青春は死なない2005

先週のノートから2回連続うん○の話が続いたので、爽やかな青春時代の話でも。
午前2時、踏切に望遠鏡を担いでいかず、寒さ凌ぎにスナック菓子のハバネロを持って中学校に集合した。初夏とはいえ、流石に半袖ハーパンで東北の夜を過ごすのは厳しかったが、中学生だったため、上着を着るという概念がなく辛いもので暖をとるという一流キャンパーから見たら、辛辣な言葉を浴びせかけられることこの上ない、選択をした。
金曜日の放課後にバドミントン部のHくんと家の近くの幼馴染のSと約束をし、午前2時に中学校に集まって海に行こうという約束をした。
まずは、この約束を全員が守って、ちゃんと起きるのか微妙であった。当時、携帯電話は普及していたが、僕らは携帯電話を持っていなかった。東北の辺境の地では高校生から携帯電話を持つという通念があったのか、田舎すぎて子どもが携帯電話を持つという概念がなかったのか定かではないが、とにかく僕ら全員携帯電話を持ってはいなかった。
誰かが寝過ごしたらアウト。当時はこんな綱渡り的な約束の仕方をしていたなんて日本に喫茶店というものがいかに必要だったかよくわかる。「めぞん一刻」や「あだち充漫画」では待ち合わせといえば喫茶店で、だいたいすれ違いが起き、主人公とヒロインが会えないということが多発する。そんな恋人を待つにあたってごってりとした色のコーヒーと小さな付け合わせのビスケットは必須だが、死ぬほど田舎の僕の地元にそんな洒落た店はなく、田園が見渡す限り広がり、その景色の切れ目には背の低い山が視界を塞いでいた。
おそらく、僕が1番最初に到着したと思う。
よく覚えてはないが「いや、これ、誰もこねーだろ」と暗すぎる校舎を見て少し絶望をしたのを覚えている。最悪、家が近いSは直接家に行って呼んでくればいいが、Hくんの家は学校から3キロ近くあるので来なかった場合は2人で行くことも考えなければならない。
30分が過ぎたころに、Sが到着。「おせーよ」と声をかけながら、Hくんがくるのを待った。
Hくんは中2で同じクラスになったのだが、一言で言うと変人だ。顔は吊り目でかっこよく、オラオラしている顔をしているのだが、一人称は「ウチ」で少し、オネエが入ってる。性欲は旺盛、急に踊り出したり、高校での修学旅行のドアを開けて出オチで笑わす選手権では、パンツから少し性器を出すという今考えたら全く面白くない姿で賞賛を浴びた。家が貸家で、このことを学校に言うと退学になるから言わないでとよく言っていた。大人になった今考えると、おそらく、就学援助制度に関わってきていることなんじゃないかと思う。ただ、持ち家の方が、就学援助では有利に働かないのだが・・・言わないでと言われると言いたくなるもので、僕はクラスの全員にこのことを伝えて、教員の前でわざとらしく「Hくんの家、貸家らしいよ」と言っていた。
とにかくHくんは、来なかった。おそらく午前2時に召集したのは、Hくんのはずだった。
約束をやぶるとか、そういうことは、当たり前のようにやっていた。僕とその周りの人間でHくんの信頼度は☆2.5のリーチぐらいもので、諦めて目的地に向かおうとした時だった。
H君が来た。時刻は午前3時だった。
人生で一番待ったのは、越谷のデリヘ○で2時間待ったことだが、それに匹敵する遅刻だった。まじでふざけてると思いつつも、「遅いよ〜」と一言伝え、早く行かないと、9時に部活が始まってしまうため、同じ部活のSと僕は少し焦っていた。
「海に日の出を見に行こう」
金曜日の放課後のことだった。Hくんから言われた。小学生のころ、海には自転車で何度か行ったことがあって、とにかく遠いという印象だった。だったら朝早くないと無理だよとHくんに伝えた。
午前3時、中学校に集まり、僕たちは、海にペダルを漕ぎ出した。青春ってこういうことなんだなと今に思えば感じることがある。
いつからか、僕は頭で何事も考えるようになっていた。人生もすべて行動が大事だ。余計な感情はいらない。楽しければそれが人生だ。青春だ。青春は死なない。今もバカやってみたい。家庭があろうと、仕事があろうと、僕はバカやってみたい。
バカな中学生のころの僕に、今ひとつ声をかけるとするなら
「日本海に日は昇らない」
ということだ。まあ、遅刻したHくんのせいで田園を走ってる間に日の出を迎え、どちらにしろ、日の出を拝むことはできなかった。太陽は東から昇り、西から沈む。方角をそして、世界の常識を僕たちはあらかじめ学ぶべきだった。
青春は死なないにしても、生きていく上である程度の教養がないといけない。義務教育はそのためにあるのだと思い出しながら、再認識した。僕たちはバカだった。

いつになく、真面目で下ネタもボートもスロットも出てきませんが、今後ともよろしくお願いします。



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