これは官能本か、いや哲学書か?『娼婦の本棚』

鈴木涼美『娼婦の本棚』中央公論新社、2022年。

見た目に騙されるな

ドギツいピンクの表紙に、刺激的な言葉が並ぶ表紙ですが、この本はそれだけではありません。著者は「痺れる一文が1行でもあれば、(中略)私はその本を読んだ甲斐があったと感じます(14頁)」と言いますが、私はこの本の10ページに一つくらいは痺れるような言葉に出会うことができました。
著者は夜の世界で活躍しながらも、東大で修士まで行った教養人であり、「汚れた」世界で感じたものを、鋭く知性溢れる言葉で語ってくれるのです。

身体の所有権

この本は著者の極めて個人的な感覚から紡ぎ出された言葉が詰まっています。だからこそ読む側も身体でぶつかって読まねばと思います。
私は心身共に男で、歳も少し離れていますし、夜の世界からは相当距離のある日々を送っています。本を読むことを除けば一切接点がありません。そのため読んでいて、全く理解できない言葉に出会うことがあります。
例えば34頁の「自分の身体に何かしてみたくて仕方なかった」という項目を読んでみましょう。

思えば、子供の頃の身体というのはその所有権が親にあるのか自分にあるのか曖昧で、自分が怪我をしたり身体を汚されたりした時でも、その痛みすら親と共有しているような感覚があります。それが急速に自分のものになっていくのを、身体に自由に手を加えてみることで実感したかったのかもしれません。

そして著者は酒やタバコ、セックス、ピアスなど体に悪いことをしたくなるのがこの頃の「オンナノコ」に訪れる時期なのだとか。

いやー、わからん。さっぱりわかりませんね。でもこれを読むことで少しだけ自分と全く違う原理で動いている他者を知ることができます。
ちなみに私の場合は、自分の身体の所有権が親にあるなんて思ったこともなかったし、少しでも身体に良いことをしたいとずっと考えてきたような気がします。酒もタバコも一切やりません。ピアスも絶対開けたく無いし、髪を染めることすらしたくありません。
無意識にそれが当たり前で、身体に悪いことをしている人はそれを知らないからか、節制をできない人なんだと思っていたかもしれません。

この違いはどこから生まれたのだろうか。これに答えはありませんが、異質なものと対峙することで自分をもう一度見つめ直すことができました。

わからないものを読む

この本は難解な言葉は全く使われていないのに、私にとっては理解に苦しむ感覚がぎっしり詰まっていました。紹介した以外にも思春期のこと、性、お金など、彼女のありふれていない日常からくる新鮮な表現に痺れました。
著者は若い女性、特に夜の世界で生きる女性に向けて書いたようですが、私のようにかけ離れた属性の人間にも読む価値があるとおもいます。

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