった。「葭屋」とあるところから、当時はアシ・ヨシを利用した工芸品でも売っていたのだろうか。

2021年7月某日歩行。この日は、北から南へ下がることにした。まず、堀川今出川までバスで向かう。
そこから1つの通を下がったところに、元誓願寺通があり、そこから西へ入り1本目にある通りが、今回通る葭屋町通である。


狭く、生活の香りがする路地が迎い入れてくれる

晴明神社には、堀川通でも参拝しているので、この日は入らず。葭屋町通の面白いところは、晴明神社の敷地の「中」を通りが通っているところである。
どういうことかというと、鳥居は堀川通沿いに面しているのにも関わらず、実際の神社の境内は、葭屋町通を超えた先にある。調べたところによると、堀川通沿いへの「拡張」は1950年 (昭和25年) に行ったもので、比較的新しいものであるということがわかった。

© OpenStreetMap 協力者 | 堀川通側に鳥居がある

ただし、本来の晴明神社自体は実はべらぼーに広いらしく、元々は堀川通に面しており、北は今回あるき始めた元誓願寺通、西は黒門通、そして南は中立売通まで続くというものだったようだ。
京都はだいたい一度応仁の乱で荒廃していたので、その流れで縮小した上に、豊臣秀吉の区画整備があったので、今の境内の大きさくらいになったようだ。

© OpenStreetMap 協力者 | つまり、本来の晴明神社の大きさはこれくらい。
珍しいタイプの住所表示板。読みにくいけど、たぶんロータリークラブ。
この辺一帯には生きていることを知らせる落書きを見かけることができる。(1つではない)

短いのでこれだけ。この日は、このあと釜座通も歩いているので、また別の記事で紹介することにする。

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