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ひろゆきさんが辺野古に来てからのこと

あの日から1ヶ月以上が経過した。
私はうまく言葉にならないまま、ただできる限り辺野古のゲート前に行くことで、この空虚さというか、心に空いた穴を埋めようとしている。
そしてひどく疲れてしまった。本当にひどく疲れた。
なぜこんなに疲れ果ててしまったのか、それが判ればきっとこんなには疲れないのだろう。


ぼんやりとした気分のまま、私と彼の個人的な接点を振り返ってみる。
話はBLMのプロテストに揺れる2年前の米国にさかのぼる。
2020年6月、警官によるジョージ・フロイド殺害をきっかけに、今なお強く残る黒人差別に対して全米で多くの抗議者が立ち上がった。
(ブラックの人々が、罪の有無を問わず警官に殺害される人数は年間1000人を越え、そのうち多くの警官が罪を逃れている)
シアトルのキャピトルヒルの警察署には人々が抗議に押し寄せ、警官が退去したことからその警察署周辺をプロテスターが占拠(オキュパイ)、CHOP(Capitol Hill Organized Protest)と称して自治区を宣言していた。
この実状を取材しようとCHOPを訪れた私は、取材開始から数分で殴られることになった。

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私が殴られた直後の動画を公開すると、そこにはまず日本の人々から悪意に満ちた言葉が押し寄せた。翌日、私はまたCHOPに戻ったがその行動も曲解されて広がっていった。そしてこの件を(今やロシアの国営メディアとして悪名高き)ロシアトゥデイが、悪意のこもった形で記事にして世界配信した。
私は白人至上主義者たちの「BLMが暴力的である」というプロパガンダのネタになってしまい、世界中の白人至上主義者やネオナチ、トランプ支持者から標的にされるハメになった。
あるネオナチのブログには
「I haven’t seen a nip get japped like this since Hiroshima! Y I K E S !」(日本人がぐちゃぐちゃにされたのは広島以来だぜ!)
と書かれていた。自分に対して明確にJAPという人種差別表現が使用されたのは初めてだった。
驚いたことに日本人の私が人種差別されていても、愛国者のはずのネット右翼たち誰もかばってはくれなかった。それどころか彼らは私に対する差別に同調し、笑って喜んでいた。

嫌気が差すような日々のなか、助け舟を出してくれたのが、誰あろう、ひろゆき氏だった。
彼らしい冷笑とぼんやりした事実認識ではあったが、彼の配信の中で、遠回しにでも敬意を示されたことには少なからず恩義を感じた。

あれから、2年が経過し、私は辺野古のゲート前でひろゆき氏と対峙した。
すでに彼が前日に問題のツイートをした後だったため、敵対的というかツッコミを入れるような形での取材となった。

5分ほどの対話だったが私の目には、彼が何かしらの役割を演じているようにしか見えなかった。私が彼と対峙している間、常にAbemaのカメラは回り続けていた。もちろん私もカメラを回したが、ひろゆき氏は常に、そのカメラの向こうにいるであろう「大衆」もしくは「自分をチヤホヤと王様のような座に押し上げてくれた何かしら」のためにサービスを続けている気がした。

真横で対峙しているはずの私は彼の目の中にはいないかのようだった。
無論、彼の目の中には、そこに座り込んでいた人々の存在も曖昧にしか映っていないだろう。


彼に触れて私は、2年前に彼が私を評して言ったことをもう一度思い出した。
「危険な場所ならばカメラを回して、殴られる瞬間を撮ればバズるのに、撮ってもいない、笑」そんなことを言って彼は笑っていた。

それは一理あるけれど、私は初めての取材現場では極力、生配信はしないし映像も撮らない。その場所にまず、どんな人たちがいるのかコミュニケーションをはかり、カメラ越しにはわからない感覚を肉眼で掴んでから、私はようやくカメラを回す。それはそこにいる人々へのせめてもの敬意だ。
バズるより、事実や敬意を優先する私がいる。

私個人とひろゆき氏の根本的な違いが感じられた。

彼は目の前の現実を自分勝手に歪曲しコンテンツ化しているに過ぎない。
そして弱い相手、いじめやすい相手を生み出し、打ちのめしてそれを面白おかしく大衆にバズらせ、自身の商品価値を高めたり、収益につなげる。

これは彼だけのやり方ではないし、今の社会全体が抱えている風潮でもある。YouTubeなどメディアがある種、自由化された中でモラルのラインは後退し、事実よりも快楽を優先する世界観が浸透しつつある。
お気づきの通り、トランプ陣営のデマが広がる背景にもこの構造がある。

あたかも「事実よりもバズったものが正しい」かのような、
このバズ至上主義の蔓延。

バズを作り出すものとバズに踊らされるもの、
内輪ノリのフィルターバブルに包まれ、それは激化し先鋭化していく。
カリスマと狂信者たちが織りなす世界の先に何があるのだろう。

絶対的な強者と、強者になりたがる弱者。
彼らが目指す世界には、それ以外の人々が存在する余地がないのではないか。


友人の家族と動物園に行って

ある休日、沖縄の中部に住む友人が家族連れで名護にあるネオパークという小規模の動物園に行くというので、なぜか私も一緒について行った。

友人夫妻とその子どもたち2歳と4歳の姉妹と園内を周り、世界中の奇抜な鳥やゾウガメなどを見る。ほのぼのとした、柔らかな時間だった。

みんなで地図を見ていたら、2歳の子がベンチに上ろうとして失敗して転んで大泣きした。
子どもと過ごす時間は気が抜けない。
未婚の独身男性の私には予想もつかないところで、子どもたちはすぐに道を外れたり、つまずいて泣き出したりする。
だから僕ら大人たちも全力だ。
絶対にケガなどさせたくないので、こちらもいつもの何倍も気をつけて、子どもの目線での安全を考えながら動く。とてもハラハラする体験だった。

最後に園内を走る小さな汽車にみんなで乗る。
汽車の中、さっきUFOキャッチャーでとった500円玉ぐらいの小鳥のぬいぐるみで子どもたちと遊ぶ。ふいに2歳の子の手から小鳥さん(のぬいぐるみ)が滑り落ちて転がり、汽車の外に落ちそうになった。私はあわてて手を伸ばしてキャッチしてその小鳥さんを救った。危ないところだった。私が手を伸ばしていなかったら、小鳥さんは園内の池に落ちていたところだ。無事でよかった。

優しさと笑いにあふれた時間を過ごして、友人家族たちは帰って行った。

私はその日以来、家の近所をひとりで散歩していても「この道、小さい子が歩いたら危険だな」とか「ここに信号がないと子どもだけでは通れないな」とか、そういうことばかり考えるようになった。

あの小さくてふわふわした無邪気な子どもたちが、これからも事件事故にあわず、ケガや暴力から出来るだけ遠くで安全に暮らせるようにと、
現実的に考えるようになった。あの子どもたちだけではなく、すべての子どもたちにそんな気持ちが芽生えた。

そして、辺野古に座り込みをしている人たちの気持ちも、そういう気持ちの延長線にあると気づいた。

子どもたちや、これからを生きる人々が、少しでも事件や事故に遭わず、
暴力や戦争と遠くで、健やかに生きられるように。
とくに沖縄戦を経験した世代ならば、もう二度と誰にもあんな経験をさせたくないと思うのはとても当たり前の気持ちだ。

ましてや先人たちも同じような気持ちを持っていたからこそ、今、私たちはどうに平和の体裁を保って暮らせている。

そういう気持ちがなぜ伝わらないのか。
なぜ冷笑されなければならないのか。
ひろゆきさんをはじめ、彼を称賛する人々の中にそういう気持ちがないのか、あるのか。

人間が当たり前に持っているはずのそういう気持ちをばかにしたら、
人間は人間でなくなるのではないか、
再び弱肉強食の動物に戻ってしまうのではないか。

中国政府の脅威から生活を守りたいという気持ちは痛いほどにわかる、
私も香港を取材した人間だから。

中国政府の人権侵害や民主主義の破壊を理解できるならば、米軍による人権侵害や生活への脅威、日本政府による民主主義の破壊も理解できるはずだ。それらは二者択一ではなく、両方同時に声を上げられるものだ。右左のイデオロギーや国家間の対立に煽られてはいけない。
ふと立ち止まって、市井の人々の生活のことを考えれば、
めざすところは近いはずだ。

嘲笑や冷笑の時代、だからこそ私は、
バズらないものを追いかけて歴史に残していきたいと思う。
それが私のジャーナリズム。

私は衝撃映像を撮りたいわけではない。
簡単にはバズらない、そこにいる人たちの暮らし。
お金に換算できない複雑な想いや背景、
表面的に消費されるコンテンツではなく本質にたどり着くために、
最大限の敬意をもって私はこれからも取材を続けていく。
私はジャーナリズムで、小さくても理解の橋を架け続けていこう。
決意を新たにした。

大袈裟太郎/猪股東吾



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